Web版 有鄰 第496号 横浜開港150年・有隣堂創業100年「横浜を築いた建築家たち」(9) 成富又三(1881−1955)

第496号に含まれる記事 平成21年3月10日発行

横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(9)

成富又三 (1881−1955)
――大正・昭和初期の県営繕の「偉大なるワンマン」

吉田鋼市

加賀町警察署

加賀町警察署
1980年8月撮影

成富又三は、大正期と昭和初期の神奈川県営繕部門の中心人物である。佐賀県の出身で、佐賀県立工業高校を出て岡山・香川・鹿児島各県に勤めた後、大正2年に神奈川県に勤務。間もなく県営繕の実質的なトップとなる。昭和11年までの23年間在職して、「偉大なるワンマン」と評される存在感を示した。当時の営繕部門は設計・積算・工事監理を直接行っていたから、多数の建築技術者を擁しており、最盛期の震災復興期には百数十人にも達した。成富は長い間その指導者であり、建築家・技術者の大集団を率いて多くの県の施設を建てたのである。

成富はまた、「成富様式」の名とともに記憶されている。彼は、内部のメンバーに対しても、外部の施工業者に対しても、厳格で潔癖な対処で知られたというから、「成富様式」は単に造形的なスタイルのことだけを指しているのではなく、設計の手法から始まって施工監理のやりかたまで、一貫した県営繕の全体的な標準を意味しているのかもしれない。しかし、やはり設計においても、すぐれた模範を提示していたことはまちがいないであろう。現に、加賀町警察署(当初と前後の向きが変わったが、建て替えの時に玄関部分などを再現)、伊勢佐木警察署、戸部警察署、県立商工実習学校(横浜市大岡健康プラザとしてファサードを再現)など、よく似たスタイルを持つ仕事が見られる。中央の玄関部分を丸く突出させ、左右を対称的にするものである。それらは、みな非常に安定感があり比例感もすぐれており、典型的な「成富様式」といってよい。もちろん、県立金沢文庫などユニークなものもあり、決して杓子定規なわけではないが、彼はみんなが納得する一種の完成された手本をつくりあげたのであり、指導者であると同時にすぐれて建築家であった。

成富時代の遺産も上述の施設はじめ記憶に残る寿警察署・県立高等女学校(県立平沼高校)・県立女子師範学校(横浜国立大学付属横浜小学校)など次々と姿を消してしまった。増改築されながらも最近まで存続していた日本赤十字社神奈川県支部もいま建て替え工事中である。おそらく唯一の希少な存在が、横浜地方気象台(昭和2年、当初は神奈川県測候所、昭和14年に国に移管)であろう。彼自身の望みは、おそらくいまの県庁舎の建設であったろうが、結局ほとんど関わっていない。

吉田鋼市 (よしだ こういち)

横浜国立大学大学院教授。

※「有鄰」496号本紙では4ページに掲載されています。

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