Web版 有鄰

496平成21年3月10日発行

[座談会]広がる「時代小説」の世界

作家/北重人
作家・歴史文芸評論家/高橋千劔破
文芸評論家/細谷正充
ライター・本紙編集委員/青木千恵

左から、細谷正充・北重人・高橋千劔破・青木千恵の各氏

左から、細谷正充・北重人・高橋千劔破・青木千恵の各氏

はじめに

『利休にたずねよ』・表紙

山本兼一
『利休にたずねよ』
PHP研究所

青木ここしばらく、直木賞の候補作は現代小説が大勢を占め、時代小説が候補に上らないこともしばしばありましたが、1月に選考が行われた2008年下半期の第140回直木賞では、候補6作のうち3作が時代小説となりました。受賞作は山本兼一さんの時代小説、『利休にたずねよ』と、天童荒太さんの現代小説『悼む人』でした。

またその前の回では、デビュー作ながらベストセラーになった、和田竜さんの『のぼうの城』が候補に挙がって、話題になりました。

今年のNHK大河ドラマの『天地人』は、火坂雅志さんの同名小説が原作です。これまでよく知られた人物が主人公になることが多かった大河ドラマで、気鋭の火坂さんによる上杉家の参謀の物語が描かれるのは、「異変」のひとつかと思います。

今、時代小説は執筆者、話題作が豊穣に広がって、新たなファンを獲得している状況ではないかと思います。

時代小説コーナー(有隣堂本店)

時代小説コーナー(有隣堂本店)

本日は、作家の北重人さん、新人物往来社で月刊『歴史読本』編集長、同社取締役編集局長を経て、現在は、文学、山、旅など幅広いテーマで執筆活動をされている高橋千劔破さん、エンターテインメント小説の評論に携わり、古今の名編を編んだ時代小説アンソロジーが好評の文芸評論家、細谷正充さんにご出席いただきました。

今、時代小説が元気といわれるのはなぜか、時代小説の魅力について、お話をうかがいたいと思います。

直木賞候補6作のうち3作が時代小説

『汐のなごり』・表紙

北重人
『汐のなごり』
徳間書店

青木2008年下期の直木賞では北さんの『汐のなごり』も候補になりました。

直木賞候補になるとは思ってもいませんでした。2007年に『蒼火[あおび]』で大藪春彦賞を受賞しましたけれど、直木賞はずっと遠い話だと思っていたんです。今回『汐のなごり』が候補になったのは非常にうれしかったですね。私は60歳を超えていますから、いただけるものなら早いうちにいただいておいたほうがいいかなという気持ちはありました(笑)。結果は残念でしたが、この10年間書き続けてきたことに対する励みにはなりました。これからも書き続けて、また機会があればというふうには思っております。

細谷直木賞に関しては、めぐり合わせもありますが、6作中3作も候補になるというのは、それだけすぐれた作品があり、層が厚いということだと思います。

高橋時代小説の幅が広がり、読み手も広がって、直木賞選考委員の中にも時代・歴史ものに注目をする方が増えました。今また新たなるブームが来たのかなと、うれしく思っております。

細谷私は中学生のころに捕物帳から入り、横溝正史や角田喜久雄などの伝奇長編が面白くて時代小説を読むようになりました。しかし当時はそこから先は誰がいて、どんな作品が出ているのかがさっぱりわからなかった。

今は本屋に行けば、時代小説コーナーがあり、フェアが催されていて、すぐ手にとれる。だから、時代小説は状況がどんどん膨らんでいるような気がするんです。

青木佐伯泰英さんを始めとする時代小説の書き下ろし文庫が定着したり、志水辰夫さん、真保裕一さんら、現代小説の人気作家も次々と時代小説を発表していますね。

時代小説の舞台は江戸時代の江戸の町が基本

青木一般には広い意味で時代小説と呼ばれているようですが、歴史小説との違いはどこなのでしょう。

高橋そこの定義はなかなか難しいところがあります。時代小説とは、基本的には江戸時代の江戸の都市を中心にしたものを舞台として書かれた小説と言えます。根底にあるのは歴史ですが、その中で架空の人物が主人公で、江戸のある時代を背景として活躍する。チャンバラもの、股旅もの、捕物帳や時代推理などですね。そういう作品が時代小説の主流だと思います。

