Web版 有鄰 第481号 『萩のしずく』/出久根達郎 ほか
第481号に含まれる記事 平成19年12月10日発行
有鄰らいぶらりい
『萩のしずく』 出久根達郎:著/文藝春秋:刊/1,857円+税
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- 『萩のしずく』
文藝春秋:刊
いまは五千円札の肖像になっている樋口一葉だが、その一生は貧窮に追われた薄幸なものというイメージが強い。
実際、借金が重なり警視庁を辞めた貧乏士族の父を、17歳で亡くした一葉は、最後まで貧乏生活を送っている。
しかし、少女時代から文壇デビューまでを描いたこの小説は、師友との交友を通じ一葉にも、心踊る青春があったことを物語る、きわめて異色の作品になっている。
浅草観音の年の市で一葉こと樋口奈津が、お気に入りの羽子板「幡随院長兵衛」を、うっとり眺めていると、女中などを連れたお嬢様が、いきなりそれを買ってしまう、という出だしからして華やかでおもしろい。
翌年、上流階級の娘だけが通っている中島歌子の「萩の舎」塾に、月謝を無理して入った15歳の奈津は、恋人を奪われた思いで睨みつけたこの娘と再会する。
娘はいま男爵家の令嬢だが下町育ちという訳ありの過去を持つ、おきゃんな佐野島夏子。万事、控えめの奈津を引っ張りまわす親友になり、以後、重要な役回りを演じる。
攘夷のいざこざで亡くなった元・水戸藩士の妻で憧れの師、歌子の身辺を探る密偵から歌子を守る会を作り、お互いに隠語で話し合うなど、いかにも女学生らしいエピソードが楽しい。奈津の淡い恋物語なども含め、シリアスな話に華やかな彩りを加えた快作である。
『日本語でどづぞ』 柳沢有紀夫:著/中経出版:刊/495円+税
日本人の海外旅行が増えるにつれ、世界各地で観光客目当ての日本語の看板が増えているらしい。表題は著者が十数年前、オーストラリアのケアンズで見つけたもの。
その後も同様の例に会った著者は、海外ライターの集まりである「海外書き人クラブ」のウェブサイトなどで、おかしな日本語を募集。写真入でまとめたのがこの本である。
香港で見つけたマッサージ屋の看板「エしぺーターで1階へどラざ」は、表題同様、意味はわかる。しかしタイのスナック菓子につけられた文句「のりまかりかり ひつくおよきり」や、オーストラリアのお菓子の「トた用サテ一セにタソにの特制イレテフてさトイ」となるとどうか。
すごいのは、花のパリで見つかったレストランのメニューの大文字「風邪は飲む」。写真を見ると、別項に「熱い飲み物」「アルコールおよびリキュール」とちゃんとした日本語があるから、どうやら「colddrink」のことらしい。「風邪」を和英辞書で引くとたしかに「cold」と出てくる。
スペインの観光地ロンダのレストランには、食べものに「子牛人肉」、「飲みもの」(これはちゃんと日本語で書かれている)「石油鉱水」があったそうである。
『日本語へんてこてん』 あんの秀子:著/ポプラ社:刊/1,238円+税
私立の中学・高校で国語教師をしているという著者は、「いまどきの言葉」を古典に照らして探っている。たとえば「やばっ」の「やば」は、江戸時代の有名な滑稽本『東海道中膝栗毛』に出てくる。
もっと最近の流行語「萌え〜」は、万葉集の「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」にまでさかのぼる、という。中年以上なら、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の一節「緑なす繁縷(はこべ)は萌えず」を憶えているだろう。
イジメなどにも使われているらしい「こわっ」「ださっ」「きもっ」などを著者は「形容詞省略用法」と名づけている。「こわい」「ださい」といった形容詞が変化して、感動詞のようになったというわけだが、こうした用法は古典でもみられると、芭蕉が日光で詠んだという俳句「あらたうと青葉若葉の日の光」をあげている。
「あら」は感動詞。「たうと(たふと)」は形容詞の「たふとし(尊し)」の語尾を省略し「あらたうと」と固まることで感動詞のような働きをしているというわけ。もっとも、いまの用法は芭蕉と違い自分が「こわっ」と思われないため、先手を打って「ださっ」「きもっ」と、ラベルを張るのだとか。何とも情けない自衛本能である。
『あじさい日記』 渡辺淳一:著/講談社:刊/1,600円+税
夫婦の浮気の生理と心理を丹念微細に描き上げた長編。主人公の省吾はクリニックを開業している医師である。妻との間に中学生の娘と小学生の息子がいる。外から見れば理想的な家庭だ。
夫婦には寝室があるが、最近そのダブルベッドで休んでいるのは、妻だけになっている。省吾は書斎の個室のソファーベッドで休んでしまうことが多い。ところがある日、妻の不在中に寝室で何気なく見た「あじさい日記」と題した妻の日記が、大変なシロモノだった…。という設定で始まるのだ。
省吾には愛人がいた。クリニックに勤めるきれいで若い事務員だった。もちろん妻には内緒である。夕食を共にし時には夜もホテルに泊まった。日記にはそれらの秘密がすべてスッパ抜かれていたのだ。
省吾が愕然となったのは、当然である。ところが、それだけではない。妻にも愛人ができるのだ。大学の文学部教授だった。夫の省吾はベッド入りしてもいいかげんだったのに対し、教授は熱心だった。二人の間はますます深まっていく。さあ、どうなるのか。新聞連載(「産経新聞」)なので、スリルとサスペンスを織り込みながら展開していく。大破局はこない。モラリッシュな結末でもないところが、うまい。夫と妻の双方の視点から、浮気の生理と心理をとらえる、これこそ浮気の“真理”ではないか。
(K・F)
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