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489平成20年8月10日発行

[座談会]箱根火山 噴火の新しいメカニズムをさぐる

日本大学文理学部地球システム科学科教授/高橋正樹
神奈川県温泉地学研究所主任研究員/萬年一剛
神奈川県立生命の星・地球博物館学芸員/山下浩之
有隣堂社長/松信 裕

右から、山下浩之・高橋正樹・萬年一剛の各氏と松信 裕

右から、山下浩之・高橋正樹・萬年一剛の各氏と松信 裕

はじめに

箱根火山とその周辺図

箱根火山とその周辺図
神奈川県立生命の星・地球博物館提供

松信箱根は、火山の噴火でつくり出された美しい景観と豊かな温泉によって、日本を代表する観光地として古くから親しまれてきました。箱根の山は従来、カルデラを持つ典型的な三重式の火山と言われ、その形成モデルのイラストや模型をご覧になった方も多いと思います。

ところが近年のさまざまな研究から、箱根火山の成り立ちの見直しが提案され、箱根の入り口(小田原市入生田)にあります神奈川県立生命の星・地球博物館で、2004年から2006年にかけて、総合研究が行われました。その成果をもとに、同館では、隣接する神奈川県温泉地学研究所との共催で、特別展「箱根火山—いま証される噴火の歴史」が7月19日〜11月9日まで開催されています。

本日は、箱根火山を精力的に研究されている方々にご出席いただき、新たに判明した箱根火山の生い立ちについて、ご紹介いただきたいと存じます。

ご出席いただきました高橋正樹様は、日本大学文理学部地球システム科学科教授で、ご専門は岩石学・地質学です。箱根・富士山などの火山にお詳しく、当社刊行の『伊豆・小笠原弧の衝突』でも箱根火山をご執筆いただいております。

萬年一剛様は、神奈川県温泉地学研究所の主任研究員でいらっしゃいます。温泉地学研究所では温泉や地震活動、火山活動の調査・研究を通して地震火山災害の軽減や、地下環境の保全のための研究が行われております。萬年様は、ご専門の火山地質学のお立場から長年、箱根火山を調査されております。

山下浩之様は生命の星・地球博物館の学芸員で、ご専門は岩石学です。総合研究「箱根火山」および今回の特別展の中心となって活躍されております。

島弧と島弧の衝突境界にある火山

高橋箱根は日本有数の観光地で、とくに神奈川の人にはなじみが深いところだと思いますが、地質学的に非常に奥が深いところです。

世界遺産を認定しているユネスコの支援プロジェクトに、ジオパークがあります。これは、重要な地質遺産を使って地域経済を活性化させようというプランで、日本での登録はまだありませんが、登録に向けて、小田原・箱根ジオパーク協議会が、今年2月に発足しています。

松信まず、箱根火山の特徴というのはどういうところでしょうか。

高橋箱根火山は海洋プレートが地球内部に沈み込むことによってできた火山です。地球の表面は、十数枚のプレートと呼ばれる岩盤で覆われています。それぞれのプレートは太平洋や大西洋の海嶺で生まれ、年に数センチの速さで移動して、最後は海溝から地球内部に沈んで行きます。

日本周辺のプレート

日本周辺のプレート

伊豆半島から富士・箱根にかけての地域は、相模トラフ—国府津・松田断層—神縄断層—駿河トラフを結ぶ線からフィリピン海プレートが北アメリカプレート、およびユーラシアプレートの下に沈み込み、さらにその下に、日本海溝から太平洋プレートが沈み込んでいます。この地域はフィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートという3つのプレートが沈み込み境界で接する、地球上でもまれな沈み込み境界の三重会合点なのです。

北上するフィリピン海プレートの上にのっている伊豆半島の陸塊は密度が小さくて軽いためフィリピン海プレートと一緒に地球内部に沈み込めず、本州側の陸塊と衝突しています。その前には、丹沢山地を構成する陸塊が本州側と衝突し、現在では本州の一部となっています。本州は島弧で、伊豆半島や丹沢山地もフィリピン海プレート上の島弧の一部でした。ですから、このあたりは島弧と島弧、つまり陸塊同士が衝突している、地球上でも珍しい場所なのです。

