Web版 有鄰 第600号 特別寄稿 「はじめて」の横浜 /角田光代

第600号に含まれる記事 2025/9/10発行

特別寄稿  「はじめて」の横浜

角田光代

私のなかの横浜

仕事相手が私のプロフィールを作成してくれたときに「横浜市出身」と書いてあると、「神奈川県出身」と書きなおす。というのも私が生まれ育ったのは横浜市ではあるけれど、海側ではなく山側の横浜市で、一般的にイメージされる横浜とは違う。それで、私はなんとなく「一般にイメージされる横浜」にたいして、横浜市出身と名乗るのは申し訳ない気がするからである。

では一般にイメージされる横浜、というのは何か、といえば、いちばん多いのは元町中華街のあたりではないだろうか。山下公園、元町、中華街、港の見える丘公園、外人墓地、みなとみらい、馬車道、桜木町、野毛、それから横浜駅周辺。私からすればはなやかな大都会ゾーンだ。

私にとって横浜とは、といえば、自分の生まれ育った町ではなくて、横浜駅周辺のあたりを指す。そのあたりは、子どもの私にとって唯一の都会だった。世界のまんなかだった。

小学校から高校まで通った学校も、よく遊びにいった祖母の家も、横浜駅に近かった。学校は反町で、祖母の家は東神奈川である。毎日学校にいくし、長い休みは祖母の家によくいっていたので、田んぼの多い自分の家の周囲より、横浜駅あたりのほうが身近に感じていた。バスで1時間かかるにしても。

横浜駅の西口には三越があり、入り口にはライオンの像があって、子どものころの私はこのライオンにまたがりたくてしかたがなく、おばに頼んで像にのぼったことがある。小学校1年生のとき、この三越の隣あたりにマクドナルドがはじめてできて、ハンバーガーとポテトを買ってもらった。その場で食べてはだめだと言われて、バスで1時間かけて家に持ち帰り、食べた。冷めていてもポテトはびっくりするくらいおいしくて、弁当に入れてほしいと母親に頼んだ記憶がある。

スカイビルというのっぽのビルがあって、そこでピアノと習字を習っていた。このビルのてっぺんには回転するレストランがあった。壁面がガラスになっていて、床が回転し、食事をしながら横浜の景色が見下ろせるようになっていた。

かつての有隣堂横浜駅西口店(昭和43年頃)有隣堂蔵

かつての有隣堂横浜駅西口店(昭和43年頃)
有隣堂蔵

西口からこのスカイビルにいくのに、地下街を通るのだが、この地下街に有隣堂があった。この書店が私にとってのパラダイスだった。こんなに本がある場所は、学校の図書室以外にない。しかも図書室と違って本がぜんぶぴかぴかして、手招きしている感じがする。

ほかに娯楽も少なかったせいもあって、小学校に上がったときから私は本が好きだった。本を読ませておけばしずかにしているので、ほしい本はたいてい買ってもらえた。洋服は買ってくれなくていいから、そのぶん本を買ってほしいと、幼い私は言ったそうである。大人になった今思えば、安上がりな子どもである。

中学校に上がると活動範囲も広がった。学校帰りに友だちと、横浜駅周辺以外にも、関内にいき山下公園にいき中華街にいき元町を歩いた。横浜駅周辺以外の、「一般にイメージされる横浜」は、私にとっては大人っぽい場所ばかりだった。中華街でフルコースを食べるわけにはいかないし、元町で好きなだけ買いものできるわけでもない。だから、ただ見て、歩いた。

東京に進学して

年齢が上がるにつれて行動範囲は広がり、横浜ばかりでなく、学校帰りや休みの日に友だちと鎌倉にいったり江ノ島にいったり、東横線で自由が丘や代官山に遊びにいくようになり、次第に、横浜だけが都会ではない、横浜が世界の中心ではない、ということを知っていく。

それでも地下街にある有隣堂は、中学に上がっても高校生になっても、子どものときとまったく変わらずずっと私のパラダイスだった。行動範囲が広くなっても、有隣堂ほど大きな書店はほかになかったからだ。

中学生になって文庫本を買うようになると、文庫カバーの色を選べることを知り、買うたびにわくわくした。親に買ってもらうのではなく、自分のこづかいではじめて単行本を買ったのもこの書店である。ちなみにそれは井上ひさしの『吉里吉里人』である。あまりにおもしろくて読みやめられず、学校に持っていって、授業中に机の下に隠して読み続けたほどだった。

高校3年に上がり、志望校を決めるころになると、私は横浜ではなく東京を向くようになった。夏期講習は東京の予備校に通ったし、模擬試験を受けにいくのも都内だった。

進学先が東京になり、横浜駅も元町も中華街も急速に遠のいた。大型書店は大学のある町にも乗換駅にもあったし、さらには駅から大学までの道は古本屋街だった。

通学に時間が掛かるので、大学3年生のときに都内に引っ越してひとり暮らしをはじめた。そうなると私の活動範囲は完全に東京になり、横浜は降り立つこともほぼない町になってしまった。書店、映画館、公園、コンサートホール、ショッピングビル、ファストフード店、横浜にしかなかったはずのものは、東京にはもっともっとたくさんあった。