現在ではそれが、明治や戦国時代、さらにはより古い時代、また、江戸の町以外の場所に飛び火しつつ、時代小説の範囲が広がっている。

歴史小説は、歴史そのものを素材とし、歴史上の人物を主人公にして物語化したものです。歴史小説では架空の主人公は出てこない。もちろん作者の空想もたくさん入ってきますし、狂言回しに架空の人物を出したりはしますが、主人公はあくまでも歴史上の人物です。

戦後、新たな史観で歴史の面白さが再発見される

青木高橋さんは、編集者として時代小説の流れをどのように見ておられますか。

高橋ちょうど昭和30年代から40年代にかけてが、歴史・時代小説のいわば全盛期でした。戦後の復興期や成長期の中で、昭和30年代ぐらいから、戦前の皇国史観に基づく歴史の見方とは違う、新たな史観のもとで歴史の面白さが再発見された。そういう中で書き手がたくさん輩出しました。

しかし、昭和50年代には歴史・時代ものでの直木賞受賞が少なくなります。その時期には少年漫画雑誌から、チャンバラものや忍者ものが消えていきます。古くは「赤胴鈴之助」のように、少年たちのアイドルには剣士がいた。それが、学園ものやSFものに変わり、50年代には『少年マガジン』や『少年サンデー』などからはなくなってしまうんです。テレビドラマでも「水戸黄門」以外のチャンバラものの多くが消えてしまいました。

昭和60年代から平成に入るころになると、また歴史・時代ものが復活して、新しい書き手があらわれてきたりしています。

平和で知的レベルが高かった江戸時代を見直す

青木江戸ブームは、今も続いていますね。

高橋そもそものきっかけは、昭和45年の「明治100年」ですね。高度経済成長を続けてきて、ちょっと立ち止まってみようという余裕が、明治100年を境に出てきたんじゃないですか。

薩長藩閥の明治政府がつくった、勤皇・尊皇の志士を正義とし、佐幕派を悪とする史観が一つの流れとしてあり、また、それ以降の欧化主義や軍国国家を突き進む歴史もありました。その中で、自分たちが忘れてきた、あるいは置き去りにしたものをもう一度振り返ってみる。いろいろな形でもう一度江戸を見直そうというブームが起こった。

江戸というとても面白い、平和な時代には学ぶべきものがたくさんあるんじゃないか。そんな意識が芽生えて、江戸を知るためのさまざまな書物が増えました。そういう流れの中で、時代小説が復活していったのかなと思います。

青木2003年(平成15年)の江戸開府400年にも盛り上がりがありましたね。

高橋江戸時代は、大坂の陣から戊辰戦争まで、200年以上も内乱がなく、対外戦争もない。江戸時代には現代に通じることもたくさんあります。言葉にしても、江戸時代の江戸の町にポッと行っても会話はほとんど通じます。

むしろ今よりも言葉が豊かで、ダジャレや面白いことを言い合ったりしていた、知的レベルが高い時代です。そのことに、みんなが気がついたんでしょうね。

若い世代にとって歴史は「回帰」ではなく「発見」

青木読者自体も違ってきているんでしょうね。

高橋戦前とその流れを引きずった昭和30年ぐらいまでの教育を受けた人たちは、勤皇・尊皇が正しくて佐幕が悪いというふうに学校で教わっている。そこから後の人たちにはそういうものがないわけですね。

昨年末に亡くなった早乙女貢さんは徹底して薩長藩閥政府である明治政府の欺瞞を追求し、敗者の側から幕末維新史を見ていたんです。


『会津士魂』・表紙

早乙女貢
『会津士魂』
集英社文庫

ライフワークの『会津士魂』を『歴史読本』に連載し出した昭和45年頃は、尊皇・勤皇こそが正義で佐幕は悪という史観が、まだ一部にあって、編集者の私にも抗議が来ました。

細谷私はもう少し若い世代なので、歴史に対するこだわりはあまりありません。勤皇が正しかろうが、佐幕が正しかろうが、要は物語の中で整合性がとれていて、なおかつ面白ければいいんです。勝海舟を英傑として書いた作品と悪人として書いたものがあっても、それはそれでいいのではと思ってしまいます。

青木聞くところによりますと、中高年の男性が子どものころは西洋にあこがれを持っていたらしいのに、今の中学生は甲冑好きの男の子がいるとか、すごく「日本回帰」みたいな感じがします。

