Web版 有鄰 第500号 ふるさと横浜/草笛光子
第500号に含まれる記事 平成21年7月10日発行
ふるさと横浜 – 1面
草笛光子
生まれた町――斎藤分町
私は、横浜生まれの横浜育ち、生粋のハマっ子です。この間も、開港150周年記念式典で上演された一日限りのショー、「ヴィジョン!ヨコハマ」の顔寄せで、そう挨拶しました。
それを聞いた、演出の宮本亜門さんが「50年前の100周年の記念式典にも出ていたんですね」と言われましたが、私は、全然覚えていないんです。
みんなに「すごいな、100周年に出て、50年後の今も、150周年記念に出られている」なんて言われました。「どうせ私は化石です」と言ったんですけれどね。(笑)
私が生まれたのは、母の実家があった神奈川区の斎藤分町です。その後、隣町の中丸というところで育ちました。
子供のころは港町に住んでいるという意識はあまりなかったのですが、父が戦争前、三菱重工業に勤めていましたから、船の進水式を見に行って、船がスーッと出ていくのを眺めていた覚えがわずかにある程度です。
戦争中には、縁故疎開で群馬県の富岡に行きました。畦道を歩きながら詩をつくったり、空の雲を見ながらもの思いにふけったり、小川の流れを眺めたりという毎日でしたね。
それから、遠くを走る、高崎のほうへ行く列車を見て、父が横浜に一人で残っていましたから、「あれに乗れば横浜に帰れるのにな。お父さんは何をしているのかな」って思っていました。
終戦を迎えて、横浜に帰ってきましたが、中丸の家は焼けてしまっていました。それで、焼け残った斎藤分町の母方の祖父母の家で家族みんなで暮らすことになりました。
その斎藤分町の家は私が受け継ぎましたが、今は上物は壊して更地になっています。私はもうずっと東京に住んでいますし、戻る気はなくなっちゃいましたね。
今は、ご近所もみなさん変わってしまい、知っている方もいません。けれど、私も、妹や弟たちもそこで長いこと暮らしたので、思い出の中にはずっと、ふるさとという思いがあります。
少女のころ――第一高女
終戦は、小学校の最後の年でした。小学校を卒業して、私はあまり勉強をしたくなかったんですが、第一高女(神奈川県立横浜第一高等女学校・現在の神奈川県立横浜平沼高校)を受験させられ、合格しました。
私は小さいころ、家族以外には絶対になつかない子でした。それが第一高女に入学したころにも残っていて、人の中に入るのが苦手でした。
通学は、東横線の反町駅から横浜駅までの一駅だったのですが、電車に乗れないんです。人の顔を見るのがいやでハニカミを通り越していましたね。それで、斎藤分町から第一高女のある岡野町(現在の西区岡野)まで歩いて通いました。すごく変わった子でしたね。それから、小学校のころは虚弱児童でしたが、徒歩通学のおかげでどんどん体力がついてきました。
学校では創作舞踊のサークルに入りました。バレエには振付がありますが、創作舞踊にはそれがありません。自分でつくるんです。人に踊らされるのではなく自分で踊る。一学年上の岸恵子さんもそのサークルに入っていました。そこは私の唯一の発散場所でした。自分が感じたことを体で表現することが面白かったんです。私にとっては口をきいたり、人と会うことと同じ意味があったのではと思っています。
卒業が迫るころ、私にとって大きな出来事が起こりました。ある方が私の知らないうちに松竹歌劇団の入団願書を出していて、受験せざるをえなくなってしまったんです。60倍くらいの競争率でしたが結果は合格でした。それで大騒ぎになりました。
我が家は芸能界には縁がありませんでしたし、どうしようって大変でした。でも、ある先生が「1か月、歌劇のレッスンにに通いなさい。それで自分でどうしたいのかを決めなさい。」とおっしゃったんです。これが私の一つの転機でしたね。私は歌劇団のレッスンに通い、この道に進むことを決めました。それが卒業の3、4か月前でした。
先生の中には、「何も娘さんを水商売すれすれの世界に入れることはないでしょう、せっかくこの学校に入ったのに」と言う人もいました。その言葉には、すごくショックを受けて、生涯忘れられません。乙女心はとても傷つきました。でもそう言われて、ムクムクと反抗心がわいてきました。
だからこそ頑張れたと思っています。そして、第一高女という名前を決して傷つけたり、恥をさらすようなことは絶対しないと自分に言い聞かせました。
街を歩けば呼吸が楽に
仕事を始めてからもしばらくは横浜に住んでいました。そのころによく行っていたのは港の近くや元町のあたりでした。
