Web版 有鄰 第582号 「ドルフィン」をつくった男 /中村圭子
第582号に含まれる記事 令和4年9月10日発行
「ドルフィン」をつくった男 – 海辺の創造力
中村圭子
「山手のドルフィンは静かなレストラン」と、ユーミンが「海を見ていた午後」に歌って有名になった「ドルフィン」(注)……この店の最初の経営者は、山川惣治という絵物語作家である。
山川は終戦直後「少年王者」で爆発的な人気を得、その後も「少年ケニヤ」や「少年タイガー」等をヒットさせた。
絵物語とは紙芝居から発展した読物で、紙芝居の絵の面と説明文を紙面に並べたスタイルである。それまで主流だった「小説に挿絵を添えた」読物より絵の比重が大きく、これが発展して後に劇画が生まれたと言われている。漫画を大雑把に滑稽漫画と劇画系漫画(あるいは子供向けと大人向け)に分けた場合、従来からの滑稽漫画は、笑いをねらったもので絵も簡素だが、劇画は複雑なストーリー展開と、綿密に描き込まれた絵によるもので、その元祖である絵物語を始めた山川は、もともとは紙芝居作家だった。小学館の社長が山川の紙芝居「少年王者」に着目し、絵物語として関連会社・集英社から1947年に刊行したが、その売れ行きは爆発的で、小さかった集英社が、この1作で大出版社になった程である。
異国の密林に取り残された日本の孤児が、仲間の獣たちとともに戦いながら成長し、ついには王者となって森の平和を護るという「少年王者」のストーリー……つまり、最も弱かった者が最強の王者に成長する話は、敗戦後の疲弊した日本人を勇気づけた。続く「少年ケニヤ」や「少年タイガー」も同様の展開で、これらは新聞に連載され、大人をも子供をも熱狂させた。
しかし、日本が復興を遂げ経済大国になった頃から、山川の人気は落ち、1967年に自らの出版社・タイガー書房を興したが、失敗。邸宅を売って、家族とともに横浜市中区根岸旭台の地に移り住みドルフィンを開いたのは、1969年。彼は61歳だった。店の実務は次男にまかせ、山川は毎日、客席の一角に座って海を眺めながらスケッチをしていたという。かつて一世を風靡した者にとって、それはある意味失意の日々だったとも言えよう。
ここでユーミンの歌を思い返せば、あの歌は失恋の歌である。以前恋人とともに来たレストラン・ドルフィンに、今はひとり来て、過ぎた日々を回想するという歌なのだ。しかし、悲哀や絶望は感じられず、聴く者にもたらされるのは、むしろ癒しである。はるかなる眺望……「晴れた午後には遠く三浦岬も見える(実際には見えないという説もあるが)」という雄大なスケール感の中で、失恋の悲しみは薄れてゆく。「ソーダ水の中を貨物船が通る」という歌詞によってもたらされる、海と空のはざまに浮かんでいるような浮遊感が、現実世界の苦しみを忘れさせてくれる。
山川はドルフィンを1982年まで続けた後、都内のマンションに引っ越し、83年、最後の長編作品「十三妹」の連載に着手した。
海は、様々な力を秘めている。人の傷を癒し、再生させる力もまた、海の魔力のひとつなのかもしれない。
(注)「ユーミン」はシンガーソングライター・松任谷由実(旧姓荒井由実)の愛称。同曲リリースの1974年以前からドルフィンを訪れていたとされる。
(弥生美術館理事)
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