細谷多分若い世代の人にとっては、回帰ではなく発見なんだと思います。つまり、知らないんです。知っているのは、教科書で学ぶ日本史の無味乾燥なところです。実際に何か作品に触れてみると、面白いことがいろいろ出てくる。自分たちの知っている歴史とは別に、もっと面白いことがいろいろあるのではということになります。

高橋若い人たちにとっては確かに発見なんですね。

日本人は年をとると時代小説を読み始める

細谷私の周りの若い人たちで、本が好きな人でも、時代小説は読んでいないという人が多い。それが40歳を過ぎたころからいきなり読み出すんです。「佐伯泰英さんを読んだけど、面白いよ」とか言い出す。だから、日本人はある程度の年齢になると、時代小説を読む何かが出てくるんじゃないかと思います。

高橋私が編集に携わっていた『歴史読本』の読者は高齢者が多いんです。若い読者を増やすにはどうしたらいいのか、会議をしょっちゅう開きました。漫画を入れろだとか、若い書き手に書かせろだとか。

でもあるとき、私は気がついた。日本人は黙っていても40歳ぐらいから歴史・時代ものを読み出すと。

大人になって、結婚したり子どもができたり、親が死んだりという経験をする中で、自分の親とか先祖とかを考えるようになる。すると、例えば、自分の家の家紋は何だとか、過去に対して興味が出てくる。だから、読みたくないという若者に「読め、読め」って無理にやったってだめだということに気がついたんですよ。(笑)

漫画やゲームなど時代小説を読むきっかけはさまざま

青木読者のイメージとしては、中高年の男性と言うことですか。

細谷最近は歴史好きの女性が多くいて、「歴女」なんて言われています。

神田に、時代屋という歴史をテーマにした書籍やグッズの専門店があります。そこは女性のお客さんが多いそうで、彼女たちが男の子を連れてきて、引きずり込んでいくという話を聞きました。

高橋昭和40年代に、大内美予子さんの『沖田総司』がベストセラーになり、女性読者がついたんです。その中で新選組ファンクラブのようなものができて、一挙に膨らんでいく。それがいまだに続いていて、女性で時代もの、歴史ものを読む人たちが増えていきましたね。

細谷「新選組血風録」の上映会に行きましたら、観客の8割ぐらいは女性です。出演者の左右田一平さんと休憩時間に話をしていて、振り向いたら女性が花束を持ってずらっと並んでいる。(笑)

高橋架空の恋人として、新選組の沖田総司、土方歳三や近藤勇など、それぞれにファンがついた。演じた俳優に花束を持って行くとかお墓を訪ねて花を置いてくるとか、いろいろありましたね。

青木私も原田左之助ファンでした(笑)。その気持ちはわかります。さまざまな読者がいるということですね。

細谷時代小説を読むきっかけは、現在はとくにさまざまですね。例えば漫画でもいいわけです。

高橋さんが昭和50年代で一度途絶えたとおっしゃった時代漫画も、その後復活して今は多くあり、若い人たちが読んでいます。それからゲーム。例えば『三国志』は横山光輝の漫画があり、ゲームもあってと入口が多様にあるんです。また「戦国BASARA」というゲームがあって、戦国武将の多くが美形です。女性の中には、そこから小説へと入ってくる人がいる。

作家も、昔から時代・歴史小説を読んできて、自分も書くようになった王道的な人もいれば、若い人の中には明らかに漫画やゲームの影響が感じられる人もいます。作家も多様なタイプの人たちが入り交じっています。

さらに今、時代小説は人気があるからか、ほかのジャンルの作家もどんどん書くようになっています。どうも日本の作家というのは、一度は時代小説を書かないと気が済まないんじゃないかと思うんです。そんなことで書き手も増えて、ブームみたいに思われるんじゃないでしょうか。

高橋女性と男性ということで言うと、昔は書き手にも女性は少なかった。今では圧倒的に女性が多いですね。

都市計画の視点から江戸に興味

青木北さんはどんなきっかけで小説を書き始めたのですか。

私は、山形県酒田の生まれ育ちです。高校時代の昭和39年に東京オリンピックがあり、テレビに映るオリンピック関連の建設現場などを見て、東京はすごい、東京に行きたいという気持ちが強くありました。小説も好きでしたが物をつくる建築設計という仕事をやりたいと思い東京に出てきました。

