Web版 有鄰

517平成23年11月10日発行

藤子・F・不二雄作品の魅力 – 2面

稲垣高広

「川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム」が開館

川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」

さる9月3日、川崎市多摩区に「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」が開館した。『ドラえもん』や『パーマン』などの生みの親として知られる藤子・F・不二雄は、東京都豊島区にあったトキワ荘を1961年に退出後、1996年に62歳で他界するまで川崎市で暮らし続けた。藤子・Fが生涯で最も長く居住した川崎の地に、藤子・Fの画業や人柄を伝えるミュージアムができたのである。

このミュージアムでは、作品の原画を中心に、藤子・Fの愛用品や蔵書など数々の貴重な展示物を鑑賞できる。オリジナルアニメを観られるシアターや、人気キャラクターたちと出会える屋外スペースなど、幅広い世代が楽しめる趣向も行き届いている。藤子・F作品が世代を超えて親しまれているように、この施設も末永く愛されていくことだろう。

2009年から藤子・F・不二雄大全集(小学館)が刊行中ということもあり、藤子・Fの業績が今あらためて注目を浴びている。私は、幼いころから40歳を過ぎた現在も藤子・F作品を熱烈に愛読している。その作品世界に魅了され続けているのだ。では、そんな藤子・F作品の魅力とは何か。

SF・生活・ギャグの3要素が作品の魅力

藤子・F作品のなかで最も広く親しまれている『ドラえもん』は、「SF生活ギャグマンガ」と分類されることが多い。『ドラえもん』はSFマンガであり、生活マンガであり、ギャグマンガである、と位置づけられているのだ。「SF」と「生活」と「ギャグ」――。この3つの要素は、『ドラえもん』のみならず、藤子・F作品全般の特徴をとらえるさいに要点となるものだ。その3要素をキーワードにして、紙面の許す限り、藤子・F作品の魅力に迫ってみたい。

まずは「SF」の要素。藤子・Fは、SF(サイエンス・フィクション)の愛好者だったが、自分の描くSFは、“SUKOSHI FUSHIGIな物語”の意味だとよく語っていた。何百年も未来の遠い宇宙を舞台にした壮大な物語よりも、空想的ながら片足が日常に着地しているような不思議な話を好んで描き、そういう物語を“すこしふしぎ”と呼んでいた。不思議は不思議でも、日常からちょっとはみ出した不思議を愛したのだ。

『オバケのQ太郎』(藤子不二雄Ⓐとの共著)ならオバケが、『ドラえもん』なら未来のロボットが、『ウメ星デンカ』なら宇宙人が、不思議な存在として作中に登場する。それらの存在は、こことは違うどこかの世界から、ありふれた日常の世界にやってくる。

いくら不思議な存在が入り込んでも、作品の主舞台はあくまでも同時代の日常だ。日常が軸となってぶれないから、日常との対比で不思議な存在が魅力的に引き立ってくる。そして、日常がいつもそこにあるから、不思議な存在が友達のように思えてくる。

藤子・F作品には、同時代の日常を主舞台にしていない作品もある。そうなっても“すこしふしぎ”なセンスは鈍らない。たとえば『大長編ドラえもん のび太の宇宙開拓史』は、スケールの大きな冒険物語であり、その舞台は「コーヤコーヤ星」という途方もなく遠い星だ。藤子・Fは、そんな非日常的な舞台をこちら側へひょいと引き寄せる日常性を導入する。遠い星の宇宙船のドアが、空間のねじれによって、のび太の勉強部屋の畳とつながってしまうのだ。それは、途方もない非日常と、きわめて身近な日常との奇跡的な隣接だ。その隣接状態に、藤子・Fらしさが魅力的に漂っている。

