Web版 有鄰 第490号 横浜開港150年・有隣堂創業100年「横浜を築いた建築家たち」(3)パーマー(1838‐1893)
横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(3)
パーマー[Henry Spencer Palmer](1838‐1893)
――横浜の水道を創設した親日家の英国工兵将校
吉田鋼市
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- 横浜桟橋全景(鉄桟橋)
横浜に日本最初の近代水道が引かれたのは明治20年10月のことで、わずか2年半の工期で近代都市に必須のインフラの一つが完成している。その設計から施工監督までをやりとげた英国陸軍工兵出身のエリート技術者がパーマーである。横浜のほかにも、大阪・函館・東京・神戸の水道を計画しているが、彼が施工にまで関わったのは横浜のみ。水道敷設だけでも大きな功績といえるが、現在の大桟橋のもととなる明治22年着工のいわゆる第1期の横浜築港工事の設計・計画も行い、さらには、横浜船渠の2つのドックの基本設計にも関わっており、横浜の「水と港の恩人」とされる。
陸軍士官学校出身の工兵将校で、一族には爵位をもつ人もいるお雇い外国人のなかでも有数の出自をもつ。父親の赴任地インドで生まれ、カナダ、シナイ半島、ニュージーランド、バルバドス島、香港と世界各地に赴いているが、軍人としての勤務というよりも冒険家の探検、学者の学術調査という感じがする。現に、彼は測量家でもあり天文学者でもあり、学術的な本も書いている。また、ジャーナリストとしても「タイムズ」をはじめ、各紙誌に活発に寄稿しており、その親日派の論稿は日本の条約改正に貢献したとされる。
しかし、やはり彼は大英帝国を背負っており、根底は、女王陛下の優秀な軍人技術者であった。滞日は晩年のことで、3度の短期間の来日の後、明治18年4月から日本に在住、途中4か月の調査帰国を除いて終始在日、明治26年2月に東京・麻布の自宅で死去、青山墓地に葬られた。享年54である。
彼の仕事の痕跡は地下や海中にあるため見えにくいが、横浜築港工事に使われた直径30センチ、長さ20メートルというスクリューパイル(先端がスクリューのようになった鋳鉄製の杭)の一部がみなとみらいの1号ドックのそばに展示されている。パーマーよりも後の工事に使われたもので、少し細いが全長を保っているパイルも一緒に置かれており、同じものが大桟橋埠頭ビルの脇にもある。
彼が埋設した水道管、獅子の顔をもつ共用の水道蛇口、創設記念噴水など、横浜の水道創設期の遺物が西谷浄水場の水道記念館で見られる。水道管は野毛三丁目公園にもあり、獅子の蛇口は横浜開港資料館にもある。また、水道開設100周年の昭和62年に、野毛山貯水池の傍らに彼の胸像が設置されている。
※「有鄰」490号本紙では4ページに掲載されています。
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