Web版 有鄰 第471号 秋山 駿と『私小説という人生』
秋山 駿と『私小説という人生』 – 人と作品
花袋、四迷、藤村など、私小説の面白さを伝える評伝集
秋山 駿
平凡な生活を精神のドラマにする私小説
田山花袋、岩野泡鳴、島崎藤村らは、自然主義文学の作家として文学史上に名を残す人々である。若い頃に花袋の『蒲団』を読み、読後感のみおぼろげに残る…という人も多いのではないだろうか。
「私は古希に達したころから、自分をもう1人の母親のように養ってくれた日本の近代文学に、何か恩返しをしていかねばならないと思いました。それで、50年以上前に読み、読み返さずに内容を忘れてしまった名作を、初めて読むように読み始めた。それらの文学によって、自分の心が生きる言葉を教えられ、人間のことを考える知恵を学んだはずで、私は忘恩の徒だったな、と考えた。まず、花袋の『蒲団』から読むと、書き出しの数行のうちに、主人公と読者は一挙に事件の中心に立たされる。人生の中央を襲った激しいドラマ、もつれた心理のかたまりを、ひとつかみに提示しています」
人生の中央を襲ったドラマとは、恋愛である。妻子がいる36歳の作家(花袋)が、若い娘に恋をする。恋愛感情に翻弄されながら、自然主義文学の「眼」で社会の変化を見渡し、変化そのものが人間の生活や運命にどう関わるのか、見事に記していた。
「1ページずつ読み進むうち、若い頃はこんな言葉に魅入られていたのかと、自分の心の形が明らかになりました。戦後、“私小説への道を開拓したために西欧的な大小説への道を狭くした”と、花袋への批判ばかりを耳にしましたが、私小説は大変な発見だったのだと改めて思った。『自分』をモデルにすべてを考えてよい、自分が感じ、生きたことをそのまま、ありのままに書けば、それが小説になるという私小説の発見は、今日本で、多くの人が小説に身近に接し、自分でも書いている状況に繋がっています。ほとんどの人が営んでいる単調で平凡な生活を、精神のドラマにし、文学にした」
平凡な男が、平凡な日常で抱える矛盾の塊のことを書いた『蒲団』。秋山さんは、花袋が小説をどう構築したかを分析、ドストエフスキー『罪と罰』、ルソー『告白』との関連を記す。『罪と罰』のラスコーリニコフは、殺人を起こす前後、日常と溶け合った歩行をしている。外からみて何の変哲もない“ラスコーリニコフの歩行”には、矛盾に満ちたドラマが内包されており、花袋は殺人などの事件ではなく、歩行の中にある内面のドラマを焦点にした。花袋に続き、岩野泡鳴、二葉亭四迷、島崎藤村、正宗白鳥の文学と秋山さんは向き合い、どこに「ラスコーリニコフ的歩行」があるか、読み解き、読者に私小説の面白さを伝えている。誰もが「天才」と言う樋口一葉についても書いた。
「自然主義文学の作家たちは、“描写論”について徹底的に探究していた。花袋は尾崎紅葉の小説の描写が通俗であるとし、描法を工夫しつつ、生について、人間について、小説のかたちで物事の真理を見極めようとした。漢詩などの素養がある知識人だった花袋や藤村が、誰にでもわかる言葉を使い、平凡な人生の断面を、描写に苦心して書いた。そして、何十年も後の人に、自分のことのように共感されるのだから、小説という生き物の魅力がいよいよ不思議なものに思えました」
文芸誌『新潮』に、2003年から06年にかけて連載したものを、改題・刊行した。連載中、病気で入院し、樋口一葉の『たけくらべ』を枕頭の1冊の文学書に選び、日に2、3ページずつ読んでいたという。
15歳で終戦を迎え考えたことが批評に進む原点に
1930年、東京都生まれ。早大仏文科卒。60年、評論「小林秀雄」で群像新人文学賞。90年、『人生の検証』で伊藤整文学賞。96年刊の『信長』で野間文芸賞、毎日出版文化賞。15歳で終戦を迎えたとき、「これからは、ただ自分だけを頼りに歩かねばならない」と感じ、自分が感じ、思ったことを記すノートを書くだろう、書かねばならぬ、と考えたことが、批評に進む原点になった。
「小林秀雄は早くに『私小説論』を書き、絶えず私小説という問題に衝突していました。自分をモデルに、いかに感じ、考え、生きたか。人間とは何か、人生とは何か、生きたモデルの全容を告白したルソーの『告白』を、自然主義文学の作家は、新しい文学として読んでいて、小林秀雄はルソーの『私』を問題化していました。小林秀雄は『私』の問題を追いましたが、文芸批評とは何なのか。何をどう書くものなのか。私は次作も、私小説、文学の力について書くと思います」
(青木千恵)
※「有鄰」471号本紙では5ページに掲載されています。
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