Web版 有鄰 第590号 100回を迎える箱根駅伝 /近藤雄二
第590号に含まれる記事 令和6年1月1日発行
100回を迎える箱根駅伝 – 特別紙面
近藤雄二
箱根から育った五輪代表
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- 2017年箱根駅伝のスタート
提供:早稲田大学広報室
新春の国民的行事として定着した箱根駅伝が、今年1月2、3日の大会で、第100回の節目を迎える。
大正9年の1920年、東京高等師範、早大、慶大、明大による「四大校駅伝競走」として第1回が行われて以来、戦争での中断を挟んで104年。昭和、平成、令和へと元号が変わる中、沿道の人々から愛され、学生ランナーの晴れ舞台として、日本長距離界に不可欠な存在へ成長してきた。
咋年10月15日のパリ五輪代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では、男子は東農大出身の小山直城(ホンダ)が1位、拓大出身の赤崎暁(九電工)が2位でゴールしてパリ五輪の切符を獲得。3位には早大出身の大迫傑(ナイキ)が入った。意表を突く独走に挑み、レースを盛り上げて4位に食い込んだのは学習院大出身の川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)だった。
4人とも、タイプは違うが、いずれも箱根駅伝を走ったランナーだ。
小山、赤崎の2人は、大学時代は共に突出した成績を残していないが、社会人になってから地道に力を伸ばした新鋭。大迫は、ユニバーシアード1万メートルで金メダルに輝くなど学生時代から世界を視野に、東京五輪マラソン6位のエリートランナー。36歳の川内は、埼玉県の公務員ランナーとしてボストンマラソン優勝を果たし、プロに転じてMGCが通算130回目のフルマラソンという、常識破りの個性派ランナーだ。
箱根から育った多様なキャラクターの選手たちが五輪代表の座を懸け、特長を生かして最後まで競い合った姿には、箱根駅伝創設者の金栗四三も、空の上で目を細めていたことだろう。
箱根駅伝の始まり
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- 金栗四三 23歳
提供:玉名市立歴史博物館こころピア
そもそも、箱根駅伝はなぜ生まれたのだろうか。その原点は、金栗の味わった「悔しさ」にあった。
金栗は1912年、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピアンとしてストックホルム五輪に派遣され、男子マラソンに出場。しかし、日射病のため途中棄権に終わった。その翌日、痛恨の思いを日記に記した。
「大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日なりしに。しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」
行間からは、はるばる日本から派遣されて最悪の結果に終わった無念、世界と日本の差を思い知らされた嘆き、それでも屈辱に耐え、日本のマラソンが世界に通じるまで力を尽くそうという強烈な決意が、痛いほどに伝わってくる。
この日記の1ページが、箱根駅伝の原点といっても過言ではない。日本人として初めて立った五輪の舞台で自信を打ち砕かれた金栗が、どうしたら世界と戦えるランナーが育てられるのかと考え抜く中、浮かび上がった一つのアイデアが箱根駅伝だったのだ。
箱根駅伝が始まる3年前、「東京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競争」という、京都・三条大橋から東京・上野不忍池までをリレーする日本最初の駅伝が、読売新聞社主催で行われた。関東組と関西組で競い、勝利した関東組のアンカーが金栗だった。ゴール目前の銀座以降は、まともに道を走れないほど、応援の観衆に取り囲まれ、大盛況の下で終幕を迎えたという。
この経験を通じ、金栗は、個人スポーツの長距離走をチームスポーツに変える「駅伝」が、人々を熱狂させるパワーを持つことを知った。そして、一度に多くの選手を育成できる駅伝が、長距離ランナー発掘にぴったりのイベントだということも、確信したのだった。
そして、当時のスポーツの担い手は主に大学生。そこで、東京高等師範出身の金栗らの呼びかけで、まずは早大、慶大、明大を加えた4校による学生駅伝をスタートさせた。これが、箱根駅伝の始まりとなった。
戦時下の学生駅伝
この強化策は、すぐに成果を出した。8年後の1928年アムステルダム五輪では、同年の箱根に特別参加した関西大の津田晴一郎がマラソンで6位入賞。この後、津田は慶大に入って箱根を走り、1932年ロサンゼルス五輪のマラソンでも5位と、2大会連続の入賞を果たした。