「SF短編」と呼ばれる作品群では、藤子・FのSF感覚が鋭く顕在化する。「SFとは、モノの見方である」という言葉があるが、藤子・Fの「SF短編」は、我々のモノの見方に新しい角度を提示する。なかには、新しい角度どころか、これまで自分が信じてきた常識を根底から揺さぶるような作品もある。『ミノタウロスの皿』では人類と家畜の関係性が、『気楽に殺ろうよ』では一次的欲求をめぐる羞恥心のありようが、『どことなくなんとなく』では自分を取り巻く世界の実在が、ぐらぐらと揺り動かされる。日常を大切にする藤子・F作品によって日常の足場を奪われる体験は、まことに衝撃的である。

「SF」の次は「生活」の要素だ。日常感覚を重んじる藤子・Fの創作姿勢は、おのずと人々の生活を描くことにつながる。とくに藤子・Fが熱心に描いたのは、子供の生活だった。子供は純真で美しく夢想的な面もあるが、残酷でずるくシニカルな面もある。藤子・Fは、そうした子供の本来的な姿を、現実の子供をじかに取材するのではなく、自分の子供時代の体験をベースに描き続けた。時代が変わっても子供の魂は変わらない、という真実を証明するかのように。

藤子・Fが子供のいる風景として“土管のある空き地”を描き続けたことは、よく知られている。現実には失われつつあった懐かしい風景を守り抜いた藤子・Fの頑固さは、作品を発表するその時代に合った新しいものを作中に取り込んでいく柔軟さと同居していた。そのバランス感覚が、藤子・F作品に世代を超えて愛される普遍性を付与した。

土管といえば、『ドラえもん』や『てぶくろてっちゃん』には、土管を空飛ぶ乗り物に仕立てる話がある。その着想にも、藤子・Fらしい日常と非日常の匙加減が効いている。

第3の要素は「ギャグ」、つまり「笑い」である。藤子・Fの主要な作品を見渡せば、笑いを主眼に置いたマンガが多いことがすぐにわかる。『ドラえもん』も『オバケのQ太郎』も『パーマン』も『ウメ星デンカ』も『チンプイ』も皆そうだ。藤子・F自身、落語をはじめ笑いの世界を愛し、物静かなタイプながらユーモアがあって悪戯好きな人物だったという。

3要素が揃った珠玉の一編が「ドラえもんだらけ」

「ドラえもんだらけ」から

「ドラえもんだらけ」から
小学館てんとう虫コミックス『ドラえもん』第5巻 ©藤子プロ・小学館

『ドラえもん』は近年、感動系の話がメディアでよく紹介されていて、それは素敵なことではあるが、本来は笑える話の宝庫である。一例をあげれば「ドラえもんだらけ」という話。ドラえもんがタイムマシンで2時間後と4時間後と6時間後と8時間後のドラえもんを現在に連れてきて、皆でのび太に頼まれた宿題をやるというストーリーだ。これがドタバタギャグの傑作なのである。ドラえもんの尋常でない表情だけで笑わせてくれて、まるで顔芸コントを見るようだ。ドラえもん同士による「やろう、ぶっころしてやる」「きゃあ、じぶんごろし」というやりとりは、もはやブラックユーモアの領域である。

2時間ずつ異なる時間軸のドラえもん5人が同じ時間軸に集合することで、タイムパラドックス(時間の因果律の不整合)が発生する。その不整合がテンポよくパズルを解くように辻褄合わせをされていく後半の展開は、上質の時間SFの醍醐味を堪能できる。

話の舞台はずっとのび太の部屋、やることはひたすら宿題という点では、生活マンガの趣も色濃い。「ドラえもんだらけ」は、「SF」「生活」「ギャグ」という藤子・Fらしい3要素が見事に揃った珠玉の1編なのである。

藤子・F・不二雄作品の魅力を駆け足で述べてきたが、広大な作品世界のごく一部に触れたにすぎない。これを機に、実際に作品を読んだり、ミュージアムへ足を運んだりして、皆様なりの魅力を発見していただけたら、一ファンとして大きな喜びである。

稲垣高広  (いながき たかひろ)

1968年愛知県生まれ。
ブログ「藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記」運営者。著書『藤子不二雄Ⓐファンはここにいる』1・2 社会評論社 各1,900円+税。

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