Web版 有鄰

554平成30年1月1日発行

盤上の面白さ – 1面

大崎善生

プロ入り最年少記録を更新した藤井聡太四段

2017年の夏、1人の中学生棋士の話題が日本中を席巻した。

その名は藤井聡太四段。

14歳2ヵ月という棋界史上最年少でプロ棋士になった藤井四段は、前年クリスマスイブのデビュー戦から無敗のまま勝ち続け、29連勝をマーク。新人ながら歴代記録を塗り替える快挙を成し遂げたのだ。

第30期竜王戦ランキング戦6組/対加藤一二三九段戦での藤井四段

第30期竜王戦ランキング戦6組
対加藤一二三九段戦での藤井四段
撮影:常盤秀樹 提供:日本将棋連盟

年に4人しかプロになれない、厳しい三段リーグを一期で抜けたのも強運だが、62年前に藤井と同じく中学生棋士(14歳7ヵ月)になり、名人にも輝いた元祖天才・加藤一二三九段とデビュー戦で対戦できたのも強運である。対局当日は五十名を超える報道陣が押し寄せ、華々しい勝利を飾った。ここから将棋界が体験したことのない凄まじいフィーバーがはじまる。

それからも対局のたびに報道陣が大挙し、報道番組やワイドショーで生中継。各局が藤井の話題を追い続けた。一時はどのチャンネルを回しても藤井、藤井、藤井。連勝記録達成時は、プロ野球のニュースを差し置いて、スポーツ各紙の一面を飾った。

将棋盤を離れれば、どこにでもいそうなおとなしい少年である。私も実際に会ったことがあるが、鉄道の話になると目を輝かせるごくふつうの中学生である。ただ、あどけない顔からときおりこぼれる笑顔がなんとも愛らしく、若い女性よりもお母さん世代のハートをわしづかみにした。

「大志」と書かれた初めての扇子が販売されたときには、ふだんは来たこともない主婦たちが将棋会館の売店に行列を作り、あっという間に完売。自分の子どもに習わせようと、将棋盤や駒も飛ぶように売れた。藤井四段が幼少時代に遊んでいたスイス製の知育玩具「キュボロ」は、生産が間に合わず1年待ちの状態になったという。

勝利を一つ積み重ねるたびに報道陣はコメントを求めたが、そのつど14歳とは思えぬ落ち着きぶりと言動に驚き、感心させられた。「僥倖」「望外」「茫洋」など、中学生らしからぬ単語が飛び出し、藤井四段の合言葉になった。

20代から30代の時期を将棋界で過ごし、専門誌『将棋世界』の編集長を務めていた私は、あの「羽生七冠フィーバー」を将棋界の内側から体験した人間だが、今回の藤井フィーバーはそれに匹敵する……いや無名の新人の活躍としてみればそれ以上の事件ではないかと思う。

連勝記録が一区切りしたあとは、熱狂的なフィーバーはさすがに落ち着いた感があるが、藤井聡太の名は、いまや羽生善治と並ぶ人気と知名度を誇っている。11月に通算50勝目を挙げたが、これは羽生をしのぐスピード記録である。

羽生の七冠達成以前と以後では、将棋界の有様ががらりと変わった。その象徴が、子どもたちだ。羽生に憧れて将棋を始める小学生が急増したのである。秋に羽生からタイトルを奪取した中村太地王座(29)もその1人で、羽生から指導を受けている小学生時代の写真が残っている。

将棋をやると頭がよくなる、思考力がつく、礼儀作法が身につく……。かつての「おやじくさい」「地味」「おたくっぽい」イメージから、将棋に対してポジティブなイメージを根付かせたのは、間違いなく羽生である。

羽生は将棋界を象徴するスターであり、常に頂点に君臨していなければならない存在であった。

しかし、その羽生も50歳が近づき、ベテランの域に達しつつある。メジャーリーグのイチローのように、どこまでトップを張り続けられるかが焦点になってきた。

イチローに代わる将来のスター選手が大谷翔平や清宮幸太郎であるとすれば、将棋界では藤井四段が羽生に代わるスター候補。まだタイトルどころか棋戦優勝の経験もないルーキーだが、もはや彼の才能を疑う者はプロ間でもいない。

将棋界は、およそ20年に1人のペースで時代を背負う大スターが登場している。その多くが修業時代から将来を嘱望される逸材として注目され、その見立て通りの地位を確立してきた。プロの眼力は間違いがない。

そのならいで見れば、藤井四段はそれにあたる逸材であることは間違いない。しかも、羽生に匹敵するか、もしかしたら超える可能性もある、とてつもないポテンシャルを感じさせる超ド級の才能なのである。