松信複雑な場所ですね。

高橋箱根火山から、伊豆大島、三宅島、南硫黄島まで連なるフィリピン海プレート上の火山列は伊豆・小笠原火山弧と呼ばれ、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込むことによってマグマがつくられてできたと考えられています。

この伊豆・小笠原火山弧最北端の箱根火山周辺は、島弧と島弧の衝突の現場であり、地球上で最も変動が激しく、変形速度が大きい場所の一つであるということがわかってきました。

丹沢山地と箱根火山の間にある酒匂川に沿った谷は、今から100万年ぐらい前にはトラフと呼ばれる深い海の底でした。それが、伊豆半島が衝突することで押されて急激に隆起しました。深い海の底にたまった新しい時代の地層が地表に現われて、しかもすごく変形しています。そういう場所は日本では他には見られません。また、島弧と島弧の衝突境界の上に噴出した火山は地球上でここだけという、世界でも貴重な火山なのです。

富士山と箱根はタイプが違う火山

松信富士山も火山ですが箱根とは形が違いますね。

高橋富士山は箱根とは全く違うタイプです。かつてはほとんどの火山は最初富士山のような形をしていて、時間とともに変化していくと考えられていましたが、富士山自体は非常に特異な火山で、日本列島では、単独の富士山型の火山はあまりないのです。中でも、富士山はものすごく巨大な火山です。富士山にしろ箱根にしろ、世界的に見ても、多分例のない火山です。

愛鷹[あしたか]山とか、現在の富士山の下に隠れている先小御岳[せんこみたけ]火山などが箱根に少し似たところがあると思います。

萬年それは最近になって地殻にかかる力などの状況が変わったということですか。

高橋現在の富士山が活動を始めたのは10万年前ですから、箱根よりずっと新しい火山です。その違いには時間的な変化があると思いますね。

最初は複数の成層火山からなる箱根火山群を形成

高橋箱根火山は、学問的にも有名な火山です。1950年代に、東京大学教授で世界的な地質学者・岩石学者であった久野久先生が箱根火山の形成史を確立し、それが火山学の教科書に掲載されて学界に大きな影響を及ぼしたからです。

久野先生は、まず富士山のような円錐形の大型成層(複成)火山ができて、それが陥没して古期カルデラと古期外輪山ができたと考えました。その後、再び、火山活動が活発になって、古期カルデラ内に溶岩からなる楯状火山ができますが、大規模な爆発的噴火が起きて陥没し、新期カルデラと新期外輪山が形づくられます。最後に新期カルデラ内に神山など現在の中央火口丘が形成されて三重式のカルデラ火山が完成したという説です。

この考えは、典型的な火山の一生を示すとみなされました。この説によれば、現在の箱根火山は、火山の一生の晩年にあたることになります。

1970年代ごろまでは、箱根火山はこのように理解され、すべての火山はこのような歴史をたどると教えられていましたが、その後、調査研究が進み、箱根火山はいろいろな意味で見直されるようになりました。その結果、箱根では、久野先生が主張したような富士山型の単一の大型成層火山として成長したのではなく、最初から、八ヶ岳のように比較的小さな円錐型成層火山の集合体であったということが明らかになりました。

山下その中で最も古いのが天昭山溶岩で、65万年前です。

高橋ほぼ65万年前に箱根火山地域での陸上の火山活動が始まったということです。そういう活動が23万年前ぐらいまで続き、金時山とか明星ヶ岳、明神ヶ岳などの、玄武岩質や安山岩質の小型成層火山からなる箱根火山群が、まずあったということがわかってきました。現在では、箱根火山より少し古いとされていた湯河原火山まで入れて、箱根火山群と呼ぶようになってきました。

