Web版 有鄰 第498号 絵画における真実と事実 『中世鎌倉美術館』補遺の記/岩橋春樹
絵画における真実と事実
『中世鎌倉美術館』補遺の記 – 特集2
岩橋春樹
作品に向かい合う基本的あり方を補遺する
近々、『中世鎌倉美術館』と題して有隣新書に1冊を加えることとなった。中世鎌倉の美術史論を絵画中心にまとめたものである。中世鎌倉の美術の展開を3つの視点に分けてとらえ、それぞれ筋の良い、特色ある作品をもとめて、それぞれ意義を問うた内容である。
パースペクティブの第一は、鎌倉の地にあった人々に通底する標準的な美意識はどのようなものであったかということ。第二は、禅宗美術の造形の核心について。第三は、予想以上に豊饒な室町時代の美術的成果についてである。作品の選択などには意図するところもあり、述べている内容も従来の通説とはやや肌合いを異にしているかもしれない。しかし、先学諸氏がこれまで積み上げてきた業績にいくらかでも新たな美的視点を付加できたのではないかと考えている。御一読いただければ幸甚である。
ただ、原稿を読み返してみると、作品に向かい合う際の基本的あり方について触れるところが少なかったように思う。いわば大前提となる事柄であるが、その肝心の部分について、世間一般どうも誤解があるようにも思うので、この紙面を借り、補遺の記として私見を述べておきたい。
それは絵画における「真実」と「事実」とは峻別しなければならないということである。
画面に描かれた事象は人為的に改変されている
絵画作品、例えば絵巻などをビジュアルな史料として積極的に利用しようとする向きがある。いわゆる「絵巻を読む」といった考え方である。歴史学、民俗学の分野にそのようなアプローチを試みる人が多く、それはそれで一つの方法論に相違ない。
その影響なのであろう、よく学生諸君から絵巻の描写を素材にして、中世の什器の研究をしたい、服飾の研究をしたい、等々と申し出を受けることがある。しかし、美術畑にスタンスをとる筆者としては、そのような研究手法には少々異議を唱えたくなるのである。描かれた事象を疑いの無い事実として受けとめて良いのかどうか。直接の一次資料として使うことには危惧があり、できれば副次的な資料にとどめておくのが無難だと思うからである。
絵画作品は眼に映る対象の形姿をそのまま写しとれば良いというものではない。その本旨は、眼には見えない心的、精神的価値を対象にもとめる、あるいは対象に投影することにある。あえていうなら、可視的要素はそのための方便でしかない。その目的を果たすために、往々にして画家は描く対象に人為的改変をほどこして表現するのである。ためらいなく形を変え、色を変え、配置を変える。そこに創み出されたものは、客観的事実ではないけれども、絵画的には真実なのである。
そうした意味で、絵画作品は所詮、美術的要請にもとづく絵空事なのだと割り切っておかなければならない。下世話な言い方をするなら、相当に嘘つきですからご用心あれということになる。
作例に見る演出効果
絵空事の事例をいくつかあげてみよう。まず、四季山水図と呼ばれる風景画。春夏秋冬、四季の景観を一つの画面に展開する趣向の画題である。屏風に描かれる場合が多いが、図巻形式のものもある。春の花、夏の水辺、秋の紅葉、冬の雪が画面に同時に描かれている。さすがに四季の各景物が入り乱れて混在配置されることはなく、屏風であれば、向かって右の春景から始まり、順次左へ季節が流れるように画面構成されるのが通例である。
いうまでもなく、これは現実にはあり得ない景観であり、事実ではない。しかし、我々はこうした四季山水をいささかも不自然な様態とは考えないのである。許容できるかどうかという話ではなく、ごく当たり前のこととなる。そのような心の回路が生来備わっており、四季の移ろいの中にこそ風景の真実があると信じて疑わない。事実ではないといいつのったところで、無粋の極みでしかない。優れて高度な絵画表現であり、まさしく絵画的真実というべきである。
風景といえば、風景構成を実景とは異なる配置に変更してしまう事例も少なくない。その典型的サンプルとしてよく知られているのは、司馬江漢が描いた一連の江の島図である。江漢は江戸時代、洋風表現に果敢に挑戦した人であるが、好んで江の島を描いている。その多くは鎌倉七里ヶ浜から江の島を見やり、その向こうに富士山を遠望する構図となっている。
いくつか作例を見て当惑するのは富士山の位置で、江の島の右に構図されるもの、左に構図されるもの、2通りのパターンがあることである。実景に則するならば、富士山は江の島の右側に位置しなければならない。
