Web版 有鄰 第497号 横浜開港150年・有隣堂創業100年「横浜を築いた建築家たち」(10) アントニン・レーモンド(1888−1976)
横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(10)
アントニン・レーモンド
Antonin Raymond(1888−1976)
――日本のモダニズム建築の先駆者
吉田鋼市
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- 山下町にあったシェル石油ビル
1980年8月撮影
アントニン・レーモンドは、戦前・前後を通じて日本の建築に大きな影響を与えた人である。チェコの出身で、名門プラハ工科大学(1920年からチェコ工科大学となる)を出た翌年にアメリカに渡り、大正8年にF・L・ライトと共に帝国ホテルの仕事で来日。まもなく独立して昭和12年まで日本で活躍。戦争中はアメリカに戻っているが、昭和23年に再来日、昭和48年に帰米するまで活発な活動をした。特に、戦前と日本の建設活動がままならなかった戦後直後において、東京・霊南坂の自邸やリーダーズ・ダイジェスト東京支社など、国際的なレベルのモダニズム建築(無装飾の白い箱形の建築)を実現させ、日本の建築家たちに強い影響を与えた。先にあげた2つの建物はいまはないが、群馬音楽センター、南山大学など現存作品もかなりある。
日本で活躍した期間は、88年の生涯のほぼ半分の43年間。その長さは近江兄弟社のW・M・ヴォーリズには及ばないが、日本の近代建築の父J・コンドルを少し上回る。やや曖昧な言い方になるが、ヴォーリズが新しさよりも現実の生活の中に入り込んだのに対し、レーモンドは斬新なアートに切り込んだ。コンドルが日本に沈潜したとすれば、レーモンドは日本から跳躍した。
彼は横浜に住んだわけでも事務所を構えたわけでもないが、30を越える数の仕事を横浜でもしている。多くは外国資本の企業関連の施設や外国人の住宅である。しかし、現存のものはフェリス女学院大学10号館(昭和4年、旧ライジングサン石油社宅)、伊勢佐木町の不二家(昭和11年)、エリスマン邸(大正15年、平成2年に元町公園内に移築)だけになってしまった。ほかに、山下町にあったシェル石油ビル(昭和4年)の回転ドアが、跡地に建てられたマンションに保存されており、昭和4年のスタンダード石油社宅が昭和60年にパークシティ本牧クラブハウスとして再現されている。また、戦後の比較的最近のものもいくつかある。神奈川県内では藤沢の県立体育センター合宿所(昭和7年、旧藤沢ゴルフクラブハウス)が健在。
「日本の」モダニズム建築のパイオニア、「日本で」活躍した「チェコ出身」の「米国籍」の建築家といった限定詞つきのものが、これまでレーモンドの評価であったようだが、単純に近代モダニズムの先駆的な建築家となる可能性も十分ある。
※「有鄰」497号本紙では4ページに掲載されています。
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