さらに、1936年ベルリン五輪では中大の村社講平が5千、1万メートルの両種目で4位入賞。同五輪の記録映画「民族の祭典」には、村社が1万メートルでフィンランド勢3人を向こうに回し、果敢に先頭を引っ張る展開に、ヒトラーがひざを盛んにさすり、興奮した様子で見守る姿が収められていた。
このベルリン五輪では、男子マラソンで孫基禎が金メダル、南昇竜が銅メダルを獲得した。いずれも当時日本の統治下だった朝鮮半島出身選手で、南は同年の箱根駅伝で明大の3区を担った選手だった。箱根駅伝を走って五輪のメダルを獲得したランナーは、今に至って南ただ1人しかない。
この後、箱根は苦難の時代を迎える。日中戦争が激しさを増し、1941年の大会は中止せざるを得なくなった。その年の12月8日には真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入し、翌42年の大会も開催できなかった。
それでも、当時の学生たちは駅伝開催を、あっさり諦めたわけではなかった。
実は1941年には、時局の悪化で東海道を使うことができなかったため、学生たちは箱根に代わって明治神宮と青梅を結ぶ「東京青梅間大学専門学校鍛錬継走大会」を開催した。この大会は箱根駅伝の歴史には含まれていないが、同年に2度開かれている。
そして1943年、学生たちが知恵を絞ってひねり出したのが、「戦勝祈願」の名目で大会を開くことだった。関東学連の「箱根駅伝七十年史」には、法大OBで関東学連幹事だった中根敏雄さんが「戦勝祈願駅伝競走という考え方で、靖国神社―箱根神社という案を出したところが、それなら検討しようということで、だんだん煮詰まってきました」と、陸軍との交渉過程を振り返っている。
こうして実現した「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」には11校が参加。号砲前、選手や関係者は靖国神社を参拝し、戦勝を祈願してからスタートしたという。
その後、戦局の悪化で再び中断。1947年に再開を果たしたが、この際も、復員したばかりの学生たちが、今度は連合国軍総司令部(GHQ)に掛け合って開催の許可を得たという。
戦争という苦難に際しての、学生たちの箱根駅伝への熱い情熱には驚くべきものがある。金栗のまいた長距離ランナー育成の種が、既にしっかり根を張っていた証しといえるだろう。
パリ五輪への期待
それから、戦後の箱根駅伝が始まるが、いつの時代でも、箱根を走ったランナーたちは日本の長距離界を引っ張ってきた。2021年の東京五輪まで、五輪代表となった箱根駅伝経験者は延べ100人を超えた。1983年に始まった世界選手権にも延べ80人を超えるランナーを送り込んできた。
そして、世界選手権では、1991年東京大会で日体大出身の谷口浩美がマラソンで金メダルを獲得。1999年セビリア大会と2005年ヘルシンキ大会のマラソンでは、中大出身の佐藤信之と山梨学院大出身の尾方剛がいずれも銅メダルと、90年代以降、世界の表彰台という、金栗が目指した輝かしい成果も挙げるようになった。
ところが、である。こと五輪となると、箱根駅伝出身のメダリストは、先に記した通り、朝鮮半島出身の南昇竜1人だけなのだ。
日本男子長距離のメダリストは、孫基禎、南昇竜を含めて計5人。残る3人はいずれも日本出身のマラソンランナーで、まず1964年の東京五輪で円谷幸吉が銅メダルを獲得し、4年後のメキシコ五輪で君原健二が銀メダルで続いた。さらに1992年バルセロナ五輪では森下広一も銀メダルに輝いた。しかし、この3人は高校から実業団へ進んだ選手で、世界選手権とは対照的に、なぜか箱根ランナーは1人もいない。
日本生まれの箱根ランナーから、五輪メダリストを育てるという金栗の夢は、実は箱根駅伝創設から1世紀以上が過ぎて、未だ果たされぬ悲願のままなのだ。
そこで、今回のMGCでパリ五輪代表に決まった選手を見ると、不思議な縁を感じることになる。2位で初の五輪出場を決めた赤崎は熊本県出身で、同県出身のマラソン代表は金栗以来100年ぶり。しかも、金栗が3度目の五輪として挑んだ1924年大会の開催地も、なんとパリだった。
箱根駅伝が第100回の節目を迎える年のパリ五輪に、金栗が出たパリ五輪以来100年ぶりに熊本出身者がマラソンに出場する――。何やら「そろそろ頼むぞ!」という、天国の金栗さんの声が聞こえるようではないか。
マラソン以外にも期待の精鋭がいる。順大4年生の三浦龍司だ。大学2年だった東京五輪では、3千メートル障害日本人初の入賞となる7位。咋年の世界選手権では一歩前進の6位入賞を果たし、「1、2番に食い込むのはまだまだと思うが、3番は現実味がある」と表彰台を視野に捉えた。
今年のパリ五輪で、金栗の悲願を叶える箱根ランナーは現れるのか。それは第100回大会を走る学生の中から生まれるのか。そんな夢と期待も込め、今年正月、節目の箱根駅伝を見守っていただければと思う。
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