この問題については、既に論考があり、展覧会などでも紹介されている。江漢は、江の島という実景を題材に選んで、風景表現の実験を繰り返していたのである。富士山を右に置いたり、左に置いたり。また、江の島と富士山の大きさのバランスにも工夫を試みている。真実と事実、2つの要素の狭間で江漢は揺れ動いていたともいえよう。
作品を見るかぎり、あるがままに描いた図では、どうも風景の広がりが弱い印象がある。事実とは異なっていても、江の島の左側に富士山を置き換え、その姿も小さくしつらえる方が、鑑賞者の視線はなだらかに誘導され、のびやかな風景空間がより効果的に演出されるようである。これもまた風景表現そのものに狙いを定めた絵画的真実といえよう。
というわけで、画家は実直に写生していたいたわけではなく、計算ずくで画面作りをおこなっていたという点を承知しておかなければならない。絵巻の画面などでも事情は同様で、描かれた様相をそのまま鵜呑みするのは冒険に過ぎて、とてもできない。
時宗の開祖、一遍の伝記絵巻である一遍上人絵伝(一遍聖絵)。下野国小野寺で俄雨に遭遇し、寺の一堂に雨宿りするくだりは美しい風景描写で知られる場面である。その画面を点検してみると、諸堂屋根の稜線、地形の輪郭、群衆の動きによって形作られた2つの平行四辺形の合成によって堅固に構成されていることが分かる。鑑賞者の視線をその平行四辺形に沿って導こうとする画家の仕掛けが組み込まれている。実景にどれほど潤色を加えたかは不明だが、きわめて人工的な作られた景観描写なのである。
あるいは、九州肥後国の御家人、竹崎季長の文永・弘安の役における戦功と、恩賞をもとめて鎌倉にのぼった物語を描いた蒙古襲来絵詞。恩賞を差配する安達泰盛に甘縄の邸で対面する場面もよく紹介される。そこに描かれた邸宅が安達泰盛邸を正確に伝えているとは考えにくい。一見、大和絵の常套的な屋台表現にとどまっているとするのが穏当な解釈である。
レプリカは事実であっても真実にはなりえない
真実と事実の比較論はレプリカ(複製品)の是非というテーマにも発展するので、話を更にそちらへ進めたい。ここでいうレプリカは無論、美術工芸品のレプリカである。レプリカだからといって馬鹿にしてはいけない。伝統の職人技と現代の先端技術を併せて駆使すれば、実物と寸分違わない精巧な仕上がりが実現可能なのである。まず99パーセント同じものを再現できるといって良い。ただし、100パーセントではない。そして、その差、1パーセントとは何かといえば、実物そのものではないということである。
この実物ではないというところがくせ者で、1パーセントのマイナス要素が場合によっては30パーセントにも50パーセントにも拡大してしまう。いくら正確に形姿を再現することができても、実物ではないという負の要素は予想外に重いのである。
作品はそれぞれ美的な力を内在しており、いわばオーラを周辺に放射する。眼には見えず、感性で受けとめる価値であるが、それこそが作品の生命である。その本質にかかわるところがレプリカ制作では果たされない。うわべをいくら整えても、それだけでは感動を生まないだろう。すなわち、レプリカは正確な事実であっても、真実にはなりえないのである。
明確に峻別したい真実と事実
こうしたレプリカ否定論は心情的な思い入れにすぎないと一蹴する意見もあるだろう。事実、レプリカを評価するかどうか、博物館世界では一定共通の位置付けが確立していない。レプリカを積極的に活用する館がある一方、冷淡な対応に終始する館もある。実態に則せば、レプリカの是非はさておき、実物資料が十分に無いから、やむなく利用しているというのが本音かもしれない。ここでも個人的意見を申し述べておけば、やはりレプリカには賛意を評しがたい。念押しまで、くり返せば、事実であっても真実ではない点が決定的なウイークポイントだからである。
レプリカは普及教育の素材にとどめておくのが穏当な扱いであろうと思う。作品を真剣に鑑賞し、対峙しようとすらならば、展示ケースのガラスごしでも良いから、実物を選択すべきである。きわめて優れた仕上がりのレプリカがあったとしても、それを用いて論文や評論を書くことができるだろうか。というより、書いてはなるまい。また、少しく卑近な例をあげれば、博物館の展示に多数のレプリカが並んでいた時、払った入館料を損してしまったような気持ちになった経験はなかっただろうか。
以上、極端にはしった局面を強調し過ぎたかもしれない。大方の作品は真実と事実、2つの要素をともに備え、ほど良く整合させた良識派なので安心されたい。とはいえ、真実と事実とは明確に峻別していただきたいこと。そして同時に、絵画作品、その画面に提示された情報の丸投げ丸呑みは感心しないけれども、過剰に警戒する必要もありませんよというのが本稿の趣旨である。
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