Web版 有鄰

546平成28年9月10日発行

『くまのプーさん』生誕90周年に寄せて – 2面

安達まみ

エリザベス女王もお気に入りの人気キャラクター

英国の直近の調査(リーディング・エイジェンシー主催)によると、くまのプーさんが、2位のハリー・ポッターを大きく引き離し、幅広い年齢層の読者にとって、数多い児童文学作品中もっとも人気のある主人公第1位に輝いた。本年はA・A・ミルン作『くまのプーさん』の刊行90周年に当たる。おりしも90歳を迎えた英国のエリザベス2世に敬意を表して、スピンオフの挿絵付Eブック『くまのプーさんと女王陛下のお誕生日』が登場した。プーさん、ピグレット、イーヨー、クリストファー・ロビンがロンドンにおもむき、バッキンガム宮殿の門の前で待っていると、たまたまお散歩に出かける女王とばったり。プーは女王に「プーのはなうた」を捧げる。E・H・シェパードの挿絵の雰囲気を伝えるマーク・バージェスの挿絵を眺めていると、90年を超えてよみがえる懐かしさと軽いめまいに似た、ふしぎな感覚にとらわれる。いったいプーがエリザベス女王の世界にやってきたのか、それとも女王がプーの世界にやってきたのか?

まだエリザベス王女とよばれていたころの幼い女王は、『くまのプーさん』が大のお気に入りだった。1926年、詩集『ぼくたちがとても小さかったころ』の詩にメロディをつけた『テディベアの歌ほか』には、当時、生後数か月の王女への献辞が添えられている。王女の両親のヨーク公夫妻(のちのジョージ6世とエリザベス王妃)は、アッシュテッド陶器工場を訪れたさい、24ピースの子ども部屋用ティーセットを王女のために手渡された。第1次大戦で負傷した元軍人たちによる手描きの絵柄は、プーの物語や詩集の名場面を再現していた。「ちっぽけな脳みそのくま」は、王室の子ども部屋になにくわぬ顔でもぐりこんでいたようだ。

ミルンとクリストファー
ミルンとクリストファー
『くまのプーさんスクラップブック』(筑摩書房)より

ところで、プーとはなにものなのか。複数の次元において曖昧である。なんといってもくまなのに、本物ではない。ぬいぐるみである。ミルンの息子クリストファーは、ハロッズで両親が購入したぬいぐるみのくまを与えられた。ところが、E・H・シェパードの挿絵に登場するくまは、このくまではなくシェパードの息子のくまらしい。さらに、物語でプーの兄貴分を演じるクリストファー・ロビンは、息子をモデルにしているが、クリストファーそのひとではない。生身のクリストファーとぬいぐるみの動物たちが、なかば現実の森でくりひろげる屈託のない遊びの世界とみえて、じつはそうともかぎらない。ほのぼのとした印象に包まれて、さまざまな次元がゆるやかにオーバーラップする物語なのだ。

『くまのプーさん』を世に出すまでの著者ミルン

そもそも『くまのプーさん』を世に送り出す以前、A・A・ミルン(1882-1956)はいわゆる児童文学作家ではなかった。ケンブリッジ大学在学中に学生雑誌『グランタ』の編集長となり、各号の大部分は自分で執筆して奮闘した。ユーモア作家としての修業時代である。有名な風刺雑誌『パンチ』の編集長に見込まれて、卒業後はフリーランスの時期を経て、『パンチ』の副編集長に就任。数々の記事を寄稿し、数冊のコレクションにまとめられた随筆集は人気を博した。

本来、平和主義者だったミルンだが、挿絵画家シェパードや多くの同時代人とおなじく、あらゆる戦争を終結させるべく戦うと宣言。1915年、第1次大戦に従軍するも、のちに軍隊で過ごした4年間の「あの精神的・道徳的頽廃の悪夢」を抹消したいと嘆く。とはいえ、1917年、試練の戦時期に自作の戯曲がはじめてプロの劇団により上演される。その後、次々とヒット作をくりだし、劇作家として押しも押されもせぬ地位を築く。

