Web版 有鄰 第498号 『隅田川の向う側』/半藤一利 ほか
有鄰らいぶらりい
『隅田川の向う側』 半藤一利:著/創元社:刊/1,500円+税
子供の頃、飽かず眺めた道路工事。働いている一人が昼休みに表通りに出ようとして「あっ、いけねえ、ハダカだ」と言うなり、腰の手ぬぐいを両肩にかけて歩き出した光景を目に焼き付ける。
何十年ぶりの炎暑にぶつかった小学1年生のとき、校門を出ると真っ裸になり、肩に手ぬぐいをかけ、猿股まで押し込んだランドセルを背負って意気揚々と帰った。途中で、おや、坊や可愛いチンポコねえ、などと言われたが、着いた家では母親の怒髪が天をつき、ハダカではないという反論は通じず、両手両足を縛られて押入れに放り込まれるという重刑にあったという。
原っぱでの相撲に熱中した餓鬼大将時代、当時3歳か4歳の痩せて目玉の大きい子が年長者を相手に、いつもうっちゃりだけで勝つのが気に入らない。正攻法の突撃精神でいけ、と拳固を見舞った。子供の名は王貞治。後年、一本足打法の威力をテレビで見るたびあの足腰はオレが鍛えてやったのだとつぶやいたとか。
生まれ育った東京都墨田区を回顧した「隅田川の向こう側」。空襲で被災、疎開した新潟県長岡市の生活を描いた「わが雪国の春」。旧制の浦和高校から東大を通じボートに熱中した「隅田川の上で」。全盛時代の浅草を主題にした「観音堂の鬼瓦」の4章構成。
著者が16年間に出した豆本年賀状の4年間分を1冊にまとめた本。
『浮き世のことは笑うよりほかなし』
山本夏彦:著/講談社:刊/1,700円+税
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- 『浮き世のことは笑うよりほかなし』
講談社:刊
「人間は『経験』しないんじゃないか」というのは、戦災や関東大地震について清水幾太郎と語った時の著者の言葉。テレビのセットについて語り合った向田邦子との対談では「死んでからも売れる人がいますが、あれは例外でしてね。小説家も役者と同じなんですよ。10年ひと昔、10年たつと皆忘れられます」。
著者が「編集兼発行人」だったインテリア誌「室内」で聞き手をつとめた対談から17編を選んでいる。安部譲二、天野祐吉、藤原正彦、出久根達郎、池部良などバラバラな職業の個性的な人たちだが、やはり、というか聞き手の方の言葉が目立つ。
昔、無駄をなくすのが設計と思っていたという画家の安野光雅氏には「あの頃、『動線』ばかりやかましく言う建築家がいて、縁側も廊下も、何もかも無駄だと言ったんです。彼らが日本中の家をメチャメチャにしたんですよ」。「私はうちの電話機使えなかったりする」というソニーの社長だった盛田昭夫とは、電気製品マニュアル(取扱説明書)の分かりにくさを嘆じあい、「最も知る者は最も知らない者に知らせることはできない」「知らせようとしてはならない」という鉄則をたてなければならない、と言う。
『れんげ荘』 群ようこ:著/角川春樹事務所:刊/1,400円+税
大手の広告代理店をやめ、実家も出て、部屋代3万円のおんぼろアパートに住み始めた45歳の独身女性、キョウコの生活を描く。
営業職の第一線にいたキョウコは、バブル時代、天井知らずの交際費で毎夜、クライアントの接待に追われていたが、次第にそうした生活に疑問を持つようになる。
母に尻を叩かれて分不相応な家を買い、ローンの支払いに追われていた父が、バブルが崩壊した直後に急死。それを機に会社に申し出て事務職に移り、定時に帰れるようになったが、かわって母親の延々たる愚痴に付き合わされる羽目になる。肉体的には楽になった事務職も、同僚の女性たちの悪口と噂好きに悩まされる。営業職のとき給料を使う暇もなかったので貯金もあり、兄夫婦が同居することになった機会に、会社を辞め家も出ることにしたのだ。
2階建てだが1階にだけ3人が住んでいる古アパートの部屋は6畳に台所が半畳。トイレとシャワー室は共同。夏は蚊が押し寄せ、冬は隙間風が吹き込み凍える寒さ。一度訪ねてきた母は、みっともないと怒り口もきかなくなる。
ここで始まったキョウコと隣人たちの生活が淡々と描かれていく。
『由宇の154日間』 たからしげる:著/朔北社:刊/1,200円+税
もうすぐ3歳になろうとする直前に、風邪をこじらせて死んでしまった幼い女の子、由宇。その魂は大好きだった両親のいる地上を離れ、天界であるアシャドへ赴くという幻想的な物語である。
肉体という衣を脱ぎ捨てた由宇の魂は、まもなく大人の思考と言葉を身に付けはじめ、目にも見えず耳にも聞こえない存在になって、しばらく両親のそばにとどまる。
それから「人生には、これから楽しいことがたくさん待っていたはずなのに、どうしてわたしは死ななくちゃならなかったの?お父さんやお母さんを、あんなに悲しませなければならなかったの?」という疑問を神様にぶつけるために、迎えにきた光の天使オオハクチョウに導かれて、青一色のクリスタル状にきらめくアシャドへ昇っていく。
アシャドの入り口には、由宇が生まれる前に亡くなったおじいちゃんが待っていて、アシャドの門をくぐるには、審査を受けることになると教える。審問官の質問に素直に答えた由宇は、1日でアシャドの門をくぐるが、その過程で、ロウソクの火が一度消えると再び灯ることがないように、人間の命もこの世ではふたたびよみがえらず、幸せも同様にその場限りのもの、ということを悟る。
アシャドにいるはずの神様は由宇の魂にどんな回答を用意したのか。大宇宙の意志の確かな存在と、魂の再生の奇跡をほのめかした物語。メルヘン体だが、家族や知人の死を身近にした人に薦めたい。
(K・K)
※「有鄰」498号本紙では5ページに掲載されています。
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