Web版 有鄰

507平成22年3月10日発行

万年筆を楽しむ
 ――今、輝きを増すその魅力 – 2面

土橋 正

「手間がかかる」ことが最大の魅力

あらためて考えてみると、「万年筆」という名前には実にロマンがある。なんと言っても「万年」という途方もないくらいの長さなのだから。本当に万年という期間、使えるかどうかは別にして、他の筆記具と比べたら格段に永く使えることは確かである。

ちなみに海外では、例えばアメリカなどでは「FountainPen」と呼んでいる。「Fountain」は、「泉」や「噴水」の意味。おそらく当時は、付けペンが主流だったと思うが、いちいちインク瓶にペン先を付けずとも、インクが出続けるという便利さを言い表したのだろう。ところ変わって、中国では「鋼筆」という。毛筆に対して、金や鉄を使っているので、見たままをよく表している名前だ。このように海外ではその機能性にスポットを当てている。そして私達日本では、「万年」という何とも奥行きを感じさせるネーミングである。

万年筆を楽しむ
万年筆を楽しむ

この万年筆が今デジタル全盛の時代にあって再注目されている。そこで、この万年筆の魅力を私なりに考えてみたいと思う。

何といっても最大の魅力は、「手間がかかる」というのがあると思う。なんで「手間」が魅力なのだ?と首をかしげる人もいることだろう。まぁ、聞いてほしい。例えば、インクを自分で入れないと書くことが出来ない。しかも、このインクの入れ替えの際にはインクで手が汚れてしまうこともままある。書く前だけでなく、書いてからだってそうだ。万年筆で書いた筆跡をすぐに手で触れると、まだ乾いていないと文字を台無しにしてしまう。書きたてのインクが紙に馴染んで乾くまで、しばしの間待ってあげなくてはいけない。また、一方では万年筆をしばらく机の中に寝かせておくと、いざ書こうとした時、中でインクが固まって書けなくなっていることだってある。ある時は待たなくてはならず、またある時は待ちすぎるのも禁物という訳だ。

とまぁ、万年筆を使うにあたっては実に色々と手間がかかる。しかし、この「手間」こそが万年筆の魅力になっているのだと思う。世の中があまりに便利になりすぎると、逆に手間をかけることが見直されるものである。家電製品などどんどん便利になり、何でも自動でできるようになっている。一見これは、便利でとてもいいことなのだが、それもずっと続くと、違和感がじわりじわりと出てくる。それをつき詰めて言ってしまうと、自分がもはや介入する余地が少なくなってしまっているということではないだろうか。

その点、万年筆は、待っていても自動で何をしてくれる訳でもない。自分でせっせとインクを入れて書く、たまに書いてあげないと機嫌を損ねて書けなくなってしまう。私たちがそのものに介入しなくてはならず、それにより使っているという実感がとてもわくのだと思う。

文字ににじみ出る書く人の人となり

私は、この万年筆を日々の仕事で使っている。一番の活躍の場は、原稿を書く時。草稿は万年筆と原稿用紙という古風ともいえる組みあわせと決めている。もちろん、このコラムも万年筆で書いている。このことをたまに編集者の方に話すと、まるで原始人でも見るかのように目を丸くして一様に驚く。今や、文字を書く人たちの多くは直接パソコンに向かい、キーボードを叩いている。いつの間にやら、文字は「書く」ものではなく、「叩いたり」、「打ったり」するものになってしまったらしい。

