Web版 有鄰 第506号 典型的日本人/養老孟司
典型的日本人 – 海辺の創造力
養老孟司
ただいま出張中で、旅先でこれを書いている。
最初の日が愛知県の苅谷、翌日が岡崎、次が福井、今日は富山県の魚津に行く予定で、それから金沢に泊る。なにをしているかって、昨日までは教育関係。理科離れがいわれる時代に、理科教育をどうするか、そんなことについて話をして歩く。
相手は学校関係者が多いから、来年来てくれないかという声がかかる。「生きていたらうかがいます」というのが、還暦以降の私の決まり文句で、聞いた人はたいてい笑う。でも還暦から一回り過ぎてしまった近頃は、それを聞いても笑わない人が増えた。70を過ぎた爺さんがそういうと、ひょっとしたら本当に死ぬかもしれないと思うのであろう。相手にも実感が生じるわけである。
数年前に、山口県で曹洞宗のお坊さんの会があった。葬儀を近代化したいという趣旨だった。その会合の幹事役のお坊さんが来られて、新しい形式の模範葬儀を実際にやってみたいという。でも葬儀なんだから、ホトケが必要である。ついてはあなたに死んでもらえないか。そうおっしゃるから、結構ですよ、とお引き受けした。一度死んでおけば、もう死なない。そう思ったわけではないが、べつに何回死のうが、こちらの知ったことではない。毎日寝るたびに意識を失う。ほとんどの人は翌日意識が戻るのが当然だと思っているだろうが、私は仕事柄そんなことは信じていない。寝ているうちにあの世に行けば、もはやそれまで。
それで困るかといえば、私自身は困らない。そもそも死んでしまえば、困る私がいなくなる。葬儀なんて、その後に生き残った人たちのためである。私の知ったことではない。これを他人事という。でも最近は葬儀を自分事だと思う人が多いらしい。だから葬儀にあれこれ本人が注文をつける。余計なお世話じゃないのか。
というのはまあ理屈で、身内にとっては、なかなか死んでくれないのが死者である。だから1周忌から3回忌、毎年の法事があった。そうしてだんだん遠のいていく。本人が思うような葬儀をすれば、身内の負担はその分軽くなる。死んでしまった本人がどう思うか、それをあれこれ悩む必要がなくなるからである。葬儀をごく簡単にしても、本人の遺志ですからと、本当に心からいえたら、遺族も楽であろう。
この歳であちこち歩き回っている私の頭にあるのは、じつは芭蕉と西行。私はこのお二人ほどに偉い。そんなことがいいたいわけではない。このお二人も、べつにそうしなきゃならないという義理があったわけでもないのに、日本中を歩き回って、人生の終わりを迎えた。そう思えば、いまあちこち歩き回っている私も、典型的な日本人だろ、と思いたいだけのことである。
(解剖学者)
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