ずっと建築と都市計画の仕事をしていまして、小説を書き始めたのは50歳に近いころでした。きっかけは当時ワープロを使い始めたことと、そのころ仕事上の悩みなどで夜によく目が覚めたんです。暗い部屋の中ですと、悪い事ばかり考えるものですから、起き上がってワープロの勉強でもしようということで。

それが、だんだん現代ものの短篇小説の形になってきました。やめられなくなって、仕事の合間にいろいろ書くようになり、何編か書いた後に、時代小説も書いてみようかなと思いました。

『夏の椿』・表紙

北重人
『夏の椿』
文春文庫

江戸ものを2、3編書いたころ、文学賞への応募を勧められて、1997年に『オール讀物』新人賞に応募しました。その『陽ざかりの棗』が最終候補に残ったことも、時代小説を書き続けていく力となったと思います。

最初に出した本は2004年の『夏の椿』で、それからは毎年1冊というペースで書いてきました。

現代社会の仕組みの元は江戸時代にある

青木どんなことから時代ものを手がけるようになったのですか。

大学を出て建築の仕事につきまして、30歳のとき仲間と事務所を立ち上げ、当時の第二次オイルショック、40代半ばのバブル崩壊も経験して、50歳の手前までは過去のことを考えたりはせず常に前を見て駆け足でやってきました。ところが、年を重ねてきて、はて、これでいいのかなと思うようになりました。前だけではなく、後ろも振り返る必要があるのではと強く思いました。

仕事が都市計画や町づくりといったこともあり、江戸の空間や町の成り立ちなどについては、大分興味がありましたので、いろいろなことを調べ、それをもとにして短編を書いてみようと思ったのが始まりでした。書いてみたら江戸を検証するといった感覚があり、とても面白く感じましたね。そのうち、江戸の空間から、社会的な仕組みや人びとはどうなんだろうかということなどにも興味が広がっていきました。

現代に生きているとなかなか人の顔も見えないし、経済の状況もよくわからない。動きが速いし、実態が見えないわけです。

時代小説を書くと、社会のの仕組みにしても、手に取るようにわかるところがあります。江戸時代の制度は非常にシンプルでわかりやすい。

今、いろいろな仕組みがありますが、江戸時代にはその元があります。現代はそれが非常に精度が高くなったり、複雑になっていますが、さまざまな制度のもとは意外と江戸にありますね。

気候や行事などから、季節の感覚がわかってくるようなところもあります。登場する人物も、手ざわりのある人をつくり出そうとか、手ざわりのある空間を書いてみようと思うんです。そういうところも私にとっては時代小説を書く原点の一つかなという感じがします。

過去の人間に現代的なテーマを与えて書く

『天地人』・表紙

火坂雅志
『天地人』
NHK出版

高橋最近の作家たちは新しい切り口を見つけて書いていますね。例えば畠中恵さんは「あやかし」の世界みたいなものによく気がついたなと思う。今回『利休にたずねよ』で直木賞を受賞した山本兼一さんに最初に注目したのは、『白鷹伝』という戦国時代の鷹匠の話で、その後も陶工の話を書いたりで、匠の世界をずっと追っている。これも、ちょっと違う切り口だと思います。

山本一力さんは作品の中に江戸のさまざまな食い物の話などのうんちくを書き込み、非常に受けた。ストーリーだけを追っていくと、背景にあるものが読者にはわかりにくい。だから、作品の中で解説してあげると読みやすい。そんな傾向も最近はあるのかな。

細谷佐々木譲さんの『武揚伝』は、榎本武揚をテクノクラートとしてとらえるというところが新しい。

一般にはよく知られていない人物もたくさんいると考えると、題材というのは尽きることがないと思います。

書き手のほうも、現代をかなり整理して読み取れるようになってきた。過去の人間に、現代的なテーマを与えて書くようになったということじゃないですか。

高橋今年の大河ドラマ、『天地人』原作者の火坂雅志さんの場合は、『西行桜』を書いて以後は戦国時代に定着し、それから戦国ものをずっと書いています。架空の人物は入れていますが、歴史小説と時代小説の境目みたいな作品です。『全宗』では施薬院全宗のような面白い人物を探してきたりしています。

青木火坂さんは、もともと、本格的な歴史小説を書こうと思っていた。しかし、それを書くには、作家としての総合力が必要であると考えていたそうです。書き手も成熟しないと、というところがあるんでしょうか。

