Web版 有鄰 第595号 横浜タイムトラベル体験記 /今井しょうこ
第595号に含まれる記事 2024/11/10発行
横浜タイムトラベル体験記
今井しょうこ
2022年の2月だった。集合は神奈川芸術劇場KAATのホール。日本大通り近くのピカピカのビルの高い天井、煉瓦のフロア。素敵な紳士にエスコートされて洒落たワンピースで訪れたかったが、本日の目的は観劇ではない。タイムトラベルツアーである。163年前の外国人居留地を覗きに行くのだ!
こんな不思議で特殊なツアーをどうやって知ったのか経緯は忘れてしまったが、遺跡発掘事務所の作業員として働く私には、この手の情報は飛び込んでくる。そして私は見たがり。参加しない手はない。
で、本日の案内人が、日頃お世話になっている天野賢一先生だった。先生は、私の暮らす秦野市で近年発見された大縄文ムラ『稲荷木遺跡』(現在は新東名高速道路の下である)の発掘調査を担当した専門家である。御専門は縄文だと思っていたので、「横浜の近代をめぐるツアーなのになぜ?」と思ったら、2007年の神奈川芸術劇場建築の際、この地の遺跡発掘調査を担当されたとのこと。
遺跡の発掘調査は、現代の地面から掘り進める。現代面の下が近代、その下が近世(江戸時代)、中世、古代、古墳、弥生、縄文、旧石器と続く。なので実際には調査員の先生はオールマイティの見識が必要とされるわけで、頭が下がる。
西洋人の暮らしを知る
受付を済ませ、ロビーの椅子に座って待っていると先生のご登場。いつものインディ・ジョーンズのような現場服ではなく、本日はパリッとしたスーツ姿。タイムトラベル案内人は旅の添乗員だから、なるほどこれでいいのか。妙に納得。
始まりは後方に展示されているラムネ瓶、陶器の大きな絵皿、ドイツのビレロイ&ボッホ社のタイルの説明から。これらはここの地面の中から発見された遺物たちだそう。そう、ここ、1859年に横浜が開港した際の外国人居留地だった場所! その名も山下居留地遺跡なのである。その上に私は今、立っている。興奮。実は、KAATの建物の裏側にはこの遺跡の移築復原展示がある。タイムトラベルツアーなどと大げさなタイトルだが、なんのことはない、この芸術劇場の周りを一周するのである。しかし、掘ったご本人の肉声で説明を聞くと迫るものがある。
まず、現代の面から一枚皮(土)を剥ぐと、関東大震災時の瓦礫が出土した。その下に外国人居留地跡。当時ここはドイツやイギリスの貿易商が暮らした一角で、あの江ノ島のサムエル・コッキングさんの商館があったそう。そして、発見されたのはイギリスやオランダなど西洋のモノばかり。先ほどのロビーの展示品である。どれも立派。当時の外国人たちが、「郷に入って郷に従え」ではなく、西洋様式の暮らしをここにそのまんま持ち込んだことがわかる。
一方、発掘調査で発見された下水や排水の仕組みには、当時の日本人職人たちが右往左往した様子が如実に現れている。まずは日本の瓦の技術で作られた土管が設置され、程なく強度の問題で潰れたらしく、その上に常滑の陶管が設置されている。それらの土管からは、割れたコーヒーカップや残飯の動物の骨など、排水溝に流そうとして流れなかったものが、当時のまんま出土して生活感が垣間見える。私だったら、ゴミのつもりで葬り去ったものが150年後にこんなふうにみんなに見られるなんて、かなり恥ずかしい。
煉瓦って面白い!
それから発見された煉瓦も面白い。第二次世界大戦と関東大震災をもくぐり抜けた煉瓦である。そう思って見ると、土でできた赤い塊に感情移入してしまう。先生によると、押されている刻印で作られた場所がわかるそうで、東京・小菅集治監という当時の監獄のマークが入ったものにびっくり。囚人たちも頑張っていたようだ。
そんな案内を聞きながら、神奈川芸術劇場の三方を巡り、最後に48番地。ここには明治16年に創建された現存最古の煉瓦造建造物がある。言われてよく見てみれば、玄関のあしらいはかわいらしく、覗くと煉瓦積みの壁が露わになっている。163年前、あの壁の前に人々が立ち、このあたりには外国の言葉が飛び交っていたのだろう。
イベント終了後、帰り道が一緒になった天野先生は寄り道をして、あちこち解説して下さった。馬を繋いでいた金具の跡が残るビル、卵形の下水道、象の鼻パークの鉄道の跡の鉄軌道と転車台。
濃厚な一日だった。通りの風景が今朝とは違って見える。関内駅に向かいながら、振り返って先生が言った。「この日本大通りが当時の外国人居留地と、日本人ムラの境目ですよ。」盛りだくさんで目眩がしそう。あああ、これはまるでタイムトラベルから現代に帰ってくる目眩みたいだ! と思った。
今井しょうこさんが
第3部のイラストをご担当
2024/12/2 発売
『足元に眠る神奈川の歴史 写真とイラストでわかる遺跡・史跡』
公益財団法人かながわ考古学財団:著
有隣堂:刊
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