Web版 有鄰 第569号 ヨコハマ・アンキョ・クエスト~千代崎川暗渠を味わう~/髙山英男
ヨコハマ・アンキョ・クエスト
~千代崎川暗渠を味わう~ – 2面
髙山英男
「アンキョ」
口にするたびにいつも「なに?それ」と訊かれたものだったが、NHK『ブラタモリ』のおかげでずいぶん知る人が多くなってきた。そう、番組の中で、曲がりくねった道や道路に残る橋跡を目の前にしたときに、タモリさんが嬉しそうに発する、あの「暗渠(あんきょ)」のことである。
暗渠とは、川や水路の水の流れを地下に移したもののことだ。私は、これをもう少し広く捉え、単なる川跡・水路跡まで含めて暗渠と呼んでいる。詳しく確認しないと下に流れが今もあるかどうかわからないし、もし流れがなくても、そこにはまだ川の魂が残っている、と考えたいからだ。
川の暗渠化は、主に街づくりに伴って行われるもので、特に、近代から現代にかけて多くの川や水路が水面を失くしている。それはここ横浜でも同じだ。
例えば、伊勢佐木町は現在中村川と大岡川に挟まれたエリアにあるが、そこにはかつて小松川、桜川、富士見川、日ノ出川、吉田川、新吉田川、新富士見川、派大岡川などの河川が存在していた。しかしこれらは、『横浜タイムトリップ・ガイド』(2008年刊 講談社)によれば、明治5(1872)年から昭和52(1977)年の間にすべて埋め立てられ、消滅している。
横浜中心部だけではなく市内のどの区であっても、さらにおよそ人の住むところであれば全国のどこにでも、暗渠はあると考えていい。
かちかちにアスファルトで固められていたとしても、周りより低いところを這う道や、へびのようにくねる道はないだろうか。大きな荷重が道にかからないよう入口を車止めが守っている道はないだろうか。通る人もなく、粗大ゴミなどが放置された苔むす細道はないだろうか。
そこは、やがて横浜の海までつながる川の跡、暗渠かもしれない。
千代崎川という暗渠
数多ある横浜の暗渠の中でも、私が特に好きなのが、中区千代崎町の南端を流れていた千代崎川という暗渠だ。
この川の主な水源は3つあり、南区山谷から流れ出す猿田川、中区寺久保に発する簑沢川、同じく中区根岸台の根岸森林公園を貫いて下る江吾田川である。これら3本が、中区山元町の「簑沢入口」交差点付近で合流し、千代崎川と呼ばれる川になる。千代崎川は、JR根岸線山手駅を囲む丘の北側を回り込み、その後本牧通りを南から北に越えて海へと向かって流れていく。昭和37(1962)年頃に全面が暗渠化されたという。
ネットや地元図書館の地域資料でこれくらいの見当をつけたら、あとは実際歩いてみるに限る。街は、かつての川を感じるたくさんの手がかりにあふれている。それを見つけに行くのだ。
暗渠歩きとは、まるで街を舞台に失われた川を探し歩くRPG(ロール・プレイング・ゲーム)である。人気ゲームにあやかれば、さしずめ「アンキョ・クエスト」といったところか。
街に埋めこまれた「手がかり」
私が初めて千代崎川アンキョ・クエストをしたのは、南区山谷に始まる猿田川源流付近からだった。
いざ下流に向けて歩き始めようとすると、暗渠端の家の庭先から、こっちを見ているおじいちゃんがいることに気づく。よし、さっそくお声がけをしてみよう。暗渠歩きをより充実させるコマンド(ゲーム上の行動指示)は、「じぶんから えがおで あかるく ごあいさつ」なのである。もちろん、ご近所の方々に不快感を持たれないようにするための配慮のつもりであるが、これをきっかけに昔の川の様子など貴重な情報をいただくこともある。おじいちゃんにご挨拶し、ここはもともと川だったんですよね?と文字通り水を向けると、
「そうそう。きれいな水が流れてたよ。川がなくなるまでは、蛍が飛んでたくらいだから」
と嬉しそうに思い出話を聞かせてくれた。
このような手がかりは、より精度の高い妄想の役に立つ。おじいちゃんの話を元に、蛍舞う美しい水辺を脳内に思い浮かべたら、いよいよゲームのスタートだ。
中区大芝台の丘の下を進む。この地形もひとつの手がかりだ。谷底の道を歩けば、ここに川が流れていたという事実も素直に納得である。このまま水の気持ちになって進んでいこう。
その先、簑沢入口交差点あたりまで来ると、「本当はこっちを流れていたんじゃないか」と思うような怪しい隙間を見つけてしまう。手がかりによっては、本当の流路はどっちだと迷うことにもなるが、それもまた愉しい。
交差点を越えて山元町2丁目に入ると、おそらく流れは幾手にも分かれていたのでは、と思える複数の路地が現れる。多すぎる手がかりに混乱し、迷路のような暗渠で行き止まりにはまってしまった。その時だ。傍らの家の裏口からおばあちゃんが出てきて、暗渠に渡した物干し竿に、洗濯物を干し始めたではないか。今だ。「じぶんから えがおで あかるく ごあいさつ」。
かくしておばあちゃんから、正確な流路とともに、水面がある頃の貴重なお話を聞かせてもらうことができた。
-
- 本郷町2丁目に残る「市場橋」親柱。左から右へと千代崎川が流れていた。
筆者撮影
やがてステージは、中流~下流域へ。本牧通りを北に横切って、かつての上台公設市場跡(現ヒルママーケットプレイス本牧店)まで進んでいこう。なんとここには、「市場橋」という銘板を掲げる橋の親柱が、今でも残っている場所なのだ。事前調査でわかっていた手がかりではあるが、その実物の前に立ってこそ、こみあげてくる思いがある。役目を終え、誰からも忘れ去られたようにひっそり佇むその姿を見ていると、足元から、小さいけれど確かな川のせせらぎが聞こえてくるようだ。
その先は、北方町と本牧町の町境を刻みながら小港橋で横浜の海へと流れ込み、ここでいったんゲームは終了となる。
暮らしと共にあった川
源流から海まで4キロメートル程度の小河川であるが、その暗渠歩きはまるで冒険であった。これに味をしめた私は、この後何度も千代崎川を歩いてはさらなる手がかりを探しまわっている。前述のおじいちゃん、おばあちゃん以外にも、たくさんの方にお話しを聞いてみた。
そんな中で、面白いことに気がついた。千代崎川の昔の話を語るとき、その全員が「いい顔」になるのである。そして、川を渡った先にあった駄菓子屋に下駄履きで通った話、新婚時代に使っていた川沿いの銭湯の話、引っ越してきたばかりの時に生まれた息子の話など、いつの間にか川の話に被せるように、当時のご自身のエピソードを語ってくれるのである。いろいろな人の思い出の傍らに千代崎川があり、皆がそれぞれの「千代崎川クエスト」を愉しんでプレイしてきたのだ。そしておそらく今も、皆の心には千代崎川が流れているのだ。
この川以外にも、横浜の人々の暮らしと共にあった川や暗渠は、きっとあちこちにたくさんあることだろう。しかし千代崎川に惚れ込んでしまった私は、お気に入りのRPGを延々プレイし続けるかの如く、これからもこの暗渠に通うことだろう。そしてそこで出会った人々に、「じぶんから えがおで あかるく ごあいさつ」をするのだ。
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