山形の架空の湊町の商人を描いた『汐のなごり』

青木北さんの作品では、東北の風情が再発見されるというところがありますね。

東京の人の大半は地方から来ています。もともとは日本の各地に住んでいた人が集まってきているわけで、もう少し拡散して地域を書いていってもいいんじゃないかという気持ちはずっとあって、私は酒田の生まれだから、非常にミクロですが、湊町を書いてみようと思ったんです。

細谷『汐のなごり』を読んだとき、舞台になっている北の湊町は、藤沢周平さんの海坂藩を意識しているのかなと思いました。

海坂藩は、庄内の鶴岡周辺をイメージしていますよね。最上川の南です。酒田は川の北側の湊町です。酒田は庄内藩の支配を受けていましたが、武家に対する反発があったりして、鶴岡とは仲はよくなかったようです。藤沢さんの作品は、庄内藩をベースにした武家ものですが、私は水潟という架空の湊町をつくり、武家ではなく商人を主人公にした短編集を書こうかなというのがきっかけでした。

高橋背景が新鮮ですよ。藤沢さんの海坂藩という架空の藩の物語は、今の日常生活のどこかに結びついているような話と、なつかしい、風土的な土のにおいとか、そんなものが感じられてみんなはまっていくんですね。

北さんの『汐のなごり』もそうで、江戸時代の架空の湊町を舞台にしたさまざまな物語をずっと続けていくというのは、新しい切り口であるかもしれない。

もっと増えていい地方を舞台にした「ご当地時代小説」

『お火役凶状』・表紙

澤田ふじ子
『お火役凶状』
中公文庫

高橋今の書き手で地方を舞台にして書いている人はどんな人ですか。

細谷築山桂さんは大阪を舞台に「緒方洪庵浪華の事件帳」シリーズなどを書いています。富樫倫太郎さんの『いのちの米』も大阪の米相場が舞台です。

高橋澤田ふじ子さんも、『お火役凶状』などの捕物帳シリーズで、江戸の八丁堀のような話を、京都を舞台にして書いています。

それにしても京都とか大阪ですよね。地方の話はなかなか読んでくれない。

高橋秋田出身の花家圭太郎さんは、秋田を舞台にした作品がなかなかいい。

細谷今までだと、地方を舞台にすると、そこに武将や有名人がいたという話になってしまいますよね。『汐のなごり』のように、その場所が単に舞台として選ばれた作品というのがもっと増えていいと思います。ご当地ミステリーならぬ、ご当地時代小説というふうに。(笑)

高橋火坂雅志さんは新潟生まれで、郷土の直江兼続を書いた。やっぱり時代小説が江戸から離れたところで非常に膨らんできているのかな。

歴史の主流からはずれた人物を主人公にした『天地人』

高橋書き手には有名人物を主人公にしないと読まれないんじゃないかという不安がどうしてもあってね(笑)。確かに出版社のほうもそうなんですよ。地方の無名な一商人の話とかは、出版社が出さないというのがあります。でも、そういう中で大河ドラマでさえ、篤姫や直江兼続などの、歴史の主流からちょっと外れた人物を主人公にしたりするから、流れが変わるんじゃないでしょうかね。

そうすると、新しい書き手の人たちも、いかにして新たな主人公をつくり出そうかとみんな頑張る。そういう中からきっと、歴史上の新たなヒーローやヒロインが出てきますよ。それをつくれたら、書き手にとってはまさにしてやったりということでしょう。

『天地人』の直江兼続の兜の前立ての「愛」の文字からは、一つの人間像を考えさせられます。実際はあれはラブの「愛」ではなく、信仰上の愛染明王などの「愛」だろうということですが、それを人間愛みたいなことに結びつけてストーリーを展開する。

若い人は、あの文字にはびっくりしますよね。

高橋そういうところに目をつけるところが、火坂さんの力ですね。

細谷歴史小説や時代小説は、扱う時代がだいたい決まっていて、割と空白地帯が多かったりします。そういう意味ではまだいろいろやりようがあるなと考えています。まだ手つかずの部分があるし、今だったらそういうものに挑めるんじゃないか。

