Web版 有鄰

550平成29年5月10日発行

有鄰らいぶらりい

バスを待つ男』 西村健:著/実業之日本社:刊/1,500円+税

警視庁を退職して、すでに10年。1日をどう過ごすか途方に暮れていた「私」は、妻の勧めで東京都シルバーパスを使い、あちこち足を伸ばしてみることにする。家から最も近いターミナルは、多くのバス系統が発着する錦糸町駅だ。最寄りのバス停から錦糸町に出た私は、発車直前の大塚駅行きバスに飛び乗り、ただ運ばれながら景色を楽しむ解放感を味わう。

それから毎日のように外出するうち、平井駅前の停留所でいつもバスを待っている男がいることに気づく。バスではなく人を待っているのではないか? という妻の助言で話しかけてみると、男は吉住といい、妻の推理通り、忘れ物の人形を渡すために小学生の女の子を待っていた(「バスを待つ男」)

落語「王子の狐」で知られる王子稲荷を訪ね、狐がまとう前掛けの謎を解く「母子の狐」、葛西から錦糸町駅行きバスに乗り、水神森バス停で降りて少年と出会う「うそと裏切り」など、“バス散歩ミステリー”8編を収録。元刑事の「私」が外出先で謎と遭遇し、家で待つ本好きの妻が推理する。ずっと前に一人娘を亡くし、2人暮らしをする夫婦のやりとりや、路線バスから見える東京の光景が心に染みる。章を重ねるうちに未解決事件が浮かび上がる、仕掛けに満ちた快作だ。

犬の報酬』 堂場瞬一:著/中央公論新社:刊/1,600円+税

大手自動車メーカー、タチ自動車総務課の伊佐美祐志は、自動運転技術の実験車による事故が発生したと、上司の総務課長から告げられた。軽傷の交通事故として処理された現場を調べると、実験車のブレーキが作動せず、人間の運転に戻すセーフティ機能も働かなかったという二重のミスが見つかる。

一方、東日新聞社会部遊軍の畠中孝介は、タチ自動車による実験中の人身事故発生をスクープする。取材のきっかけは電話だった。社会部遊軍部屋に、畠中を名指して電話をかけてきた「X」がネタ元だ。デスク就任を間近にした畠中は、一線の記者として最後の勝負のつもりで「事故隠し」を追及していく。

事故の情報はなぜ漏れたのか?タチ自動車の社内で「犯人探し」が始まる。事故現場を検分した20代の開発スタッフふたりに目をつけ、伊佐美が問いただすと、ひとりが急死。責任追及を苦にした自殺と思われて――。

トラブル対応に長けた“スーパー総務”と、敏腕新聞記者と、ネタ元。事故発生と秘匿から始まる駆け引きを、伊佐美と畠中のふたつの視点からスリリングに描く。組織的な不祥事と内部告発が相次ぐ世の中で、それぞれの立場の「正義」と人の行動様式を浮き彫りにしたエンターテインメント長編である。

宮沢賢治の真実』 今野勉:著/新潮社:刊/2,000円+税

2010年初秋、新聞社の依頼で「好きなもの」のひとつに宮沢賢治全集の再読を挙げた著者は、難解に思えていた賢治の文語詩を改めて読み、〈猥れて嘲笑めるはた寒き〉で始まる短い詩に異様な気配を覚えた。他者の幸福を希求する賢治とは別人のような賢治が、そこにいる。そう思った著者は、謎の文語詩に導かれるように、賢治の人生をたどり始めた。

謎の詩は、大正11年(1922)秋の、とある1日に材をとったものらしい。この年は、賢治にとって転機になった年だった。2歳下の妹とし子が24歳で病死し、賢治は「永訣の朝」をはじめとする死を悼む詩を創作している。妹とし子は、どのような人物だったのか。花巻高等女学校から日本女子大学校へ進学した才女で、艶めいた話もないまま短い生涯を終えたと思われているとし子は、恋愛事件を起こしていた。そして賢治もまた――。

テレビ草創期から多くのドラマ・ドキュメンタリー制作に携わり、近年は『金子みすゞふたたび』などの優れた評伝を執筆している著者が、六年をかけて新たな宮沢賢治像を描いた。人間の「修羅」を抱えながら、はるばる世界を見つめ、生きようとした賢治の天才的な視野が見えてくる。人間・賢治に迫る、圧巻のノンフィクション。

我らがパラダイス』 林真理子:著/毎日新聞出版:刊/1,800円+税

我らがパラダイス・表紙
『我らがパラダイス』
毎日新聞出版:刊

9年前に母が肺がんで亡くなり、父の認知症が進んでいる。6つ上の兄と兄嫁に任せたいが、頼りないのでパートに励む細川邦子。

女手一つで育ててくれた母が3年前に脳溢血で倒れ、弟がリストラで家に転がり込んできた。看護師として再び働くことにする田代朝子。

タクシー運転手の父が、かなり進行したすい臓がんと診断された。一人娘として両親を幸せに逝かせたい、そのために自分は独身でいたのだと思う丹羽さつき。

それぞれ老親の介護問題を抱えるアラフィフ(50歳前後)女性3人の職場は、東京・広尾にある高級介護付きマンション「セブンスター・タウン」である。入居に8000万円かかる施設には、名誉会長、名誉相談役といった肩書きの人々がいる。往年の大スターで5年前に80歳で引退した大久保も、何番目かの妻と暮らしていた。介護が深刻化していく自宅と、裕福な高齢者が住む職場とを往復しながら、「格差」を思い知らされる3人。しかも職場の上司で元銀行マンの福田は、“金持ちと貧乏人”で人を分けるパワハラ男だった……。

格差問題に切り込んだ『下流の宴』から7年。少子高齢化が進む日本で、日に日に切実になっている「介護」問題に、人気作家が手練の筆致で挑んだ長編小説である。

(C・A)

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