Web版 有鄰 第597号 村木嵐と『いつかの朔日』
第597号に含まれる記事 2025/3/10発行
村木嵐と『いつかの朔日』
人質として幼少期を過ごした竹千代が、天下人になる
徳川家康を支えた家臣たちの絆を描く、10の物語
村木嵐
撮影/香西ジュン
弱小の松平家に残った、鳥居親子への関心
人質として織田氏、今川氏に囚われていた少年が、やがて天下を取る。徳川家康と家臣たちの不思議な絆を描いた、連作短編集である。
「関ヶ原の戦いの前哨戦で伏見城に籠城した鳥居元忠と、その父親で岡崎譜代だった忠吉。鳥居親子のことを書きたいと、ずっと思っていました。強い武将につくのが当たり前の時代に、なぜ鳥居親子が弱小の松平家に残ったのかが不思議でしたし、周りから人がどんどんいなくなり、取り残されていく忠吉の状況が、私自身と似ている感じがして、関心を抱きました」
初めに書いたのは、「小説すばる」2014年2月号初出の表題作だった。17年までに計10編を連作し、このたび一冊にまとまった。
「家康の周辺には奇跡的な出来事がたくさんあるのに注目して、その謎解きをしてみたい、今回はこの奇跡を描いてみようと物語にしていきました。大きな奇跡だと私が思っているのは、元忠が京都で熱を出して、家康の伊賀越えに同行しなかったことなんです。もし元忠がこの道中で死んでいたら伏見城の籠城はなかったわけで、何かが介在した大きな奇跡だと衝撃を受けました。伏見城の籠城も奇跡なんですが、私には伊賀越えでいなかった方が特別で、不思議な人、元忠を描きたいと強く思っていたんです」
家康の祖父、清康が家臣に討たれて以降、三河の松平家は弱小勢力として艱難辛苦の日々を送る。それでも岡崎譜代の鳥居忠吉は、松平家の嫡男、竹千代(のちの家康)がいつか天下を取ると信じ、息子の鶴之助(元忠)を竹千代の小姓にし、守らせた。
「忠吉が空に幻を見る、竹千代が万軍を率いて進むイメージは私の中にずっとあって、いくつか浮かぶシーンを重点にして一編ずつ作りました。なぜ苦しい状況を忠吉たちが乗り越えられたかというと、先見の明があったんだろうと思います。必ずや天下をお取りくださいという期待が重すぎて、家康の方は嫌だっただろうなと(笑)。忠吉や元忠がこういう人なら家康はこうだったろうと、人間として考えていきました」
視点も切り口も実に多彩な、珠玉の短編集だ。
「忠吉から元忠へ代替わりする間に天下人へと駆け上っていく家康は、時間軸のように鳥居親子の中心にいて、家臣たちを描くうちに影の主人公のようになりました。家康は頭はいいけれどごく普通の人で、自分のご主君には信長のような華はないけれど、放っておけないなという感じだったのではないかと思います。戦国武将で残虐なことをした人は、長持ちしていないんですね。当時の人はむごさをリアルに受け止めていたでしょうし、めちゃくちゃなことをしない、家康の律義さにほっとしたのではないかと。ぼんやりしたイメージから始めた連作でしたが、忠吉には未来の幻が見えていたに違いないと確信を持ちました。初めから家康にかっこいいイメージはなかったんですけど、今もないです(笑)」
なぜそうなったのかを知りたい
1967年、京都府生まれ。京都大学法学部卒業。95年より司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年、『マルガリータ』で第17回松本清張賞を受賞、デビューした。
「小さい頃は、『指輪物語』や『モモ』など外国のものをよく読んでいました。歴史ものが好きだった父の蔵書にムックの『歴史への招待』や司馬先生の全集があって、小学生の頃に読みました。司馬家に行き、司馬先生が分厚い資料を読んでらっしゃるのを見て、どこが面白いんだろう、わかるようになりたいなと思って、作家は憧れの職業でしたが、私には無理だと思い込んでいたんです。江戸時代の火消しの資料を読んで、振袖火事を書きたいと突然思ったのが始まりでした。一つ書いたらもっと書いてみたいと、その延長に今います」
23年刊の『まいまいつぶろ』が第13回本屋が選ぶ時代小説大賞などを受賞し、直木賞の候補作になった。
「気が散る性格で、他にできることはないかととことん考えた時期を経て、ずっと小説を書いていたいと思うようになりました。普段の生活でも、この人はどうしてこうなったのかと一人ひとりに関心を覚えて、追究したくなります。歴史上の人物が何歳のときに何をしたというのはすでにあるので、なぜそうするに至ったのかを知りたいし、書きたい。知りたかったことが物語になる、そんな風に書いていけるといいですね」
(青木千恵)
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