北方謙三さんが南北朝を舞台に『武王の門』を書いたときは、その時代で、さらに九州が舞台というのは、今までなかったな、と思いました。

あるいは荒山徹さんの『サラン』のように、日韓の関係の中でストーリーをつくるなんて、初めは続くのかなと思ったけれど、後から後から、幾らでも出てくる。また、池上永一さんの『テンペスト』は、幕末から明治の沖縄を舞台にしてエンタテイメントに仕上げています。

時代背景が上手に出てこそ時代小説

『鬼平犯科帳』・表紙

池波正太郎
『鬼平犯科帳』
文春文庫

高橋最近は書き手の人がよく勉強し、調べて書いていますね。時代背景が上手に物語のなかに出ていてこそ、時代小説なんです。ストーリーの面白さだけでは、どうしても続かないんです。背景に書かれているもので、作家も作品も、長続きするかしないかが決まるような気がします。

池波正太郎さんは江戸の町割りを非常に正確に書いていている。『鬼平犯科帳』では、主人公の長谷川平蔵は実在の人物ですが、物語そのものは架空の話です。架空の話を書いていながら、そこに出てくる舟宿、食い物屋など、当時あった店を書いている。どこにあったかまでも正確なんです。

どこの店でどんなものを食べるとか、料理法までも書いている。そういう中で季節感とか、人々の生活のにおいみたいなものを出して、ストーリー以外の部分でも読者を引きつけていく。

小説だからといって、あんまりうそは書けないですね。寛政なのか、天明なのかといった時代背景は特に重要です。江戸の町も時期によって随分変わりますから、その時代の町の話などをある程度調べないといけない。

高橋私も編集者だったとき、書き手の人たちとずいぶんやり合った。文化・文政の時代なのか元禄期なのか。時代をごっちゃにしてはだめだと。

『半七捕物帳』・表紙

岡本綺堂
『半七捕物帳』
光文社文庫

ひところ時代ミステリーがはやりました。これは、岡本綺堂の『半七捕物帳』から始まる捕物帳の王道からはちょっと離れて、江戸の町や江戸の四季が浮かび上がってこないようなものが多かった。

資料探しはインターネットで格段に楽になった

細谷最近は資料を調べるのが格段に楽になりました。昔は調べようと思っても、そもそも何を調べればいいのかがわからないというのがあったんですが、今はインターネットの検索で、何があるかわかりますし、資料も多い。

高橋なるほど、それがあるんですね。歴史ものや時代ものを書く作家は、作品を読むと、資料を集めるのにどれだけ金と暇をかけているかが分かるんですよ。

私は南條範夫さんに「君のところで図書館をつくらないか。そうしたら俺の資料を全部やる」と言われたことがあった。集めた資料が、死後に散逸するのはもったいない。活用されるなら寄付すると。ところが小さな図書館が一軒建つぐらいの量です。昔は歴史ものを書くのは、それほど大変だったんです。

昔はとば口のところでどんな資料があるかと調べるのが大変だった。今はインターネットで検索して、ある程度絞り込めます。一たん焦点が絞られれば、あとはいろいろな調べ方がある。

高橋資料収集とか調べたりする方法論としてはやりやすくなった。

細谷そういう敷居の低さもあって、書き手が増えているんだと思います。逆に、たまに非常に甘い気持ちで書いてくる人もいるので、時代小説をなめるなと言いたくなることもあります。

高橋ネットで検索して、出てきたものだけで書いたら浅いわけで、その先をやるかやらないかがある。思いつきで書いて、一作売れたらこれでいいやと思うような人は、結局消えていきますね。

背景を調べているときに、アイデアがひらめいたりしていくこともありますね。それが一種のエンジンになったりもします。

歴史の空白をつなぐのが歴史小説家の才能

高橋歴史学者の奈良本辰也さんが、司馬遼太郎に俺はかなわない、と言っているんです。

学者は、史実という点を研究し、掘り下げていく。作家はその点と点の間の空白の部分を、空想でつないで線にしている。それは自分には書けない。司馬遼太郎が書いたものを見ると、いかにもそれが正しいかもわからんと思う。それが悔しい。学者は作家にかなわないというようなことを書いています。それは、学者たちからは反発を呼ぶでしょうけれども、正直な考えですよね。

例えば永井路子さんは『吾妻鏡』を、返り点とかをつけない白文で、すり切れるほど読んでいるんです。それで、自分なりの解釈で物語をつくり、本を書く。

資料をきちんと読みこなして、その中の空白の部分をどう上手に組み立てて合理性のある自分なりの歴史を構築できるかが歴史小説家の才能であり、あるいは使命であるのかもしれませんね。