藤井四段は、ファンが待ち望んだ救世主のような存在である。

人間とAIとの対局から見えてきたもの

去年の春、佐藤天彦名人がコンピュータ将棋ソフト「PONANZA」に敗れた。これによってAIが、ついに人類の知能を上回ったことが証明され、人類対コンピュータの対決に終止符が打たれた。

棋士という者の存在意義を問われる事態となり、将来を心配した者もいる。また、前年に起こった不正対局疑惑事件に対する世間の風当たりもあり、離れていったファンの数は計り知れない。将棋界は光が消えたように意気消沈した空気だった。

しかし、次代を担う若い棋士たちはたくましかった。コンピュータが自分たちよりも強いことを素直に認め、逆に教えを請うことで、実力を高めようという動きになっている。ネガティブな思考に陥らず、ポジティブに活用していこうという考えだ。

コンピュータがいかに強いからといっても、将棋というゲームそのものが解明されてしまったわけではない。固定観念というものがないソフトの自由な発想によって、いままで人間のあいだでは常識とされていたセオリーが実は誤りであったことが発見されたり、それによって覆ってしまった定跡もある。コンピュータのおかげで、改めて将棋というゲームの奥深さを知らされることになった。

いまの若手棋士で、研究にソフトを活用していない者は皆無だし、うまく取り入れている棋士が実績をあげている。

時代とともに多様化した将棋の楽しみ方

ファンの目も変わってきている。ソフト同士の無機質な対戦棋譜よりも、人間同士による「ミスをするからこその面白さ」、勝負の悲哀に一喜一憂する。

それは、「ニコ生」や「Abema(アベマ)TV」といったインターネット配信サービスの登場が大きい。将棋の対局が、開始時から終局まで、生中継で観られるようになったことで、盤上の戦いのあらましだけでなく、バラエティーに富んだ棋士たちの個性に着目するようにもなっている。

朝10時から、時には深夜にまで及ぶ対局の中で、棋士たちのちょっとしたしぐさや表情を飽きもせず観戦するファン。いわゆる「観る将」というファン層の出現は、インターネット時代の象徴的な現象として興味深い。

ネット中継の副産物はほかにもある。対局時の昼食や夕食の出前メニューにも注目が集まり、「将棋メシ」と呼ばれるようになった。藤井フィーバーの最中には、棋士御用達の蕎麦屋や定食屋が一躍有名になったりもした。藤井が注文したメニューを各局の報道陣が先に取り寄せたため売り切れとなり、肝心の本人がその昼食にありつけなかったという珍事も起きた。とにかく、ありとあらゆる楽しみ方を提供してくれるのがネット配信である。

昔は「強さ」「実績」こそが棋士の人気のバロメーターであった。しかし、いまはそれだけではない。トークのうまさや、キャラクターの面白さで人気になる棋士もでてきた。「ひふみん」の愛称で、いまや棋士からタレントに見事な転身に成功した加藤一二三九段や、株主優待券で生活する「ママチャリの桐谷さん」こと桐谷広人七段はその代表格で、バラエティー番組にひっぱりだこだ。

ほかにも、ダジャレを織り交ぜた解説がウケている棋士や、禿げ頭を売りにしてカツラをかぶって対局する棋士が注目されたりと、話題にことかかない。

そういった盛り上がりは、ドラマやバラエティー番組にも波及している。現在でも週に1回はどこかのチャンネルで将棋の話題を見ることができる。

私が書いた『聖の青春』や、人気コミックの『3月のライオン』が映画化され、今年は新たに瀬川晶司五段の実話『泣き虫しょったんの奇跡』も公開を控えているという。監督は元奨励会経験者の豊田利晃監督だ。

将棋の面白さは、ゲーム性だけではなく、ファンが憧れるプレーヤーである棋士たちの個性、人間性、生き様もまた大事なコンテンツなのである。『将棋世界』編集長時代の私は、そこにスポットを当ててきたつもりだし、『聖の青春』にも描いた。

それが、インターネットによって楽しみ方がさらに多様化し、新たに藤井聡太四段の登場で活況を見せる将棋界は、いまやかつてないほどのブーム到来といえる。

藤井四段の活躍に刺激を受け、20代の若手棋士の台頭もめざましい。羽生という厚い壁を打ち破った菅井竜也王位や中村太地王座が、新たにトップに名を馳せた。これからも続々と若手のホープがタイトル戦を賑わせるだろうし、藤井聡太四段もさらに大きな話題をふりまいてくれるだろう。

一時期は離れたところから俯瞰していた私だが、将棋の面白さを再認識しているところだ。携帯をスマホに変え、将棋観戦に勤しんでいる毎日。おかげで仕事がはかどらないで困っている。

大崎善生さん
大崎善生 (おおさき よしお)

1957年北海道生まれ。作家。著書『聖の青春』(角川文庫) 640円+税、『将棋の子』(講談社文庫)610円+税、他多数。

写真・内海裕之撮影

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