Web版 有鄰 第587号 昆虫食の魅力と可能性――過去から現在、そして未来へ――/内山昭一
第587号に含まれる記事 令和5年7月10日発行
昆虫食の魅力と可能性
――過去から現在、そして未来へ―― – 2面
内山昭一
食べる楽しさ・出会いの楽しさ
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- セミ幼虫のチリソース炒め
殻を剥いたセミ幼虫をチリソースで炒める。
夏の昆虫料理の定番。採集も容易。
『くいしん坊!万才』というテレビ番組があります。そのホームページに「くいしん坊松岡修造が全国各地の名物料理や郷土の味・珍味に挑戦!その土地の歴史や文化、人々の暮らしにふれ、食べることの喜びや出会いの楽しさを伝えます。」とあります。昆虫食の魅力の一つはこの〈くいしん坊〉にあるのではないでしょうか。
衣食住のなかで生存に一番必要なのはいうまでもなく〈食〉です。少なくとも〈くいしん坊〉の私にとって「食べることの喜び」や「出会いの楽しさ」を実感できたのは昆虫食でした。
1998年に多摩動物公園で食用昆虫展があり、世界ではいまでも20億人が2千種類の昆虫を食べていることにとても驚きました。昆虫は食べるものがないときに仕方なく食べるものという先入観がありました。それでも食用昆虫展に行った仲間と何かのきっかけで、翌1999年に多摩川の河原で獲って揚げて食べたトノサマバッタが私の昆虫食の原点でした。新鮮な野生をいただくことで「食べることの喜び」を五感で味わうことができました。それをきっかけに昆虫の試食会を開くと好奇心旺盛な男女が集まりました。今日まで20年以上欠かさず試食会を続けてこられたのは、「食べる楽しさ」と同時に、魅力的な人たちとの「出会いの楽しさ」があったからでしょう。
昔から食用とされたコオロギ
「コオロギ食」が飢餓対策として急浮上してきたとしてSNS上で議論になっています。「これまで食べなかったのになぜ急に食べないといけないの? ホントに安全なの?」というコメントがよく見られます。そこでコオロギについて時代を遡って見てみましょう。
きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしきひとりかも寝む
これは百人一首にも入っている『新古今和歌集』の藤原良経の歌です。この歌のきりぎりすはいまのコオロギのことです。また『万葉集』には次の歌があります。
庭草に村雨ふりて蟋蟀の
鳴く声聞けば秋づきにけり
この歌の蟋蟀は古保呂木(コオロギ)と読みます。秋の鳴く虫全般が「コオロギ」で、その中でも特に声の良いコオロギが「キリギリス」と呼ばれ、やがて今のキリギリスが「キリギリス」と呼ばれ、古名の「コオロギ」が今のコオロギの呼び名になったようです。なんだかややこしいですね。
コオロギのなかでも鳴き声の心地よい「エンマコオロギ」ですが、顔が閻魔の憤怒相を思わせるためこの名がついたといいます。またコオロギは姿形が見た目でゴキブリに似ていることもあり、昔の人はこの黒い体に不吉なものを感じていたようですし、今でもコオロギ食の心理的な大きな壁になっています。私見ですが本元の中国の明代の薬学書『本草綱目』にその記述がないのに『漢方医学大辞典』に微毒、妊婦不可とした理由のひとつがこの辺にもありそうな気がします。
医学的には『漢方医学大辞典』の微毒、妊婦不可は根拠がなく、最新の研究「コオロギの経口毒性の研究と皮膚感作試験」(アメリカ国立医学図書館)でも毒性がないことが立証されています。中国語の生薬関係のサイトをみてもコオロギに毒性があるとの記述は見当たりません。虫類の薬効を研究する薬剤師・鈴木覚さんによると、コオロギは腸チフスの解熱に有効であり、それを裏付けるようにタイワンエンマコオロギより解熱成分のグリピリンが分離され、解熱作用、血管拡張、血圧降下作用があるそうです。このほかに利尿作用があることで、よほど過度な摂取をしない限り脱水症状の恐れはなく、微毒、妊婦不可とするのは論理の飛躍です。アボカド、ほうれん草、パセリ、コーヒーなど利尿作用を促す飲食物は多く、老廃物や毒素の排出、むくみ改善に効果が期待できます。三宅恒方が1919年に著した「食用及薬用昆虫ニ関スル調査」にも直翅目蟋蟀科(つまりコオロギ)が載っています。
