Web版 有鄰 第470号 『双六で東海道』/丸谷才一 ほか

第470号に含まれる記事 平成19年1月1日発行

有鄰らいぶらりい

双六で東海道』 丸谷才一:著/文藝春秋:刊/1,429円+税

『双六で東海道』・表紙

『双六で東海道』
文藝春秋:刊

エッセー本を選ぶときの目安は、普通、作者、表題、前書き、目次だろう。この本の場合、著者のものなら何でもという人を除いては他の目安は役に立たないだろう。

「宴会の研究」「桜餅屋の十五の娘」「周恩来も金日成も田中角栄も」「ハンモックの研究」「孔子とコノワタと大根おろし」など17篇。表題、前書きとも、目次同士も関連なさそうな話が並んでいる。

最初の話は「遅刻論」。家から3分とかからない小学校に毎朝遅れた話など自分を語った部分は普通のエッセーだが、ここから話は宮本武蔵と佐々木小次郎との巌流島の決戦に飛ぶ。武蔵が果し合いに3時間余も遅れていったのは作戦もあるが、彼が農民出身の武芸者で画家だったせいではないかという説である。

一方の小次郎は、櫓太鼓で出退勤を決める勤め人の武士だから時間に厳しいと農民時間と武士時間を分け、その傍証に武士出身の芭蕉の『奥の細道』で武士だった曾良の随行日記が克明に時間を記していることをあげる。さらに、いろいろな人物の時間の話をあげた後、とどめは「日本遅刻史上最大の大物」日米開戦時の通告の遅れに及ぶ。

テーマに応じて頭の中の薀蓄が次々と引き出され、分らないことがあると、さらに辞典類で確かめるという具合。この本1冊あれば、無人島に行っても当分、退屈しないだろう。

歴史小説の人生ノート』 清原康正:著/青蛙房:刊/1,900円+税

大佛次郎の『赤穂浪士』、吉川英治の『宮本武蔵』などから、吉村昭の『大黒屋光太夫』まで、近年わが国の代表的歴史小説13篇をとりあげ、そこに描かれた主人公の歴史観と作者の人生観を重ね合わせた評論集。

それぞれに興味深く、今日の社会や人生に示唆する点も多いが、スケールの大きさでいえば、早乙女貢の『会津士魂』であろう。自ら会津藩士の末裔に生まれた早乙女は、有為転変の体験を経て作家となった人生を踏まえ、独自の明治維新観を確立した。それは敗者の側の視点からとらえた史観である。

<この超大作のモチーフは、明治維新を「革命による改革」などではなく、薩摩、長州、土佐による「政治的陰謀」にすぎないとみなすところにある。>たとえば第一巻では次のように述べられている。

<明治維新が、真の下層階級による民主主義的革命ではないことははっきりしている。これらの一部野望家の陰謀によって幕府転覆の大筋が書かれたということである。>

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、主人公の人間像がなかなかユニークだ。司馬史観はその人物が完結した時点でとらえる視点に特徴があるが、<女性はその人生の進行中にとらえるほうがおもしろく、>と述べている。司馬作品全篇に通じるメッセージとして記憶にとどめておきたいことだ。

老いるということ』 黒井千次:著/講談社現代新書:刊/800円+税

人はだれでも老いる。しかし、明日のことがわからないように、老後のことはわからない。高齢化時代になった今日、老いの問題は深刻だ。そこで老いるということはどういうことなのか、博引旁証的に考察したのが本書だ。

著者はまず、古代ローマでは、老いはどう考えられていたか。古代ローマの哲学者にして政治家のキケローの『老年について』の対話篇を検証する。

<幸せな善き人生を送るための手だてを何ひとつ持たぬ者にとっては、一生はどこを取っても重いが、自分で自分の中から善きものを残らず探し出す人には、自然の掟がもたらすものは、一つとして災いと見えるわけがない>と同書にある。老人論への入り口として心にとどめたい意見だ。

現実問題として、老いと病気は深刻な問題だ。著者がここで紹介するのは、作家耕治人の晩年の3作品だ。耕は両親、家族すべてを結核で失い、老後ただ一人残った妻と孤独に暮らしていたが、自身も寝たきりの生活となった矢先、こんどは妻が認知症で家庭生活がメチャメチャになる。筆者も晩年、耕を訪ねたことがあったが、悲惨なものだった。他人事と考えることはできなかろう。

ヒトラーとホロコースト
R・S・ヴィストリヒ:著/ランダムハウス講談社:刊/2,300円+税

ナチ・ヒトラーは、第二次大戦中、世界中のユダヤ人を“工業的”に絶滅しようとした。ヒトラーがなぜ、かくも野蛮な計画を行おうとしたのか、本書はそのブラックホールの歴史的研究第一人者による解説書である。

著者によれば、その謎の中心にあるのは、千年王国説信奉の世界観だという。<彼らはユダヤ人こそが諸悪(特に国際主義、平和主義、民主主義、マルクス主義)の根源であり、キリスト教、啓蒙主義、フリーメーソンに対して責めを負うべきだと考えていたのである。これによりユダヤ人は「腐敗酵素」、無秩序、混沌、「人種的堕落」の汚名を着せられた。>ユダヤ人を世界の敵とすることで、人種的ユートピアである「千年王国」を定義したのだ。

その背景には、キリスト教の反ユダヤ主義という伝統が根強くあった。ヒトラーだけではなく、共産主義のロシアではユダヤを切り離して弾圧した。アメリカのローズベルトは、我関せず、の態度をとって見て見ぬふりをした。

本書を読むと、ホロコーストはまだ終わっていないと、背筋が寒くなる。イラク戦争に結びつけるのは論理の飛躍だが、民族的信仰というものがいかに怖いものか、今日の世界情勢にも目を転じて考えざるを得ない。

(K・F)

※「有鄰」470号本紙では5ページに掲載されています。

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