Web版 有鄰 第439号 『オトナ語の謎。』/糸井重里 ほか
有鄰らいぶらりい
『オトナ語の謎。』
糸井重里:監修/ほぼ日刊イトイ新聞:刊/1,300円+税
「オレ的にはアグリーできかねるんだよね。」という言葉が、表紙の表題の頭に刷りこんである。こういう言葉遣いは、学生など若者が生み出したものと「私的には」思っていたが、この本によると、そうではない。
「私としては」と言うと、あまりに個人的で、のち責任が重くなってしまうため、やや出所を曖昧にしたいという「オトナ心」が生み出した言葉が「私的に…」だという。
世話になっていようがいまいが「お世話になっております」という一言が、オトナの世界における万物の始まり。逆に世界が終わる日に交わされる挨拶は、向こうからお願いされていたことであろうがなかろうが、「よろしくお願いいたします」など、約700のオトナ語をシニカルな解説で紹介している。
たとえば、「それでは、みょうにち朝イチに御社受付へ手前どものにんげんが参上いたしますので」という言葉には何と6種類のオトナ語が使われている。なるほど、学生は「明日」を「みょうにち」とは言わないし、御社、手前ども、にんげん、参上、いずれも使わないだろう。
ちなみに「手前ども」は、へりくだることを追求し続けた末の、オトナたちの主語という。おもしろい。
『仏教と資本主義』 長部日出雄:著/新潮新書:刊/680円+税
西欧の資本主義が、キリスト教のプロテスタントの倫理を背景に生まれ、発展してきたことは、よく知られているが、キリスト教とはゆかりがなかった日本では、それより800年も前に、一人の仏教僧が資本主義を開いたとする独創的な視点に立った論考である。
その僧の名を行基という。行基は大化の改新の直後、遣唐使として唐に渡った道昭の下で仏教を学んだ先覚者だ。だが、最澄、空海、法然、親鸞などのように、それほど有名でないのは、前半生が謎に包まれているからだという。すなわち、行基は18歳から27歳まで山にこもり、修行に明け暮れた。再び世に現れ、布教を開始したときは、“妖僧”として嫌悪された。
それが脚光を浴びるに至るのは、平城京建設に際して貢献したからだ。このころ、工事のために駆り出された役民は、食もなく惨憺たる目に遭っていた。その役民に救いの手を伸ばしたのだ。
行基は土地のある豪族から土地を出させ、役民から労力を提供させ、役民から労力を提供させ、井戸を掘り、灌漑を起こし、橋を架け、荒野を沃地にした。その根底には、仏教の理念があったという。
仏教伝来直後からの、このような産業振興の精神は、その後も今日まで、日本人の根底に流れているのかもしれない。
『残る蛍-浜藻歌仙帖』 別所真紀子:著/新人物往来社/1,900円+税
近世史上並びなき女性俳諧師・五十嵐浜藻の人と連句の世界を描いた作品――といっても浜藻を知る人は少ないと思うし、筆者も、この著者の前著『つらつら椿』を読むまでは知らなかった。
文化のころ、連句作者として数々の名作を残した俳諧師で、この作品はその人間的魅力と身分を超えた一座連衆の交わり、連句の感興を、美しい文体で描き出している。
浜藻は江戸の俳諧師・夏目成美の愛弟子だったが、成美が卒中で倒れた後、その文台を継がされ、連衆をとりまとめた。連句とは、まず、五・七・五の起句(発句)が選ばれ、これに七・七の脇の句が選ばれる。さらに、これに五・七・五の長句を添え、以下同様に表六句、裏六句で歌仙を巻くのである。一茶もこうした連衆から出た俳人だ。
浜藻の連衆には商家の旦那衆や手代、同心から10代の少女まで多彩。江戸市中だけでなく旅に出て歌仙を巻くこともあり、楽しい雰囲気の中にもことばの美学があふれている。
そうした中で意外な事件もからめて展開していくが、タイトルの「残る蛍」は秋に入っての季節外れの蛍の意で、「道連れの残る蛍でありにけり」と浜藻が実らぬ恋の胸中を詠んだ句にちなむ。
『アッシュベイビー』 金原ひとみ:著/集英社:刊/1,000円+税
『蛇にピアス』で芥川賞を受賞し、話題を呼んだ作者の受賞第1作。やはり卑猥な性語のオンパレードでたじろがされる。
主人公の私はキャバクラでアルバイトをしている20代の女。学生時代ゼミで知り合ったホクトと同じマンションでホームシェアをしている。「ただいま」の代わりに「くそ」と言って玄関に入る生活だ。ホクトとは恋人同士ではない。むしろ性的には関心がない方だ。
ホクトは出版社の編集者だが、親戚の子と称する幼女を連れてきて、同じベッドで寝て、その性器や口と性交している異常な男。やがて私も、そんなホクトと交わるようになる。
しかし、私が好きなのは、ホクトの同僚で、指が細かくてきれいな男性だ。私は夢中になる。夢中になって、我慢できなくなり、この男を誘惑し、性交を重ねる。だが、私は、レズでもある。友だちの女の子をホテルのトイレに誘い込み、奔放の限りを尽くす。
この作者はいったい何を言いたいのだろうか。『蛇にピアス』のような身体改造願望もなく、ただただ性に溺れる女の日常が展開される。それにしてもこの小説を“声に出して”人前で読める人がいたら、偉い。タイトルの意味も評者には不明です。
(F・K)
※「有鄰」439号本紙では5ページに掲載されています。
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