人気劇作家ミルンは、1924年、友人の勧めで執筆し、即時に大当たりした詩集『ぼくたちがとても小さかったころ』で、子ども部屋の詩人としてのデビューを飾り、セレブリティの概念がまだなかった時代に、父と息子はちょっとした有名人に祀りあげられていた。翌25年『イヴニングニュース』紙のクリスマス・イヴ号に、クリストファー・ロビンとテディベアについての書き下ろしの物語が掲載される。これがのちの『くまのプーさん』の第1章の原型となる。もっとも、わたしたちになじみ深いE・H・シェパードの挿絵ではなかった。シェパードの華奢でやや古風な佇まいの、女の子と見まがう中流階級然とした長髪のクリストファー・ロビンと異なり、J・H・ダウドによる挿絵のクリストファー・ロビンはがっしりと筋肉質で、Tシャツのようなものを着ており、階級が特定できない。

ノスタルジックな世界を生み出した少年時代の記憶

1926年当時、粋で洒脱なエッセイそのままに、軽妙な知性と逸らさない人柄のミルンは、文壇や出版界に広い人脈をもち、引く手あまただった。家庭的にも恵まれて、妻ドロシーとひとり息子クリストファーとともに、ロンドンの高級住宅地チェルシーにある自宅とアッシュダウンの森近くのコッチフォード・ファームとを行き来していた。洗練された都会とのどかな田園でのいいとこどりの生活は、ある意味で、中流のイギリス人の理想だった。同年10月、『くまのプーさん』は出版と同時に大人気となり、ミルンの知名度はいよいよ高まる。つづいて27年に2冊目の詩集『ぼくたちは六歳』、28年に2冊目の物語『プー横町にたった家』の出版をもって、ひとまずプーと決別するつもりだった。ところが、そうはいかなかった。プー物語のあまりの人気に、自分のこれまでの作品が忘れ去られ、物語に登場させた息子とのあいだに確執が生じ、自分が亡くなるまでつづくことになろうとは、さすがのミルンにも予測できなかった。

子ども、ぬいぐるみのくま、そして舞台となる森。のどかな冒険のおぜん立てが出そろい、ミルンはぬいぐるみを使った息子と妻の遊びを書き留めた。時間の止まったような戸外の遊びは、たしかにアッシュダウンの森を彷彿させる。だが物語そのものには、19世紀末のミルン自身の奔放な少年時代の息吹が感じられる。ロンドン北部で小さな私立学校を経営する父の薫陶をうけた少年時代のミルンは、フープ遊びや自転車に興じ、犬と戯れ、足を伸ばして、チクチクするハリエニシダが茂るプーの森に徒歩旅行に出かけた。一人っ子のクリストファーと異なり、次兄ケンとの健康的で大胆な遊びにあふれた子ども時代をすごす。息子の誕生に触発され、ミルンのなかでみずからの子ども時代の記憶がよみがえり、ノスタルジックな物語へと結実したのではないか。どことなく古めかしい味わいはそのせいか。プーがミルンの子ども時代にやってきたのか、ミルンがプーの世界に入りこんだのか。プー物語の真髄は「プーのはなうた」のような、ほどよくいい加減な曖昧さである。

亡くなる数年前の1952年、ミルンは『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の依頼で韻文の自伝を著す。最後の二連はこうなる。

 

作家たるもの、なぜ書かぬ、
目に入ることども、そのすべて。
されば――子どもの本、というわけで、
一種の間奏曲気どり、
書いたときには考えもせず、
ペンとインクの日々の汗、
かき消えるとは、この4冊の
子どものためのおもちゃの陰に。

作家が語る胸のうち――
傑作ばかりはとても無理。
お説教が受けまいと、
ユーモアがだれにも通じまいと、
それでもなおかつ愉しいものだ、
書くとはよろこびつきぬもの。
古い古い農家に憩い、
このしあわせな冒険は、
そろそろおわり(そうだと思う、
いまやわたしも70歳)。
しめて、年々歳々愉しんだ。
それだけは疑いもなく。

 

いささか自虐的な物言いながら、最晩年に作家ミルンはみずから構築したプーの世界を受け入れ、そこに憩いをみいだした。プー生誕90周年の今年、ミルン没後60周年を偲びたい。

安達まみ  (あだち まみ)

1956年東京生まれ。英文学者、聖心女子大学教授。著書『くまのプーさん-英国文学の想像力』光文社新書 740円+税。ほか著訳書多数。

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