Web版 有鄰 第584号 知ってうれしい品種のふるさと――神奈川生まれの品種たち/竹下大学
知ってうれしい品種のふるさと
――神奈川生まれの品種たち – 2面
竹下大学
誰かの出身地がついつい気になってしまう。これはいったいどうしてなのだろうか。
初対面の人からスポーツ選手、芸能人はもちろんのこと、前を走る車のナンバーを見てうれしくなったりしてしまうのは。
高校野球や大相撲、プロスポーツチームの活躍など、メディアが地元意識をかきたててくれるからなのだろうか。人物やスポーツに限らない。ご当地ソング、ご当地グルメ、ご当地グッズまで。案外、唱歌「故郷」の影響も大きいのかもしれない。
人間関係が希薄になっていくばかりの現代日本。一方では、「同郷のよしみ」という言葉すら、滅多に耳にしなくなってしまっているような気もする。
ご当地農作物といったら
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- 『野菜と果物 すごい品種図鑑』
エクスナレッジ
私たちが毎日食べている農作物ではどうだろう。野菜や果物については、ふだんから国産表示を意識している人は結構多いように見える。農産物直売所に人が集まるのも、鮮度と安さだけを求めての行動ではないだろう。きっとご当地産にも惹かれているはずだ。
神奈川県を代表する農作物といったら、ダイコンとキャベツ。都道府県別ランキングでは、神奈川県産の出荷量はそれぞれ第5位と第6位になっている。さらに市町村別ランキングに目を移すと、三浦市の奮闘が見えてくる。第1位が定位置だった秋冬ダイコンでは、鹿児島県に次いで僅差の第2位。春キャベツでも第3位なのだ。
ここで三浦大根と三浦の春キャベツの歴史を紐解いてみよう。
三浦半島でダイコンが生産された最も古い記録は、天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』とされる。ただこの当時栽培されたのは、小さなねずみ大根であった。重さ3キログラムを超えるあの三浦大根の原型が生まれたのは、大正末期なのである。これ以降昭和50年半ばまで、肉質が緻密で煮物に向く三浦大根は、三浦半島の特産品としてその名をほしいままにしてきた。これを一変させたのが、関西から広まってきた青首ダイコンであった。栽培と収穫に手間のかかる三浦大根は、生産者が作りたがらなくなり、今では三浦産ダイコンのなかでも1%程度にすぎない。
かたや三浦市農協が育成した「レディーサラダ」のように、うれしい話もある。「レディーサラダ」は三浦産ダイコンに新しい価値をもたらそうとして、昭和63年(1988)に生まれた赤ダイコンだ。サザンオールスターズの「みんなのうた」は、この年にリリースされている。手軽にサラダに彩りを加えられる「レディーサラダ」は、今も全国から引き合いがある。
キャベツが三浦半島南端で初めて栽培されたのは、昭和23年(1948)頃とされる。当時のキャベツは冬キャベツであり、葉の柔らかい春キャベツが生産されるようになったのは昭和41年(1966)からであった。「金春」や「金系201号」といった品種を育成したのは、横浜市営地下鉄ブルーライン仲町台駅前に本社を構えるサカタのタネである。「金系201号」はかつて藤沢市にあった長後農場生まれだ。
神奈川生まれのレジェンド品種たち
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- 『日本の品種はすごい』
中公新書
ダイコンとキャベツ以外にも神奈川生まれの品種はある。それこそ日本全国に名を轟かせたレジェンド品種たちだ。
まずはナシの「長十郎」。明治22年(1889)に川崎大師のすぐそばで発見され、大正時代には全国生産量の6割を占めた。その後も長く主要品種であり続けたから、「幸水」とは異なるガリガリとした食感を思い出した人もいるかもしれない。
「長十郎」は既に幻の品種となってしまったが、昭和2年(1927)に発表されたにも拘わらず、現役バリバリの品種もある。「幸水」「豊水」に続く生産量第3位の「新高」だ。「新高」は県農事試験場があった二宮町で誕生した。
