Web版 有鄰 第498号 横浜開港150年・有隣堂創業100年「横浜を築いた建築家たち」(11)矢部又吉

第498号に含まれる記事 平成21年5月10日発行

横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(11)

矢部又吉(1888−1941)
――ドイツで長く学んだハマっ子建築家

吉田鋼市

旧川崎銀行横浜支店

旧川崎銀行横浜支店日本火災海上保険時代
1984年2月撮影

矢部又吉は、横浜に生まれ元街小学校を卒業したハマっ子建築家である。工手学校(現工学院大学)を卒業後ドイツに留学、5年間滞在してシャルロッテンブルグ工科大学(現ベルリン工科大学)で学び、当地の建設現場でも修行している。帰国後も何度かヨーロッパ諸国を視察旅行しているようであるから、当時のわが国きってのドイツ通建築家であり、有数の本格的建築家だった。

その立派な履歴からすれば、大規模な公的建築をつくっていてもよいように思うが、幸か不幸か終始、旧川崎財閥のお抱え的な建築家であった。しかし、旧川崎銀行(後に川崎第百銀行、第百銀行を経て三菱銀行に合併される)、旧川崎貯蓄銀行(後に三菱信託銀行)、日本火災保険(現日本興亜損害保険)など、旧川崎財閥系金融機関の本・支店をたくさん設計している。代表作は東京・日本橋にあった旧川崎銀行本店(昭和2年)。いまはないが、その玄関部分は跡地に建てられた川崎定徳本館ビルに残されており、ファサードの一部が明治村に移されている。また旧川崎銀行千葉支店は、新しく建てられた千葉市美術館の広大な吹き抜け空間に鞘堂のようなユニークな方法ですっぽり取り込まれて保存されているし、そのほかの支店もいくつか保存活用されている。

矢部又吉は横浜生まれであるが、後の住居も事務所も東京・原宿であったから、横浜との仕事の縁は特段に深いわけではない。それでも16にもおよぶ建物を横浜に建てている。残念ながら完全に残されたものは結局なくなってしまったが、横浜における代表作ともいうべき旧川崎銀行横浜支店(大正11年、現日本興亜馬車道ビル)のファサードは2面が残されているし、旧川崎第百銀行横浜支店(昭和9年、元三菱銀行横浜支店)も高層マンションになる時に、オリジナルの扉を残しつつファサードが再現されている。また、現在改築工事中のストロングビル(昭和12年)も、玄関周りを残してファサードが再現されるという。

銀行建築が業績の大半であるから、堅い古典主義建築ばかりを設計したようであるが、その作品には一貫して柔らかさがある。また、ストロングビルにはシンプルさが見られるし、一部の住宅にはモダニズムの片鱗も示している。もっと自由な展開が見られたかもしれない将来を、53年間という短い生涯が奪ってしまった。

吉田鋼市 (よしだ こういち)

横浜国立大学大学院教授。

※「有鄰」498号本紙では4ページに掲載されています。

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