Web版 有鄰 第594号 有隣堂伊勢佐木町本店の建築を読み解く /中井邦夫

第594号に含まれる記事 2024/9/10発行

有隣堂伊勢佐木町本店の建築を読み解く – 1面

中井邦夫

『横濱建築』有隣堂オリジナルカバー版

『横濱建築』有隣堂オリジナルカバー版

『有鄰』の読者なら、有隣堂伊勢佐木町本店(以下、本店)の建物のことはご存じだろうか。一見何の変哲もない古いビルだが、実は創業者の松信大助が、戦後横浜の復興のために掲げた先進的なコンセプトと、それが具現化されたデザインにより、当時の神奈川県下建築コンクールでも表彰された優れた建築作品なのである。手前味噌ながら、最近筆者が建築監修した『横濱建築』やYouTubeの『有隣堂しか知らない世界』でこの建物を少し紹介しているが、そこでは触れられなかった魅力がまだたくさんある。そこで本稿では、本店の建物の知られざる魅力について紹介したい。

建物の概要

現在の本店の建物は1956年の完成で、当初の階数は地下1階、地上5階、延床面積は2,600平米であった。今の感覚だと小規模なビルに感じるが、1947年に完成していた紀伊国屋書店は木造2階建てで延床面積600平米足らずであったから、本店はその4倍以上の規模を誇り、有隣堂HPによると「エレベーターを備えた国内初の本格的専門店ビル」であった。当初は、公設の美術館がなかった当時の横浜で、人々が芸術文化にも親しめるようにと、様々な展覧会が催されたギャラリーがつくられ、また地下階にはレストランも設けられていた。つまり単なる書店ではなく、複合的な文化施設ともいうべき、当時としては先進的な内容のビルであった。

こうした建物イメージは、戦後、伊勢佐木町の土地を米軍に接収されて野毛で営業していた松信大助が、1951年9月、横浜特別調達局長宛に提出した接収解除の陳情書に、すでに記されていた。そこでは伊勢佐木町の土地に、「読書指導施設」や「展覧会場」なども含む「国際港都に相応しい一大文化センターを建設する」とされ、すでに設計図が添えられていたという。その後の建設経緯はここでは省略するが、残念なことに大助は、着工直前の1953年10月、脳溢血により69歳で亡くなる。倒れたとき新店舗の設計図を握りしめていたという。

建物のコンセプト

この建物の設計施工は竹中工務店だが、有隣堂保管の設計図から、設計担当は伴野三千良であることが分かった。 伴野は竹中工務店のHPで「東京本店設計部発展のキーパーソン」とされている建築家であるが、1948年に竹中へ移る前は、当時の日本を代表する建築家で、後年旧横浜市庁舎(1959)を設計したことでも知られる村野藤吾の事務所で15年間勤めたから、実質的には村野の弟子といえ、後述するように本店のデザインには伴野らしい特徴がよく表れている。

完成時の雑誌に掲載された設計者による解説文によると、大助の要望として、

① 壁面をできるだけ利用し柱型部分もまた独立書架の側面も本を飾り売場全体が本で埋まっていること。

② 一般に今まで多客であった店が新築或いは増改築し、立派にしたところ客が来なくなったということを聞くが、そのようなことのないよう庶民的であらゆる階級の人々が気安く店内に導かれるように、とくに注意すること。

③ 2階・3階には客の足が自然に向くように配慮すること。

が挙げられている。なかでも①が重視され、設計者は、商品の配列に重点を置き、また商品を生かすために内外の意匠はできうる限り単純化し、埋められた書籍自体がもつハーモニーを重視した、としている。この意図は1階売り場の大空間に象徴的に表現されている。以下、この売り場を含め、いくつかの見どころについて説明したい。

1階売り場

「本で埋めつくされた空間」は、天井高さ約5メートルの吹き抜けのなかに中2階をもつ、1階の売り場空間に具現化されている。吹き抜け両側の壁面は全面が書棚となっており、柱型の部分や独立書架の側面にも、本陳列の様々な工夫が施され、とにかく売り場を本で埋め尽くそうとしたことがよく分かる。

『有隣堂100年史』の記述によると、この売り場のデザインには、ニューヨークに建つスクリブナー書店(1913)が参照されたという。E・フラッグというボザール様式の建築家による同書店は、クラシックで壮麗な吹き抜け空間が特徴的であるが、本店の売り場では、前述の設計者の言葉どおり、必要な柱以外の建築的な要素を極力なくし、独立什器類も店内の視線の妨げにならないように注意深くデザインされており、「書籍自体がもつハーモニー」を強調しようとしたことが読み取れる。

