Web版 有鄰

548平成29年1月1日発行

スポーツの発展に望むこと - 1面

玉木正之

スポーツの隆盛を見ていて思うこと

私が暮らしているのはJR大船駅の近くで、そこには柔道場や剣道場の他に弓道場も備えた鎌倉市の武道館がある。だから土曜日曜の朝などの駅の改札口周辺は、剣道の防具を入れた袋を竹刀で肩に担いだ子供たちのほかに、長い弓を手にした高校生や大学生、それに年配の方々などを大勢見かけることが少なくない。この武道館は1998年のかながわ・ゆめ国体のときに建てられたものらしく、長刀の会場となった。そのためか、長い練習用の長刀を手にした袴姿の女子大生や女子高生を見かけることもある。

もう20年以上前のことになるが、我が家の息子が幼稚園に通っていた頃は少年サッカー・クラブに入り、小学生になると少年野球チームに入った。2人の娘たちは、中学高校でバスケットボール部に所属し、鎌倉市と姉妹都市関係にある山口県の萩市や、栃木県の足利市との交流戦に参加したりもした。

神奈川県には、Jリーグのサッカーチームが、J1の川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、湘南ベルマーレ、J2の横浜FC、J3のY.S.C.C.横浜、SC相模原と、6チームもあり、プロ野球チームも横浜スタジアムを本拠地とする横浜DeNAベイスターズがある。その2軍組織のファーム・チームは、横須賀スタジアムを本拠地に活動し、少年野球の指導なども行い、準本拠地の平塚市や相模原市の球場でも公式戦を開催するなど、2軍チームとしては独自の活動で根強い人気を獲得している。

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2016年に開幕したBリーグ

また、今年から発足したプロ・バスケットボールのBリーグには、神奈川県から、川崎ブレイブサンダース、横浜ビー・コルセアーズの2チームがB1中地区に参加。こうしてみると神奈川県のスポーツは、極私的にも、日本のプロのレベルでも、つまり下から上まで、かなり盛んに行われているように思える。

2020年には東京オリンピック・パラリンピックも開催され、相模湾の江の島周辺ではヨット競技が開催されることも決定。さらに大いに盛り上がるに違いない。

が、長年スポーツと関わってきた者としては、少々不満に思うこともある。それは特に神奈川県のスポーツ界に限ったことではないのだが、スポーツが盛んになり、盛り上がる一方で、「スポーツに対する理解」は、いっこうに進化も深化もしていないことだ。

たとえばサッカーに打ち込んでいる少年や青年、それにJリーグのチームを応援しているファンやサポーターに向かって、「サッカーって、どういう意味?」と質問して、答えられる人がいるだろうか?あるいは「サッカーは何故手を使ってはいけないのか?」という質問に、答えられる人はどれくらいいるだろう?

ボールを足で扱うのがサッカーだ……というのでは答えにならない。どうして、そんなルールが生まれたのか?私がそういった疑問にぶつかったのは、スポーツライターとしての活動を始めて15年以上が過ぎた40歳を目前にした頃のことだった。サッカーだけではない。スポーツに対する疑問は次から次へと湧いてきた。

バレーボールとはどういう意味か?ドッジボールとはどういう意味なのか?……などなど、要するに私は、スポーツについて「何も知らない」ということに気づいたのだ。

競技の語源を辿ると見えてくるもの

スポーツに対する無知……それは、私だけのことではなかった。雑誌の編集者やライターの仲間たちや、テレビ局のスポーツ担当のディレクターたちに訊ねると、彼らも、サッカーの意味やバレーボールの意味やドッジボールの意味を知らなかった。言葉の意味も知らずに、みんなスポーツを楽しんでいたのだ。

面白いことに、それらの疑問には、すべてきちんとした正解が存在し、正解を知ると、さらにスポーツが楽しく、面白く感じられるようになったことだった。

サッカーは、中世のヨーロッパでは牛や豚の膀胱を膨らませたボールを使い、村中をあげて500人対500人といった規模で祭の無礼講のように行われた。牛や豚の膀胱は血や脂でベトベトなので、手を使うよりも足で蹴ったり棒で叩いたりするほうが遠くへ飛んだ。大雑把に言ってしまえば、そんななかで棒を使う人達がホッケーを始め、手も使う人達がラグビーを始め、足しか使わないことにした人達がサッカーを始めたわけだ。

イングランドで、足しか使わずにボールを奪い合い、ゴールへ蹴り込む人達が、フットボール協会football associationという団体を創り、そこで行われているフットボールがassociationfootballと呼ばれるようになり、その言葉が、assocfoot-ball → assoccer → soccerと略されてサッカーという言葉が生まれたのだ。

バレーボールも、英語で書くとvolleyballで、つまり、ボレーボール。テニスのボレーやサッカーのボレーシュートと同じ意味。ボールを地面に落とさずに打ち合うからボレーボールと言うべきところがバレーボールと訛ってしまったのだ。

