福田和代
撮影・chihiro
都内にある高級老人ホームで、がんが多発?噂を聞いたフリーライターが、「秘密」に迫る。豊かな知見と想像力で紡がれた、最新のサイエンス・ミステリーだ。
「この物語の端緒は、中学時代に遡ります。原爆に関する詩を学校で読んで衝撃を受け、1年ぐらい肉類を食べられなくなった時期がありました。なぜ人間は食べないと生きられないのか、ファンタジックなSFを書いた覚えがあります。あのときに考えたテーマを、いつかまた物語にしたいと思っていました。科学が当時より発達した今、中学の頃に考えたことが現実味を帯びているかもしれないと、新しい学説を調べて、この物語を書きました」
フリーライターの小暮アキは、認知症が進む母の水穂と吉祥寺で暮らしている。母娘の生活は苦しく、一発逆転のスクープを狙うアキに、幼なじみの千足が、近所の老人ホームに関する噂を教えてくれる。そんな矢先、老人ホーム併設の「不破病院」で働き始めた千足が、不慮の死を遂げる。アキのために内偵をして、命を落としたのか?
「物語を書くために様々な本を読み、がんの研究がアンチエイジングの研究と深い関わりがあるなど、いろいろと学んで、とてもワクワクしました。私たちの遺伝子そのものが人類の壮大な歴史を引きずっていて、いちばん複雑で面白いのは人間の身体だと、折に触れて思います。新しいことを知っては、物語にして伝えたくなります」
不破病院を探り始めたアキは、不思議な雰囲気の青年医師、桂と出会う。桂はアキを気に入り、病院のことを教えてくれる。併設の老人ホームの名は、旧約聖書に登場する900年以上生きた人物、「メトセラ」に由来していた。
「今回、ラストシーンだけは決まっていました。どうしてこのラストシーンになったの?と、登場人物と会話しながら進めていきました。私は、書き出すときはほとんど何もない状態で、とても感覚的に書いていますね」
〈どうすんだ、お前。残りの50年、いつまでも言い訳ばっかりしながら、うだつの上がらないライターやってんのか〉。取材で壁にぶつかったアキは、先輩の島津に発破を掛けられる。老母の介護と生活不安を抱えたアキは、多くの若者と同じ悩みを持つ等身大の主人公だ。
「私が主人公を造形するとき、今、怒っている人は誰だろうと考えるんです。格差が広がり、将来に不安を感じている人は多いと思います。困り、怒りを抱える一人としてアキを設定しました。小説はフィクションですから、すぐ隣にいるような人を主人公にして、驚異の世界に引きずり込む魂胆です。本当らしく読んでもらいたくて、細部のディテールはリアルな事実を調べ、描き込みます」
1967年、神戸市生まれ。神戸大学工学部卒業後、システムエンジニアとなる。2007年、航空謀略サスペンス『ヴィズ・ゼロ』でデビュー。大藪春彦賞候補となったクライシス小説『ハイ・アラート』、テレビドラマ化された『怪物』、『碧空のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート』『バベル』『迎撃せよ』など著書多数。
「小学3年生の頃には、テレビアニメをみて同じような話を書いていました。子供の頃から本が好きで、SFが書きたくて理系に進みました。好きだったのがアシモフの『銀河帝国シリーズ』などで、歴史も数学もあらゆる知識が要りますから、ひとりで勉強するのが難しそうな理系を学んでおこうと思ったんです。理系に進むも、高校の図書館で日本の推理小説に出会い、好みがミステリーにシフトしていきました」
デビュー後、作家専業になった。退職まで19年間の会社員生活が、創作に大きな影響を与えているという。
「金融機関のシステム部門に勤め、金融工学の誕生でお金の考え方が激変した時期を経験しました。部門のアウトソーシングにより、まったく別のカルチャーを持つ人たちと新会社設立に携わり、人の考え方や見方がいかに違うかを知り、とても勉強になりました。私は、戦争や革新的な技術、音楽、絵画などいろいろなものに関心があって、人間の複雑さ、愚かさを、物語を通して書いてみたいと思っています。ただしエンタメなので、面白がってもらうのがいちばん大事。今回は、目の前の世界の色がみるみる変わっていく雰囲気を、アキと一緒に目撃して、楽しんでいただけたら嬉しいです」
(青木千恵)