この原稿は漆塗りの万年筆で書かせていただいた。 「万年筆の枕」にのせて、しばし頭と万年筆を休ませている。

この原稿は漆塗りの万年筆で書かせていただいた。「万年筆の枕」にのせて、しばし頭と万年筆を休ませている。

私が万年筆という筆記具にこだわっているのは、あたかも自分の手の延長線のように使うことができるから。パソコンを使い始めて、たかだかまだ10年程度。一方、ペン歴は小学生くらいからなので、かれこれ35年以上になる。そもそもの年季が違うという事だ。頭に浮かんだものをすかさず文字にするにはキーボードを叩くより、ペンを持った手の方が断然速い。生まれてはすぐ消えていってしまう頭の中のひらめきを拾いあげてやるにはペンである方が都合がよい。中でも、万年筆がいいのは、軽い筆圧でもしっかりと書けるところ。ボールペンは構造上、ペン先にボールがあって、それを紙の上で転がさないといけない。鉛筆は黒鉛を紙の凹凸にこすりつけて書くといった具合に多少力を入れてあげないといけない。その点、万年筆はペン先を紙の上にのせて、それこそペンの重さだけを頼りに紙の上を滑らせても、しっかりと文字を書くことができる。昔から長文を書く作家の方々が万年筆を手にしていたのはこの理由からだろう。

そして、筆跡が他のペンにはない温かさに満ちている。筆で書いた文字とまではさすがにいかないが、力加減一つで様々な表情が生み出せる。そして、これは特に私が最も気に入っている点なのだが、汚い字も何だか味わい深いものに変えてくれる魔法みたいなものが備わっている。ボールペンで書いた文字はとても事務っぽい印象になるのに対し、万年筆はその人となりが文字ににじみ出やすい。さらに、万年筆ならではの喜びもある。それは、書く紙によって、書き味が全然違ってくるということだ。万年筆のペン先はとてもデリケートなもののようで、目には見えない紙の表面の凹凸をしっかりとらえて私達に正確に伝えてくれる。スベスベとした紙は滑らかな書き味、そしてややざらついた紙なら凹凸のある書き味と言った具合に、まるで万年筆を通じて紙と対話しているかのようである。こういう感覚は、さすがにボールペンでは味わえない。

愛用の紙に、名前を座って書いてみる

最後に久々に万年筆をいっちょ手にしてみようかと、思った方のために購入時のアドバイスを3つほど。

まず、店頭で試し書きをする際は、ご自分の名前や住所等書く。ついついやりがちなのがグルグルとした丸を延々と書いてしまうということ。思うに、これはあまり意味がない。というのもいつも書き慣れた文字を書くことで、はじめてその書き味が実感できるからだ。つまり定点観測と考えればいい。

そして、できればいつも愛用しているノートや手帳、便箋をその場に携えていくといいと思う。通常、試し書きの場ではお店が用意してくれた試し書き用紙に書くことになる。しかし、私たちは万年筆を買ってその後、その試し書きの紙を使う訳ではない。先ほども触れたように、万年筆は紙との対話ができる道具でもある。試し書きの紙でいくら書き心地が良くても、家に帰っていつもの紙に書いてみたら違うということもある。そこで、愛用の紙で書くことで、よりイメージが出来る訳だ。もちろん、その際にお店の方に許可をもらうのをお忘れなく。そして最後の三つ目は、試し書きの時には、できれば椅子に座って書かせてもらおう。万年筆は、どのように使うかといえば、おそらく家や会社の机に向かって椅子に座るということになる。立って書くという人はまずいない。立った状態と座った時とでは微妙にその感覚は違ってくる。要は先程の「名前を書く」、「書き慣れた紙に書く」同様、その万年筆をその後使うであろう状況をその場でできるだけ作っておくのが、コツ。

使い慣れた万年筆を人に貸してはいけない、とよく言われる。これは、自分の書き癖をしっかりと覚え込んでいい具合に馴染んだペン先の調子が狂ってしまうから。つまり、万年筆は書けば書くほどに自分のための道具として育っていくというものなのだ。これを称して、「熟成」と呼ぶ人もいる。パソコンなどはいくら使い込んでも、時間が経てばその魅力は次第になくなり、最新のものにはかなわなくなってしまう。こうしたことも万年筆が、今あらためて見直されている理由なのかも知れない。

土橋 正 (つちはし ただし)

1967年生まれ。
横浜市在住。文具コンサルタント。著書『やっぱり欲しい文房具』技術評論社 1,580円+税、共著『ステーショナリーハック!』マガジンハウス 1,500円+税。

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