調べ始めるときりがない。つい夢中になると、書くのがおろそかになります。

高橋昔からそうですよ。稲垣史生さんは時代小説を書いていましたが、資料調べのほうが面白くなって時代考証家になってしまったんです。昔の時代考証家は、最初は小説家です。

稲垣さんに師事していた杉浦日向子さんもそうですね。漫画家から、江戸風俗研究家になった。

歴史と文学はもともと一体のもの

青木時代小説はある種の制限もあるジャンルでもあると思います。その中でなぜ面白いのか。時代小説だからこその面白さとはどんなところでしょうか。

細谷私は、伝奇小説のような波瀾万丈の物語が一番好きなので、最初は歴史小説は全然読まなかったんです。現実の歴史を読んで何が面白いのかと思っていた。しかしいろいろ読んでいるうちに、そこには作者のフィルターがあって、同じ人物やエピソードを書いても作品によって違うことがわかったんです。

それは歴史をいかにとらえるかということですね。そこがわかってくると、面白く感じるようになるんです。

それと、学校で教わった歴史は、一断面でしかなかったのではないか。むしろその下にあるいろいろなものに、面白いことがあるんじゃないかというのに気がつくと、やめられなくなりますね。

高橋歴史というのは、もともと文学と一体のものなんです。私たちが知っている歴史は、もしかしたら物語の世界なんです。

まず、『古事記』は、日本最古の歴史書といわれていますが、うそがいっぱい入り込んでいる、壮大な英雄叙事詩みたいな物語ですね。

『平家物語』は日本の物語文学の最高傑作で、なかなかこれを超えられない。さまざまな小説の要素が入っていますが、背景には平安後期、源平合戦の時代から、鎌倉幕府の成立までの歴史がある。

その後は南北朝の時代を描いた、戦記文学として最高峰の作品『太平記』です。これは「太平記読み」といわれる物語僧によって広まり、やがてそれが江戸時代には講釈となり、さらには今に伝わる講談につながっていきます。

戦国期にはいろいろなドラマが生まれますが、それが江戸時代の初期になると、史実を背景にして、例えば、日吉丸が出世して太閤秀吉になるまでの物語を、フィクションにしてあらわす、司馬遼太郎さんみたいな書き手が出てくる。

忠臣蔵もそうですね。実際にあった赤穂事件を『仮名手本忠臣蔵』という浄瑠璃、歌舞伎のドラマに仕立てられ、さらにたくさんの小説が出る。

歴史を物語として再確認したいという無意識の願望が、いつの時代も誰にでも必ずあり、歴史を物語化して提供することができれば、恐らく多くの人ははまるんですよ。

時代小説はヒーローを正面から書きやすいジャンル

細谷時代小説はヒーローを正面から一番書きやすいジャンルだと思います。例えば現代の小説で、真っすぐな正義感の人物を主人公にして物語を成立させるのは結構難しい。何重にも仕掛けを施さないと成り立たない。読者が、これはあり得ないと思ってしまいます。

時代小説では、昔ならこういう人はいたかもしれない、と受け入れられる部分もあります。今だと書きづらい、ちょっと照れるようなことをストレートに書けるという利点はあると思います。読者もそういうものを求めているんじゃないですか。

それから、時代小説作家のいいところは、年を取っていくに従って、作品が厚みを増していくというのがありますね。読者は長くつき合っていけるというところがある。一回読者がつくと離れないんですよ。また、時代小説作家はなぜか長生きの人が多い。

高橋だから、金太郎アメでいいんですよ。昔折ったところと、最近折ったところとでは、似ているがどこか違う味が出てきたりする。

読むほうも年を取っていくから、見方がまたその都度変わっていくというのはあるかもしれないですね。

細谷時代小説の読者がいいのは、大人なのでうるさいことは言わない。黙って買って黙って読み、つまらなかったら黙って去る。

不動の人気の作家・作品

『蝉しぐれ』・表紙

藤沢周平
『蝉しぐれ』
文春文庫

青木おすすめの作品をいくつかご紹介いただけますか。

高橋不動の人気がある山本周五郎、司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎などはみんなそれぞれ面白い。