当時、進駐軍の人が帰国するときに、使っていた家具を置いていくんです。それを扱う家具屋さんで5,000円で買った黒い枠の本箱が今でも家にあります。何十年もっているのかな。いまだに愛着がありますね。
それから、ちょっとしゃれたレストランには、外国の人が国に帰るときに置いていったジャズとかシャンソンのSP盤レコードがありました。「あげますから、持っていく?」と言われて、もらってきては聴いていました。
昭和29年にヴェネツィア映画祭に行くことになりました。英語が必要だろうと思って、教師として進駐軍の黒人の女性を紹介してもらいました。山手の方にあった彼女の住まいに行ったり、遊びに連れて行ってもらったりしたこともありました。でも、英語はあまり上達しませんでしたね。
東京に住むようになってからも、若い頃は、横浜まで遊びに帰りましたね。舞台が終わると、友だち5、6人を連れて、大きな車に乗って横浜に遊びに行き、また東京に帰ったりということもしていました。
元町では、「ちょっと荷物を預かってね」と言って、遊んでから戻れるような、仲よしのお店が何軒かありましたが、代替わりしたりで、あまり行かなくなってしまいました。それでも、今も「こんにちは」と言って入って行くところはありますし、ホテルニューグランドのあたりや日本大通りにも行きますよ。昔の横浜を彷彿とさせるものがあって、なつかしいですね。あのあたりを歩くと、すっと肩の力が抜けて、とっても呼吸が楽になるんです。「ああ、横浜だ」って。
とにかく横浜が好きなんですね。何だろう、やっぱり私の血の中にあるのかしらね。横浜の港で岸壁にヒタヒタと押し寄せている波を眺めて、この海は外国に通じていると思うと、心がフーッと広がるような感じが、昔からありました。
子供のころの思い出に、外国船が入港したとき、船の下まで行って手を振ると、外国人が船の上から手を振ってくれたりしました。港に行ったり、船を見たりしていると、「ああ、この街は外国に通じているんだ」という気持になって、この街がすごく誇らしくて、うれしかった。
それから、ハマっ子には、どうも気が強いというか、荒いところがちょっとあるように思います。私はヴェネツィア映画祭の帰りに、急にニューヨークに行ってミュージカルの勉強をすることになったんです。まだ日本人があまり海外に行かないころです。たったひとりで飛行機を降りたんですが、着物を着て、「私は日本人よ」と威張っていました。しようがないですね。(笑)
いつまでも横浜らしく
東京で生活するようになって、いろいろな場所に住みましたが、結局、今の等々力に稽古場をつくって落ち着きました。ここは第三京浜から降りてすぐのところです。つまり、一番ハマに近いところにへばりついて生きているんです。私はハマっ子よ、という意識が強くあるんです。横浜にすぐに行けるところにいたいということですね。私と横浜とのつながりです。
それでも人とのつながりはまだ多少はあります。岸恵子さんとは時々電話で長話をするんですよ。「たまには横浜に行って、どこかで食事しない」、「いいわね」。そして「でも、横浜もずいぶん変わっちゃったものね」、「そうね」という話になってしまうんです。
最近、みなとみらいのあたりに、観覧車とかランドマークタワーとか、いろいろできましたね。観光名所としてにぎわっているようですね。けれど、あそこには昔は造船所がありました。つまり、海だったところです。
街が発展することはいいことで、とてもうれしいことですが、反面、寂しい思いもありました。昔の横浜の景色とか、情緒がなくなったような気がしたんですね。あまりの変わりように思わず「あら、ここはどこの国?これが横浜?」
何か、横浜をとられてしまったような気がした。昔の面影が一つもないと思ったんです。誰が横浜をこんなに変えちゃったのって。ですからしばらくの間、あのあたりには行きませんでした。私の知らないところという気がして近寄りませんでした。
でも最近は、「昔の横浜がなくなっちゃっていやだな」という気持ちは薄らいできました。変わったことを喜ばなきゃいけないんだろうと思うようになったんです。今は、それも時代の流れだし、いいほうに変わってくれればと思っています。
今のゴージャスな雰囲気が好きという方も、もちろんいらっしゃるでしょうし、これは私だけの横浜への願いというか、勝手な趣味かもしれませんけれども、変わっていく中で、横浜の匂いや独特の空気とか、個性は殺さないで、どこかに残していてほしいと思います。
横浜はいつまでも横浜らしくあってほしい。どこにでもあるような街にはなってほしくないと願っています。
(文責・編集部)
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