もともとは渋柿しか存在しなかったカキにおいて、日本最古の甘柿とされる「禅師丸」も川崎市生まれだ。こちらは鎌倉時代が始まってまもない建保2年(1214)、王禅寺の山中で発見された。「禅師丸」も大正時代に生産の最盛期を迎え、「富有」が広まるまでは主力品種であり続けた。
ブドウの「藤稔(ふじみのり)」は藤沢市生まれで、「巨峰」や「ピオーネ」よりも大きな黒ブドウとして大人気になった。ブドウ農家の青木一直が育成し、昭和60年(1985)に品種登録されている。藤沢で稔ったというのが名前の由来だ。
余談だが、サザンオールスターズの「真夏の果実」の果実は、残念ながらくだもののことではない。
明治半ばに丹沢山中で発見されたワサビ「半原」も優れた耐病性と鮮やかな緑で一世を風靡した。発見者である染谷九一が、現在の愛川町半原地区で生産を始めたためにこの名がついた。目下、地元の名産品としての復活に向けた取り組みが行われている。
湘南を名乗る品種たち
神奈川県を代表する地名といえば、東京生まれの私にとっては湘南が一番だ。県外の人ならたいていそうだと思う。
湘南の二文字を見たり聞いたりした時に、何がふっと頭に浮かぶだろうか。世代による違いはあるにしても、江の島、サーフィン、海の家。サザンオールスターズに加山雄三といったところだろう。湘南ボーイ、湘南爆走族、湘南乃風も時代を彩った。
ただ、湘南に縁が深い人ならばこちらかもしれない。昭和25年(1950)に登場した湘南電車。昭和45年(1970)に開通した湘南モノレール。平成6年(1994)に交付された湘南ナンバー。平成12年(2000)に誕生した湘南ベルマーレ。この翌年に開業した湘南新宿ラインのおかげで、通勤が便利になったからという人もいるだろう。
ところが湘南は、古くから使われていた地名ではない。「長十郎」が発見された明治22年(1889)に小倉村と葉山島村が合併し、造語で湘南村と名付けられたのが始まりだ。
品種名に湘南を冠した最初の作物は、赤タマネギの「湘南レッド」である。「湘南レッド」を二宮町にあった神奈川県農業総合研究所園芸分場(現神奈川県農業技術センター)が育成したのは、昭和36年(1961)。加山雄三の若大将シリーズ第一作「大学の若大将」が公開された年だ。また、かつては灯台としても機能していた横浜マリンタワーがオープンした年でもある。
タマネギは加熱しなければ食べられないと思われていた時代。サラダの彩りに最適だとして、生でも辛味が少ない赤タマネギを、湘南から日本の食卓に送り出したのだ。つまりスライスオニオンという、新しい食文化を日本に定着させた品種なのである。「レディーサラダ」のコンセプトは、「湘南レッド」譲りともいえよう。
じわじわと人気が出てきた品種に、カンキツの「湘南ゴールド」がある。県農業技術センター足柄地区事務所が育成した「湘南ゴールド」は、足柄上郡開成町生まれだ。品種登録出願された平成12年(2000)には、サザンオールスターズの「TSUNAMI」が発表されている。
同じく県が育成したネギ、昭和生まれの「湘南」や平成生まれの「湘南一本」も、県内ではなくてはならない品種として受け入れられた。
ところが、「湘南ポモロン」というなかなかブレイクできない品種もある。ネーミング頼みでヒットするほど世の中は甘くはない。「湘南ポモロン」は、県農業技術センターが育成した縦に長い中玉のトマト。加熱調理にも向くおいしい品種なのだそうだが、栽培し難い点が生産者に嫌われてしまい、生産量が増えずにいる。
じつは国産のトマトケチャップが初めて作られた場所は、かつての子安村、現在の横浜市神奈川区、京急新子安駅近くなのだ。清水屋がこのトマトケチャップを発売したのは、明治29年(1896)のこと。これは、カゴメの創業者蟹江一太郎が、愛知でトマトケチャップを発売した明治41年(1908)よりも早い。
さあ、どうだろう。加熱調理用のトマトとご縁があったと知ったところで、「湘南ポモロン」に興味が湧いてきただろうか。有名にはなりきれれないところに愛着が増してしまうのも、ご当地ものならではの価値なのだから。
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