Web版 有鄰 第530号 『美術館に行こう』を出版して/草薙奈津子
第530号に含まれる記事 平成26年1月1日発行
『美術館に行こう』を出版して – 海辺の創造力
草薙奈津子
ある日突然岩波書店から電話が入り、標記のような内容で本を書いてほしいという。私の専門は日本近代絵画史だから、この申し出には面食らった。しかもジュニア新書だという。15歳前後の子供相手にどんな言葉を使ったらいいのかさっぱり分からない。おまけに長く一緒に生活したのは年老いた両親であるから、年齢の割にかなりきちんとした言葉使いだと自負している。「…だよ」とか「いいね」などという言葉は大嫌いなのである。
その一方で、岩波の担当者は平塚市美術館のことも織り交ぜて書いて良いという。館長である私は、館の宣伝になることなら何でも引き受ける。
で、引き受けてはみたものの、考えてみたら大層なことなど何もやっていない。普通の人が日常考えつきそうなことを、少しずつやってきたに過ぎない。それも市は予算をくれないので、お金をかけないで出来ることをしてきた。玄関先を明るくするために照明は消さないとか、お花のプランターを置くとかである。人が座っているのを一度も見たことのない2階ライトコートの椅子とテーブルを1階玄関の前庭に移すということもした。
そうすると自然と人々が集まってくる。そして次第に館の中に入ってきてくれるようになった。こうなればしめたもの、あとは展覧会のことを考えればよい。展覧会は私の専門であるからそう難しくはない。
まず市民の税金で成り立つ公立美術館だから、なるべく市民に喜んでもらえそうな展覧会、しかも質の高いのをする。と同時に、美術館は社会教育の場だから、多少の専門性も持たせた展覧会をする。
これは大当たりであった。例えば去年の夏「絵本原画の世界展」というのをやった。これには子供・親世代から祖父祖母世代まで幅広い層の来館者があった。それと同時に「三瀬夏之介展」というのをやった。彼は今、最も期待される若手日本画家である。こういう展覧会は専門家が注目してくれる。ほとんどの中央紙に展評が載ったし、NHKテレビも取り上げてくれた。こういうことがあると美術館のステイタスが上がる。これは大事なことで、入場者のことだけを考えていると、美術館はエンターテインメント会場化してしまう危険性がある。これでは美術館が美術館としての存在意義をなくす。
何のために美術館を建設するかというと、人間が生きていくうえで情操教育が大切だからである。衣食住だけでは満たされないことは先の大震災が証明している。それに人間には上昇志向がある。
一方、美術館は展覧会だけの場ではない。最近はどこの美術館でも教育普及活動(ワークショップ)が盛んである。平塚も50近いプログラムを揃え、1歳児からお年寄りまで、さまざまな人々を対象にワークショップを行っている。赤ちゃんの鑑賞講座なんてなかなか面白い。赤ちゃんにだってちゃんと鑑賞能力がある。気に入った作品を指さしながらアーアーウーウー言っている。
それにしても本を書くことによって、今まで漠然と思っていたことを体系化できたことは、私自身にとってもなかなか貴重な経験だったと思っている。
(平塚市美術館館長)
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