欧州食品安全機関は2022年、コオロギはアレルギー反応を誘発する可能性以外、ヒトの消費に対して安全であると結論づけています。それを受けて欧州委員会は、ミールワーム、トノサマバッタに続き、コオロギを「新規食品」として正式に認可しました。昆虫を食べるか食べないかは消費者の自由な選択に任されており、昆虫は新たなたんぱく源ではなく、昔から世界各地で食べられてきた食べ物、というのが欧州食品安全機関(EFSA)の基本的な考え方です。
コオロギはいま初めて「食料危機の救世主」として登場したのではなく、昔から食用とされ、甘辛く煮たり、炒ってすりつぶして味噌と合わせてコオロギ味噌にして食べられていました。ではなぜ今では昆虫を食べなくなったのでしょうか。生態学に「最善採餌理論」があります。捕食者(採集者)は食用可能な獲物のなかから、追跡し、捕らえ、調理するという一連の作業の労力を考え、最もコスト・ベネフィット(費用・便益)比の良い食べ物を選ぶというものです。海外から安価な肉や魚が輸入されるにつれて、昆虫が“お徳用”ではなくなってしまいました。もう一つの理由は無菌至上主義です。「昆虫はどれもバイ菌をまき散らす汚いもの」というイメージが定着し、嫌悪の対象になり、食卓から消えていってしまいました。
「わたしたちが昆虫を食べないのは、昆虫がきたならしく、吐き気をもよおすからではない。そうではなく、わたしたちは昆虫を食べないがゆえに、それはきたならしく、吐き気をもよおすものなのである。」といみじくもマーヴィン・ハリスは『食と文化の謎』で書いています。
食料危機と昆虫食
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- 日本初の食用昆虫図鑑
筆者監修『食べられる虫ハンドブック』
自由国民社:刊
温暖化による気候変動で干ばつ・洪水などの自然災害が多発し、追い打ちをかけるようにロシア侵攻など紛争が各地で勃発し、加えてコロナウイルス感染症が猛威をふるい、パンデミックの脅威に晒されてきました。食料危機の予兆ともいえる小麦やトウモロコシなどの国際価格が急騰し、食料の奪い合いが地球規模で起こってもおかしくない状況といえます。日本の食料自給率はカロリーベースで38%(令和3年度)と低く、飼料にいたっては25%と極めて低い値となっています。
少子高齢化が急速に進み労働力不足が深刻化する日本において、自給率をどう向上させ、高齢者も生きがいをもって働ける場をどう構築していったらいいのでしょうか。
農林水産省は2021年5月に気候変動対策として「みどりの食料システム戦略」を策定しました。ここでは環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進が謳われています。
持続可能な高齢化社会の実現のためには「地方分散型」が望ましく、そのためには昆虫養殖も以下の理由で「地域活性化」「地産地消の促進」「自給率の向上」を促す選択肢の一つになります。
●昆虫養殖は畜産や養鶏に比べて低予算で始められるため家族経営に向いている
●狭い土地と少量の水で飼育でき、飼育のための専門知識もそれほど必要ない
●高齢者にとって日々の生活にリズムができ、一定の収入も得られることで、充実した日々を送ることができる
昆虫は地球に優しい持続可能な食材と謳われています。ただ伝統食としてイナゴやハチノコの佃煮は知られていますが、昆虫料理の分野はまだまだ未開拓です。そこにこそ昆虫の食材としての魅力と未来の可能性が拓けているのではないでしょうか。
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