Web版 有鄰 第598号 魅惑の頑固商店街 フジサワ名店ビル /増田隆一郎
魅惑の頑固商店街 フジサワ名店ビル
増田隆一郎
藤沢駅前の秘境
神奈川県の藤沢駅前に、60年前に建てられたビルがあります。竣工当初は単体で立っていたビルですがその後魔改造が施され、近隣に立つ2つのビルと合体して日本建築史上まれにみる秘境が完成しました。
その名はフジサワ名店ビル。かつてアーティストのカザマナオミさんが、「時代が変わって、今のニーズに合わず、トマソンなところがたくさん浮き出てきているところがいい。ピロティみたいな喫煙所、活気のある地下の食品売り場、人間臭さを感じる」と表現した昭和からの商店が数多く入る商業施設であり、藤沢市民の魂の故郷として今なお多くの方々に愛されています。
その地下はまるで東南アジアの市場に来たかのように活気にあふれています。行列が日常となっている魚屋さん・八百屋さん・肉屋さんなどが立ち並び、藤沢市民の台所・周辺飲食店さんの仕入れの場として連日賑わっています。またそこは初めて訪れる人を完全に迷子にさせる迷宮であり、「駅直結の秘境」の名を欲しいままにしています。
1階は婦人服やペットフード、傘やアイスやドーナツなど、多様性の権化フロアであり、サーティワンアイスクリームとペットフード屋さんを合体させたテナントミックスなどは日本で唯一ここだけと言えるでしょう。
また、中2階という誰も辿り着くことのできない最奥の地も存在します。
そして2階から5階には有隣堂さんがあり、昔からの地元民にとって藤沢で本や文具といえば有隣堂さんと相場は決まっていました。
藤沢市民にとって昭和という時代の象徴であるフジサワ名店ビル。私にとってもそこは、中学生の頃にゲームセンターでカツアゲされたり、万引きして捕まったりと、甘酸っぱい思い出がたくさん詰まった場であります。
懸垂幕というラブレター
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- 松本大洋さんによる、名店シンブン第3号の懸垂幕
2020年4月のコロナ禍、フジサワ名店ビルの壁面に「自粛は闘いだべ」という懸垂幕を掲示しました。その横には「魅惑の頑固商店街フジサワ名店ビル」と名前付きで。これはSNSで広く拡散されるとともに、「読売新聞」などの多数メディアにも取り上げられました。その反応の多くは好意的な声である一方、「ビルなのに商店街 笑」や、「“だべ”なんて藤沢の言葉でない」、「駅前に汚い言葉を出すな」など様々な形の反響を頂きました。
この懸垂幕は、縁あって2018年よりフジサワ名店ビルのオーナーの一社となった私達、角若松が新たに始めた宣伝事業の始まりでした。
フジサワ名店ビルのある藤沢駅周辺は商業施設が立ち並び人口も増加を続けているものの、フジサワ名店ビルの売り上げは伸び悩んでいました。「常連さんに力強く支えられている基盤はあるものの、新しいお客さまに来てもらえていないのではないか」、そんな仮説をもとに状況を検証したところ、周辺3キロ圏内の住民の方々で、一度もフジサワ名店ビルに来たことがない方が約5割いる可能性が示唆されました。
そこで我々は、宣伝事業の目的を単年ではなく長期的な来館者数の最大化とし、そのKPI(Key Performance Indicator 目標を達成するために必要な核となる数値指標)を、既存のお客さまの来館回数を増やす事ではなく、一度も来館した事がなくフジサワ名店ビルをそもそも認知していない方々の認知率としました。
テナントさんを含む全ての関係者と、半年をかけてフジサワ名店ビルとは一体何なのかを検証すると共に、我々の世界観を伝える方法を検証した結果、懸垂幕を使い、我々フジサワ名店ビルにしか言えない言葉を発信していく事を方針として決定しました。
多くの情報に囲まれている現在、価格やモノ、そして安売りといった機能的な情報を見ても多くの方は無視をしますが、一方、情緒に訴える何かをシンプルで極端な形で提案する事ができれば人々に届くのではないか。そんな考えを元に提示したはじめてのラブレター、それが「自粛は闘いだべ」でした。その結果、前述の通り批判を含めて多くの反響をいただき、「我々のラブレターは無視されていない」と皆で喜んだことをよく覚えています。
その後も「ダンディー丸出し」や「最新型前時代式商店街」など、我々フジサワ名店ビルにしか言えない言葉を発信し、我々について知らない人々に「あそこは一体何なのだ?」と思ってもらい、一度来館していただくことを目指しています。また「極濃ビルヂング ニューなロマンのテクノポリス」という懸垂幕は日本サインデザイン賞に入選もしました。
名店シンブン
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- 名店シンブン第1号の安齋肇さんのイラスト
フジサワ名店ビルは、耐震不足等の理由により2027年度に解体が予定されています。残り3年弱の営業に向けて、2024年より「名店シンブン」の発行を年3回始めました。その目的は今までの懸垂幕と変わりませんがより明確に、「海沿いの生活を求めて藤沢に引っ越してきた30―40代の主婦、フジサワ名店ビルをそもそも知らない人に一度来館してもらうこと」としています。
フジサワ名店ビルにゆかりのあるアーティストにフジサワ名店ビルを表現してもらうとともに、サーフィンフォトグラファーの第一人者である横山泰介さんにテナントさんのポートレイトを、10代の頃フジサワ名店ビルと合体しているビルの居酒屋でアルバイトしていたという経験を持つカメラマン・文筆家・プロサーファーと多様な顔を持つ船木三秀さんに昭和時代の哀愁の藤沢のコラムを執筆いただいています。
第1号はイラストレーターの安斎肇さん、第2号はアーティストのESOWさん、そしてこの4月に発行した第3号は漫画家の松本大洋さんに表紙と中開きにフジサワ名店ビルというカオスを表現してもらいました。
このシンブンは3万部発行して藤沢駅周辺3キロ県内の新聞に折込をするとともに、藤沢駅周辺の飲食店・本屋・ギャラリー等を中心に、約150店舗のお店に置いていただいています。また、このシンブンは朝日新聞にも大きく取り上げていただくとともに、多数メディアの取材を受けました。さらには、藤沢市民図書館より地域の資料として図書館に保管させて欲しいとのお声もいただき、その反響に手応えを感じています。
フジサワ名店ビルというカオスの未来
2025年現在、来館者数は波がありながらもトレンドとしては上昇傾向にあります。しかし前述の通り、現在の形としてのフジサワ名店ビルは残り3年弱の予定となっています。ありがたいことに、「このままの形で残して欲しい」というお声を多くいただいており、また私もそのように思う一人です。しかし建物の耐震不足・設備の老朽化・合体している他ビルとの状況などを鑑みながらあらゆる可能性を検討した結果、建て替え以外の選択肢を選ぶことが難しいという結果となりました。
非常に残念なことではありますが、思い返せば60年前も、当時そこに建っていた愛される名店たちを取り壊すことによってフジサワ名店ビルは誕生しています。懐古主義のノスタルジーに浸ることなく、今の常連の方々が愛してくださっているフジサワ名店ビルの良さをきちんと残すことを目指し、未来に向かってければと思います。
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