Web版 有鄰 第488号 横浜開港150年・有隣堂創業100年「横浜を築いた建築家たち」(1)ブリジェンス(1819-1891)

第488号に含まれる記事 平成20年7月10日発行

横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(1)

ブリジェンス Richard P. Bridgens (1819-1891)
幕末・明治の横浜最大のアーキテクト――

吉田鋼市

横浜駅(初代)

横浜駅(初代)
横浜開港資料館蔵

2009年は安政6年の横浜開港から150周年、また、明治42年創業の当社の100周年にあたります。これにちなんで、横浜ゆかりの建築家とその事績を全12回にわたって紹介します。

イギリス仮公使館(慶応3年)、横浜駅(明治2年)、横浜税関庁舎(明治6年)、横浜町会所(明治7年)など、幕末・明治初期の横浜の代表的な建物をほぼすべて設計したアメリカ人である。当時の横浜を代表する建築家として間違いないのだが、今日的な意味での建築家というのとは少し違う。

来日は1864年ころと考えられているが、その前はサンフランシスコで石版画家として活躍していたことと、サンフランシスコの砲台をつくったことぐらいしかわかっていないらしい。石版画家と砲台建設という組み合わせも、今日から見れば風変わりだが、もともとの「アーキテクト」の守備範囲はいまよりはるかに広く、この2つが入っていても少しも不思議はないから、ブリジェンスは本来の意味でのアーキテクトだったとも見なされる。

それに、建築家の職能に公的な資格が云々され始めるのも、西洋でも1世紀ほど前にしか過ぎないし、机上で図面しか引かないような、やわな建築家では、洋風建築の施工方法を伝えることから始めなければならなかった当時の日本ではお手上げだったろう。

そもそも、そうした実際的な能力をもっていなければ、日本にはやって来なかっただろう。実際彼は、高島嘉右衛門(横浜のインフラ整備に貢献した高島易断でも知られる実業家)や清水喜助(今日の清水建設のもとを築く)などの建築請負師を育てているし、下岡蓮杖に石版画を教えてもいるという。

いわゆるお雇い外国人でもなく勝手にやってきたブリジェンスの大活躍の理由に、当時のアメリカ公使夫人と彼の夫人とが姉妹だったことが指摘されている。それも一因かもしれないが、この大活躍はやはり彼の実践的で広範な実力のたまものであろう。彼の建てた建物の多くは、外壁は石だが柱などの架構は木造の木骨石造だったが、写真で見る限り本格的な洋風で形もよい。それらは今日すべて失われているが、横浜駅とペアでつくられた新橋駅が2003年に復元されているので、その実力の一端がしのべる。また、彼の墓は山手の外国人墓地の19区にある。

吉田鋼市 (よしだ こういち)

横浜国立大学大学院教授。

※「有鄰」488号本紙では4ページに掲載されています。

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