Web版 有鄰 第484号 書店文化と地域振興に功績 -有隣堂名誉会長 松信泰輔氏を偲ぶ-/紀田順一郎
書店文化と地域振興に功績
-有隣堂名誉会長 松信泰輔氏を偲ぶ-
神奈川近代文学館館長
紀田順一郎
有隣堂名誉会長の松信泰輔氏が亡くなられた。まことに惜しまれることである。
生前の松信さんについての思い出は、単に私の執筆活動の上で、たとえば「日書連」主催の催しや本紙『有鄰』の座談会などで謦咳に接する機会があったというにとどまらず、もっと人生的な記憶に深くつながっているような気がする。
戦争の始まる直前、私は父に連れられて伊勢佐木町の白亜2階建ての有隣堂に出かけ、「ここは横浜で一番大きな本屋だから、おまえも上の学校に入ったら、ここで本を買いなさい」といわれた。父は松信さんと同様Y校(現横浜商業高校)卒だが、学問嫌いの祖父に反抗しながら、この店で1冊1冊円本を購入したという。父は間もなく他界したが、戦時中私は遺品の本箱を覗くことで読書に入門したのである。
終戦直後の書物払底時代、有隣堂が本牧三之谷の倉庫で営業を再開し、『コンサイス英和辞典』を販売していると聞き、私は2、3キロ離れた千代崎町の自宅から、テクテク歩いて行った記憶がある。それは店頭に見当たらなかったものの、全国のどこにもない、市中の古本屋では闇値がついている辞典を、ごく当然のように定価販売したという美挙の噂は、小学生の私の耳にも入ってきた。
進駐軍兵士で溢れかえった伊勢佐木町に見切りをつけるように、野毛三丁目の繁華街に営業所を新設したのは、社史によると1947年(昭和22年)10月というが、私は通学の帰途、毎日のようにこの店に通った。入口近くの平台には角川版『昭和文学全集』第1巻の横光利一『旅愁—全編』のうずたかい山。中央の棚には坂口安吾『白痴』、花田清輝『復興期の精神』、大岡昇平『俘虜記』、大佛次郎『帰郷』といった新刊がズラリと並び、奥には大きな文庫本コーナーに予約受付の窓口など、文運盛んな情景がいまでも眼前に彷彿とし、身震いするほど本が読みたかった中高生時代と正確に重なるのを覚える。
そのころ松信さんは伊勢佐木町の接収解除を目指して活動を続けておられたというが、念願かなって現在地に本店ビルの完成を見たのが1956年(昭和31年)2月。開店の日に頂戴した記念品は特製ケース入りの文庫解説目録で、有隣堂にふさわしいものだった。
松信さんの姿がより大きく見えるようになったのは、私が30歳前後から文筆生活に入ってからだ。沖縄につぐ長期接収により、経済も文化も枯渇した横浜の状況に異を唱えた人は少なくなかったが、その裏付けとして東京集中の全否定、地域社会の連帯回復を主張し、さらに書店業を文化の拠点として位置づけた人は寡聞にして知らない。
いま、戦後20年以上も鉄条網が残っていた横浜中心部の光景を記憶し、文化復興の基礎を築いた一人、松信さんを思い起こすのは私だけではあるまい。謹んでご冥福を祈りたい。
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