大空間の壁面を本で埋め尽くすこと自体は、実は欧州の古い図書館などでもみられる古典的な手法であるが、スクリブナー書店が画期的だったのは、店舗正面を全面ガラス張りとしたことである。同様に、本店の建物も当初は正面が全面ガラス張りで、本で埋め尽くされた売り場が伊勢佐木町通りから丸見えになっていた。また現在の赤い庇が付けられる前は、このガラス面を囲む門型の枠が売り場空間への大きなゲートのようになっていた。これらのデザインには「人々が気安く店内に導かれる」店構えをつくると同時に、通りの空間と売り場を連続させる意図が感じられる。

エントランス

開業当時の伊勢佐木町本店

開業当時の伊勢佐木町本店

当初のデザインでは、正面向かって左の入口を入ると、本のスペースの手前に、ショーウィンドウや、モダニズムの雰囲気が漂う光藤俊夫の絵画、飾り棚などに囲まれたスペースがあり、この建物が単なる本屋ではなく、より広い意味での文化センターであることを象徴していた。一方、正面右のエントランス・ホールには、カーブが特徴的な中2階が奥の壁から大きく張り出している。竣工当時の写真によると、この張り出し部分にはラウンジチェアが配置され、お客さんが売り場や通りを見下ろしながら休憩できる場所となっていたらしい。またその脇の天井には、多くのライトが星のように光るオリジナルの照明が設置されている。その真下に位置する地下階への階段から上を見上げると、カーブする大理石貼りの大壁面に沿って、張り出した中2階や天井のライトが重なるように浮かび、天井の高さを活かしたダイナミックな空間がデザインされている。

階段

エントランス・ホール奥の主階段では、1段目と手すりの端部が、人がアプローチしてくる右方向に微妙に向けられ、また木製手すりは握りやすい断面が工夫され、細い丸鋼を使った支柱が軽快である。一方、現在は後付けの設えに隠れている1階奥の階段には、より自由な造形が発揮されている。その木製手すりの端部は人を迎え入れるように柔らかくカーブし、また階段の踏み板は1段ずつ壁から片持ちで支えられて、まるで空中に浮かんでいるように工夫されている。さらに緩くカーブする壁に沿って、オリジナルの壁付照明が3つ斜めに並ぶ。以上のように、これらの階段には「上階へと自然と人を導く」ための様々な配慮がみられる。

こうした階段のデザインや中2階のカーブしたラインなどについては、伴野の代表作である日活国際会館(1952、解体)のロビーにも似た雰囲気のデザインがみられ、また同時に村野からの影響も感じられる。本店の空間が、モダンでありながらもどことなく柔らかい雰囲気を残しているのは、伴野を介して村野の影響が入り込んでいるためと思われる。

防火帯建築

もうひとつ、本店が戦後復興期の横浜に数多く建てられた「防火帯建築」のひとつであることにも触れておきたい。防火帯建築については、上述の『横濱建築』や著者の関連共著本をご参照いただきたいが、簡単に紹介すると、戦後の日本において、都市不燃化を目指して各地の都市に建てられた、街路に沿って帯状に連なる耐火建築群のことである。なかでも横浜の防火帯建築は、単なる防災目的を超えて、欧州の都市のように中心市街地全体を街区型の建物群で埋め尽くそうとした、当時としては画期的な都市計画であった。その最大の特徴は、隣り合う建物が連なることで、通り沿いの街並みと賑わいのある空間をつくりだす点である。伊勢佐木町通り沿いには、本店だけでなく、その隣や斜め向かいの建物も含めて、今でも当時の防火帯建築が数多く残されており、それらが連なることで、伊勢佐木町通りの街並みと空間がつくり出されているのである。

まちに開かれた文化の広場

ほかにも3階文具売り場の造形的な構造躯体や高い天井など、見どころはいろいろあるのだが、こうした創意工夫を通して、松信大助や設計者が目指したものは何だったのだろう。売り場の大空間を通りと一体化しようとする構想はユニークで、ある意味過激にも思えるが、考えてみれば、もともとお店というのはそのような場所だった。実際、大助が1909年に創業した当時の第四有隣堂の写真をみると、昔ながらの八百屋さんのように、売り場と通りの境界には壁もガラスもドアもない。大助が思い描いていた「誰もが立ち寄りやすい店舗」というのは、このように売り場が通りと連続していて、だれでも自由にふらっと立ち寄れる、まちに開かれた文化の広場のような店舗だったのではないかと思える。

「有隣」は、「徳は弧ならず必ず隣有り」から来ているというが、ここまで見てきたことを踏まえると、単独で孤立せず、隣接する防火帯建築群と連なって街並みをつくり、通りの空間と連続する開かれた文化の広場を創出する本店そのものが、「有隣建築」とでも呼ぶべき、古いようで実は新しい建築の在り方を示しているように思える。

中井邦夫
中井邦夫(なかい くにお)

1968年兵庫県生まれ。神奈川大学建築学部教授。博士(工学)、一級建築士。専門は建築設計・意匠。東京工業大学大学院博士課程修了。著書に『横濱建築』(建築監修)トゥーヴァージンズ 2,200円(税込)、『横浜防火帯建築を読み解く』(共著)花伝社 2,420円(税込)ほか。

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