Web版 有鄰 第599号 横浜の「トロバス」 昭和にはこんな乗り物があった!! /森川天喜

第599号に含まれる記事 2025/7/10発行

横浜の「トロバス」 
――昭和にはこんな乗り物があった!! – 海辺の創造力

森川天喜

電車なのか、バスなのか。電車と同じように屋根上の架線から動力源の電気の供給を受けるが、バスと同じくゴムタイヤで走り、レールはない。こんな不思議な乗り物「トロリーバス」、略して「トロバス」が昭和30年代から40年代にかけて横浜市にも走っていた。日本語の名称は「無軌条電車」といい、法令上は「鉄道」に分類される。

戦前にドイツで開発されたトロバスは、英・仏・米などで発達し、日本でも京都、名古屋、大阪などで導入された。東日本では昭和26年に川崎市営が開業したのが初で、東京都営も翌27年に開業している。

横浜市営の開業時期は遅く、昭和34年7月だった。戦後、横浜市の人口は昭和26年に100万人を突破した後、43年には200万人へと倍増。急激な人口増加にともない新興の住宅地が造成され、交通需要が膨らみ続けた。だが、それまで都市交通の主役だった市電(路面電車)は、新規路線を建設するためにレールや停留場の設置など莫大な設備投資が必要とされ、郊外へと広がる人口増へ機動的に対応できなかった。また、マイカーの増加で交通事情も悪化し始めており、東京都では昭和33年に都営地下鉄浅草線の建設に着手しているが、地下鉄の建設にはさらに巨額の費用が必要だった。こうした背景から、導入が比較的容易で騒音が少なく、通常のバスよりも輸送力の大きなトロバス(乗客定員100名程度)が注目されたのだ。

横浜のトロバスは新興住宅地の三ッ沢地区の通勤・通学輸送を主眼とし、横浜駅西口を起点に常盤園前、三ッ沢西、鶴屋町三丁目を巡って横浜駅西口へと戻る循環線(9.5キロ)を山手線と同じように内・外両回りで運行された。現在の市営バス201、202系統がほぼ同じ路線を走っている。

集電用のトロリーポールが架線から外れやすいなど乗務員泣かせな乗り物だったが、営業成績は好調だった。昭和38年度から最終の46年度まで年間乗車人員は常に800万人以上をキープ(最高は40年度の約930万人)し、36年度以降は黒字が続いた。39年の東京オリンピック開催時には、サッカー会場になった三ッ沢球技場への「選手や観客輸送に活躍」(『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局)した。

だが、累積赤字が膨らみ続けていた市電の廃止が決まると、黒字とはいえ営業規模の小さなトロバスのために変電所等の施設を維持するのは経営の合理性を欠くことなどから昭和47年3月末、市電とともにトロバスも廃止された。かつてのトロバスの路線図や映像などは、横浜市電保存館(磯子区滝頭)で見ることができる。

最後に少し残念なお知らせが一つ。横浜市より一足先に廃止された川崎市のトロバスの車両が高津区の児童公園に保存されていたが、昨年12月に撤去された。解体の予定だったが幸運にも引き取り手が現われ、今後、他所での保存を目指すということだが、地元の交通遺産が姿を消すのは寂しいかぎりだ。

(作家・ジャーナリスト)


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