ドッジボールは、dodge-ball。ドッジdodgeは避けるという意味で、ドッジボールとは狙って当てるゲームではなく、避けることでプレイする球戯だとわかる。

このドッジという言葉には、面白い逸話がある。アメリカ・ニューヨーク州の下町ブルックリンは道幅が狭いのに、昔は大きなトロリーバスが走っていた。そこで道路で遊んでいた子供たちに向かって、母親たちは常に「Dodge!Dodge!ドッジ!ドッジ!(避けろ!避けろ!)」と注意していた。そこでブルックリンの子供たちは、いつしか「Dodgerドジャー(避ける人)」と呼ばれるようになり、そこにメジャーリーグの野球チームが生まれたときはBrooklyn Dodgers(ブルックリン・ドジャース)と名付けられた。そのチームが広々としたカリフォルニア州ロサンジェルスに移転し、そこの子供たちはバスをわざわざ避けなくてもよかったが、ブルックリン時代の想い出を残す意味で、ロサンジェルス・ドジャースという名前を継承したのだった。

かつて野茂投手が入団して以来、昨年の前田投手まで、多くの日本人選手が活躍したドジャースだが、Dodgerの意味を知っている人はどれくらいいるだろうか?私はまだ一人も出逢ったことがない。テレビ局のスポーツ・アナウンサーもスポーツ新聞の記者も、みんなドジャースの意味を知らずにドジャースについて語り、ドジャースの原稿を書いていたのだ。

改めて考えてみれば、こんな不思議なことはない。soc-cerもDodgersも英語とはいえ、誰も(かつては私も)その意味を知らずに使っている(使っていた)のだ。

何故こんな非常識なことが、非常識とも思われず、まかり通っているのだろうか?……といろいろ考えてみると、その答えは「体育」という言葉が原因だと気づいた。

「知育」「徳育」の意味も含めた「スポーツ」

日本語には、スポーツsportsに相当する適切な翻訳語が存在しない。明治時代初期に欧米からスポーツが伝播した直後、最初に登場するsportsの訳語は「釣り」であり、次に「乗馬」だった。何故そんな訳語になったのか?その答えは簡単で、釣りや乗馬を楽しんでいるアメリカ人やイギリス人に、What are you doing?(何をやってるの?)と英語の話せる日本人が訊いたところが、I’m playing a sport.といった答えが返ってきたのだろう。そこで「釣り」も「乗馬」も、はたまたランニングも水泳もsportsだとなると、sportsとはいったい何だ?ということになった。そこで『OutDoor Games』というイギリス人の本が日本で出版されたときに『戸外遊技法』と訳されたのをきっかけに、gameやsportsを「遊技」と訳した時期もあった。

この訳語は、もともと「冗談・戯れ・遊び」という意味合いもあるsportsの訳語として決して悪いものではなかったが、明治時代になって競走や体操などのスポーツ競技を基礎訓練に取り入れていた軍隊にとって、スポーツを「遊技」とするのは不適当だった。そこで「運動」「体育」という訳語が考えられ、学校体育に軍事教練が取り入れられるような戦前の軍国主義時代に、スポーツに「体育」という訳語が定着。現在も「体育の日Health and Sports Day」「国民体育大会National Sports Festival」「日本体育協会Japan Sports Association」「日本体育大学Nippon Sport Science University」などにスポーツの訳語としての「体育」という言葉が残ってしまったのだ。

じつはスポーツには、体育だけでなく、知育としての要素(サッカーの歴史やベースボールの歴史を学ぶこと)も、徳育としての要素(スポーツマンシップを発揮すること)も含まれている。が、体育という言葉がスポーツと同じだと誤解されるようになったことから、「理屈抜きで(先生に言われるとおり)身体を動かし、身体を鍛えることがスポーツだ」という勘違いが蔓延ってしまった。

その結果、サッカー、バレーボール、ドッジボール、ドジャース……といった言葉の意味を知らないままでも、疑問にすら思わず、平気でいられるような非常識なスポーツ観が作りあげられてしまったようだ。

じつはスポーツをやることは、スポーツを通した教養やスポーツマンシップを身に付けることでもあり、そうして身に付けたスポーツ・インテリジェンス(スポーツによって身に付けた教養や思考法)は、人間として生きていくうえで、大いに役に立つ有意義なものと言えるはずだ。それを体育(身体を鍛えること)だけに限定するのは、スポーツの価値を貶めることにほかならない。

スポーツが盛んになるのは決して悪いことではない。が、それは体育としてだけでなく、知育、徳育のうえでも価値あるものだと誰もが認めるようなスポーツの発展であってほしいものだ。

玉木正之さん玉木正之 (たまき まさゆき)

1952年京都府生まれ。スポーツライター。著書『スポーツとは何か』講談社現代新書 740円+税、ほか多数。


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