私が高校生のころから大学を卒業するまでに、横浜もずいぶんと変わった。そごうができてみなとみらいができて、スカイビルも姿を変えて、ライオン像にのぼった三越もなくなった。あっという間に、私のまったく知らない町になってしまった。知らない町になったから、ますます足は遠のいて、ごくまれに横浜駅に降り立つことがあると、工事をしていることもあって、どこがどこやらまったくわからず、脱出ゲームをやらされているような気持ちになってしまう。わかりづらすぎて、今はもう、できればいきたくない。

丘の上と坂道の記憶

昨年、母校のイベントに招かれて、本当に久しぶりに横浜方面に向かった。私の通った学校は丘の上にある。多くの生徒は反町駅から坂をあがってくる。バス通学だった私は、六角橋からえんえん歩いて神奈川大学を通りすぎ、長い坂道を上がった。

反町からのほうが近いのだが、東横線を白楽で降りて、歩いてみた。六角橋商店街はあまり変わっていないけれど、バス通りを過ぎるあたりの光景はさまがわりして、記憶と何ひとつ重ならない。それでも歩いていると、未知の町からかすかな記憶が炙り出てくる。

この通りにはお花屋さんがあって、生徒が花を持参しなくてはいけない花の日礼拝の朝、途中で花を買っていくように母親から言われていた小学生の私は、このお花屋さんに寄って、店先に並んでいるなかで、値段のわりには花の種類が一番多い花束を買った。生徒の持ち寄った花はチャペルの壇上に飾られるのだが、私の持参した花束だけなぜか様子が違い、浮いている。それが仏花だったということを知ったのは数年後のことだ。

この角にはたこ焼き屋さんがあって、中学生か高校生のころ、友だちとこっそり寄り道をしてたこ焼きを食べた。びっくりするほどおいしいのだが、せいぜい食べられるのは6個くらい。いつか大人になったら、何十個とたこ焼きを食べたいと真剣に願ったことも思い出した。

坂道には昔、滑り止めのOリングがあり、小学生の私はOリングを踏んだらいけないというルールを作って、友人とこの坂を上り下りした。そんなことまで思い出される。

神奈川大学わきの坂道は、終業式のクリスマス礼拝のあと、礼拝で用いたろうそくに火をつけて、友人たちとハレルヤコーラスをはもりながら下った。学校までの20分ほどの道のりの、どこかしこにも思い出が潜んでいて、とおりかかるとふいに炙り出てくるから、つい驚いて目をこらしてしまう。

坂をのぼりきると小学校の裏門がある。そこでやっと私は思い出から解放され、50代後半の自分自身に戻った。

中学高校でのイベント仕事が終わり、帰り道は、反町まで歩くことにした。こちらの道は通学路ではなかったから、知ってはいるけれどなじみ深くはない。丘の上の学校から坂道を下っていくと、前方に大きな夕日が見えた。眼下の家々の屋根が夕日を浴びて金色に光っていて、空の低い部分がうっすらと紺色を帯びている。東京より空が広い。なんてきれいな景色なんだろうと思った。もしこの道が私の通学路で、毎日夕暮れどきにこの坂を下りていたとしたら、しかし私はこの景色をきれいだとは思わなかっただろうと思った。今坂道を下る、制服姿の中高生も、たぶん、こんなにもうつくしい光景のなかを歩いているとは思いもしないだろう。卒業して、ずっと長い時間がたったあと、ようやく気づくのだ、あんなにもきれいな場所に自分はいたのかと。

今はまったく未知の町だけれど、横浜には私の「はじめて」が詰まっている。はじめて映画を見たのも、はじめて学校に通ったのも、はじめて大型書店に足を踏み入れたのも、はじめてマクドナルドを食べたのも、はじめて外食をしたのも、はじめて友だちができたのも、はじめて習いごとに通ったのも、はじめて友だちと寄り道をしたのも、はじめてこづかいで本を買ったのも、はじめて美術館にいったのも、はじめて海にいったのも、はじめてボウリングをしたのも、横浜という町だ。今はめったにいく機会もないけれど、ごくまれにいくと、そこここからはじめての記憶が炙り出されてくる。たのしいことばかりでも、うつくしいものばかりではない。でも、私にもそういう場所があるんだ、とはっとするように思う。横浜は、はじめてのふるさとなのだ。

角田光代さん近影
角田光代(かくた みつよ)

1967年神奈川県生まれ。小説家。『対岸の彼女』で直木賞、『八日目の蟬』で中央公論文芸賞など受賞作多数。近著は『あなたを待ついくつもの部屋』 文藝春秋 1,705円(税込)、『方舟を燃やす』 新潮社 1,980円(税込)など。

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