山本周五郎の世界は日常の中でのさまざまな出来事、人情の機微や、心のやりとりなども含めて、私たちの今につながるものを非常にわかりやすく示してくれています。

『翔ぶが如く』・表紙

司馬遼太郎
『翔ぶが如く』
文春文庫

歴史そのものに切り込んだ司馬遼太郎の歴史小説は、もしかしたら歴史はこうだったかもしれないと思わされる。中には架空の資料も入っていたり、作り話もたくさんあるけれど、例えば、坂本龍馬はこうやって脱藩したんだと思わせる。

司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』は何遍も読みました。当時の日本の情勢が非常によくわかって、なおかつ世界の中での日本のロケーションみたいなものまでわかる。その中で生きている木戸孝允や大久保利通、西郷隆盛という人たちを非常に身近に感じさせられました。まさにこういう人たちが時代をつくっていったというところが浮き彫りになってくる。そういうことでは、『坂の上の雲』も印象に残っていますね。

高橋藤沢周平で特に評価したいのは、海坂藩を全国区にしたことです。山形の架空の小藩の、家老や下級武士などの生活を小説にして、それが全国にひろまった。

私は、身近に感じられる人を描いた『三屋清左衛門残日録』や『蝉しぐれ』は特に好きです。年をとって読んでいくごとに、印象が少し変わるところがあって、面白いものだなと思うんです。

高橋池波正太郎は江戸の町を、切り絵図とかを時代ごとに調べて、時代背景を緻密にとらえています。さりげなく書いているけれども、きちんと考証している。

もっと評判になってほしい伝奇小説

細谷私が好きな伝奇小説は、昔の作品がなかなか読めないのが残念です。野村胡堂の『美男狩』や『身代わり紋三』などは復刊してほしいですね。早乙女貢さんも、『会津士魂』だけでなく、『海の琴』、『太平の底』、『城之介非情剣』など面白い作品がたくさんあります。

今は伝奇小説は、ほぼ絶滅状態に近いと言われていて、伝奇小説とつけると売れないと言われているらしいんですが、そんなことはないと思います。

矢野隆さんの『蛇衆』は、時代アクションと言っていますが、要するに伝奇小説だと思います。荒山徹さんも、伝奇小説でひたすら頑張っている。今のところマニア人気のようですが、これからもっと評判になってもいいと思います。

文庫書下ろしで作品を出している上田秀人さんも、私の感覚では伝奇小説です。剣の強い若者がいて、幕府にかかわるような事件に巻き込まれて、戦いを繰り広げる、というような話です。

壮大なストーリーが展開する『大菩薩峠』

『大菩薩峠』・表紙

中里介山
『大菩薩峠』
ちくま文庫

高橋中里介山の『大菩薩峠』は、現在は文庫で全20巻で出ています。たくさんのストーリーが絡み合い、幕末という時代を背景にうねっている壮大な物語です。机龍之助は平気で人を殺す。ニヒルな人間が主人公になる最初の小説です。最初は面白いと思って読んで、はまり出すと震えがくるぐらいにすごい。

『大菩薩峠』は、私も高校時代に読み、40歳過ぎてからもまた読みましたが、今、お話を聞いてまた読み返してみたいなと思いました。

細谷川口松太郎は読み始めると、面白くて100ページぐらいすぐ読めます。今はあまり読まれていないけれど、読んでほしいですね。

高橋岡本綺堂の『半七捕物帳』は今読んでも面白い。歴史小説、時代小説というのは、不思議なことにあまり腐らないんですね。

現代の書き手は、非常に幅広く、すぐれた書き手があらわれてきており、書く視点がそれぞれ違う面を持っていて期待をしております。

青木どうもありがとうございました。

北 重人 (きた しげと)

1948年山形県生れ。
著書『蒼火』 文春文庫 695円+税、『月芝居』 文藝春秋 1,524円+税、ほか多数。

高橋千劔破 (たかはし ちはや)

1943年東京都生れ。
著書『名山の文化史』 河出書房新社 2,500円+税、『江戸の旅人』 集英社文庫 600円+税、ほか。

細谷正充 (ほそや まさみつ)

1963年埼玉県生れ。
著書『江戸の漫遊力』 集英社文庫 762円+税、『大江戸殿様列伝』 双葉文庫 600円+税、ほか。

※「有鄰」496号本紙では1~3ページに掲載されています。

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