Web版 有鄰 第588号 『もっと悪い妻』/桐野夏生 ほか

第588号に含まれる記事 令和5年9月10日発行

有鄰らいぶらりい

もっと悪い妻』 桐野夏生:著/文藝春秋:刊/1,760円(税込)

WEBデザイナーの麻耶は37歳。夫の新、5歳の娘・美織と暮らし、学生時代の元彼で出版社に勤める翔太郎と付き合っている。翔太郎の結婚を風の噂に聞き、張り合うように新と結婚した麻耶だったが、翔太郎と再会。今は新のことも翔太郎のことも好きで、どちらかを選ぶなんてできない(表題作)

ロックバンドのボーカリストと結婚した千夏は、妊娠出産で音楽活動をやめた。今は3歳になる娘の育児と家事を“ワンオペ”で担い、疲れ果てている。千夏抜きで再開したガールズバンドの評判を聞き、夫のバンドでは千夏を悪妻に仕立てた語りが十八番になっていると知って、ライブに乗り込む(悪い妻)

妻の急逝後、雑種犬のハッチと暮らす倉田は、犬の世話以外に生きる張り合いがなく、子供との縁も薄く、親から相続したアパートを取り壊して土地ごと売却しようと考えていた。ところが、一人だけ立ち退かない女性と親しくなって――(みなしご)

他に、離婚後一人で暮らすタクシー運転手が、年の離れた女性に想いを募らせる「武蔵野線」、都内の戸建てに釣られて結婚したが、夫婦仲がすっかり冷えてしまった「残念」など、6編を収録。さまざまな「妻」の様子と心理を描き出し、著者の巧さと人間の奥深さに唸る短編集。

ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一:著/新潮社:刊/2,090円(税込)

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』・表紙

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』
新潮社刊

2014年に発覚した中咽頭ガンは寛解したが、20年6月に直腸ガンの診断を受けて暮れに転移が分かり、「何もしなければ余命は半年」と告げられた。本書は、世界中が疫病に見舞われた20年に自身の病と向き合わざるを得なくなった著者が、晩年の足跡を語り下ろした一冊だ。

「1 ガンと生きる」では、ガンの再発と大手術、術後のせん妄体験、『戦メリ』に対する思いなどを語る。「2 母へのレクイエム」は、母の死後に作曲した『箏とオーケストラのための協奏曲』(10年)のこと、「3 自然には敵わない」は、11年3月に発生した東日本大震災と被災地支援プロジェクト、「脱原発」をテーマにしたフェスティバルの開催などを語る。旅と創造、最初のガン、恩人との別れ、新たな才能との出会い、病の再発。音楽家として、命が尽きる瞬間まで生き抜いた足跡が読める。

〈より高く、より速くという競い合いに熱狂するというのは、優生思想に極めて近い。そうでない社会を目指したい〉(21年7月)。聞き手は鈴木正文氏が担当し、著者の最期の日々を綴った鈴木氏による書き下ろし原稿も収録。未来へ遺すものとは何だろうか。幼少期から57歳までを振り返った『音楽は自由にする』(2009年)に続く語り下ろし自伝である。

サクラサク、サクラチル』 辻堂ゆめ:著/双葉社:刊/1,870円(税込)

中高一貫の進学校に通う高校3年生の染野高志は、早朝から深夜まで勉強漬けの日々を送っていた。ある日、校内で体調を崩し、同じクラスの星愛璃嘉と初めて話す。人形のように可愛いが無表情な星は、誰とも話さずにクラスで浮いていた女子生徒だ。

それからもたびたび体調を崩した高志を見て、星は「パニック発作」と言い、高志の家庭状況を『虐待』だと断言する。星は母子家庭で、母親の育児放棄と依存、貧困に悩み、同じ匂いがする高志を気にかけた。高志の家は裕福だが、両親から過剰な期待をかけられている。「東大に受かったところで、どんないいことがあるの?」と星に問われた高志は、大学合格のその先を考えたことがなく、答えられなかった。〈母親の世話をするために生まれてきた星さん。/両親の虚栄心を満たすために生まれてきた僕〉。深く共鳴した二人は、《復讐計画》を始動させる――。

著者は1992年、神奈川県生まれ。東京大学卒業。2015年に小説家デビューし、22年、『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。本書では、追い詰められていた二人が出会い、将来を模索する過程を精緻に描く。《復讐計画》の行方に引き込まれる長編青春ミステリー。

百年の藍』 増山実:著/小学館:刊/2,200円(税込)

1923(大正12)年8月、画家の竹久夢二に憧れて上京した鶴来恭蔵は、浅草の凌雲閣(浅草十二階)で車夫の政次と知り合う。恭蔵は夢二の絵の『あお』、とりわけ藍色に魅了されていた。運よく夢二と会えた恭蔵だったが、翌日の9月1日に関東大震災が発生。母を亡くした少女りょうを助け、夢二との約束を反故にしてしまう。

書生になる夢を諦め、恭蔵はりょうを連れて岡山県に帰ることにする。政次が配給品で見つけたアメリカ製の青いズボンを餞別にくれ、色落ちすらしている藍色を美しいと思った恭蔵は、アメリカのズボンを自分の手で作る、新たな夢を膨らませる。

岡山県の児島に帰郷した恭蔵は足袋の製造・販売を営む実家を頼り、りょうは児島の街が好きになる。しかし、戦争が始まり、鶴来家は大きな被害を受ける。戦後、鶴来の会社の復興に奔走したのはりょうだった。りょうは恭蔵の夢を忘れなかった――。

日本におけるジーンズの歴史から着想を得て、国産ジーンズを夢見た男と、その夢を繋いで生きた人々を描いた長編小説。描かれるのは、1923年から2023年まで100年にわたる。震災、戦争、時代に翻弄されながら、夢を抱き、当時を必死に生きた人々の姿と思いが切々と伝わってくる物語である。

(C・A)

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