箱根火山の土台は南の海で噴出した海底火山

松信少し話を戻しますが、65万年前に箱根火山が陸上で活動する前の土台になっている地層には、どんなものがあるのでしょうか。

山下箱根から伊豆半島、さらに南にかけては、大体1,500万年ぐらい前にできたといわれている湯ケ島層群と呼ばれる古い地層があり、箱根の近くでは湯河原の千歳川の谷底で見られます。これが箱根ではいちばん古くて下にある地層です。

湯ケ島層群の上には、もう少し新しい、大体500万〜400万年ぐらい前にできた早川凝灰角礫岩[ぎょうかいかくれきがん]と呼ばれる地層があって、早川や須雲川の谷底で見ることができます。

高橋湯ケ島層群は変質して緑色になっているので、昔はグリーンタフ(緑色凝灰岩)と呼ばれていました。タフというのは凝灰岩のことで、火山灰が固まってできた岩石です。早川凝灰角礫岩は真っ白なことが多く、あまり緑っぽくない。それで、箱根火山の下に出てくる、少し古そうな緑色の岩石も湯ケ島層群と呼ばれてきました。

松信こういったものは、みんな海底に堆積したものですか。

高橋箱根の土台となっている地層は、すべて海底火山から噴出したものです。水深200〜500メートルぐらいの深さの海底に堆積したものと考えられています。

岩石に保持された古地磁気を使って調べると地層が堆積したときの緯度が分かるのですが、それによると湯ケ島層群は今よりずっと南の方の海で堆積しているのです。

ですから、箱根の土台になっている海底火山も、昔はずっと南の方にあって、フィリピン海プレートとともに北上してきており、その上に、現在の箱根火山ができたということになります。

複成(成層)火山と単成火山

高橋火山は、複成(成層)火山と単成火山に大きく分けられます。

複成火山は、ほぼ同じ火口から噴火して溶岩と火砕岩が繰り返し積み重なり、富士山のようなきれいな円錐形になります。火砕岩というのは、ハンマーで砕いた溶岩を集めたような岩石です。

単成火山は、1回噴火すると、2度と同じ場所からは噴火しないで、次には別のところから噴火する火山のことです。つまり、マグマの通路(火道)が安定していて繰り返し使用されるのが複成火山、非常に不安定でマグマがどこにでも出てくるようなタイプの火山が単成火山です。

プレートの運動により地殻がギュウギュウと押されていると、火道は1つの所に安定して複成火山ができやすくなります。逆に引っ張られていると開口割れ目ができやすいので、単成火山群が発達するという考え方が一般的です。

引っ張られて開いている割れ目にマグマが入ってきて岩脈ができ、それが地表に到達して単成火山をつくります。この場合、岩脈の大部分は地表まで到達せず、地下で群発地震が起きるだけで終わってしまうことが多いのです。

65万年ぐらい前から23万年ぐらい前までは、箱根では小型の複成火山がたくさんできたわけですが、複成火山でも小型のものがたくさんできるところは、少し不安定な場所なんです。

箱根からはあらゆるタイプの火山岩が出てくる

高橋マグマの組成の中でほぼ50%以上を占めているのが、珪酸(SiO2)という珪素と酸素の化合物で表される成分です。珪酸成分が少ない50%ぐらいの火山岩を玄武岩と呼びます。珪酸分が少ない分だけ鉄とかマグネシウムが多いので、色は黒っぽくなるんです。

最も珪酸成分の多いのが、珪酸が70%以上入っている流紋岩です。63〜70%がデイサイト、53〜63%が安山岩で、日本列島の火山岩は、そのほとんどが安山岩です。玄武岩と流紋岩、それにデイサイトは、比較的珍しいんです。

箱根も安山岩が一番多く、次に玄武岩が多い。しかし、箱根ではデイサイトとか流紋岩も多く見られます。箱根はあらゆるタイプの火山岩が出てくる、火山岩の博物館みたいなところなんです。これだけいろいろな種類の火山岩が多くみられる火山は日本では珍しいんです。

23万年前からの爆発的噴火でカルデラができる

仙石原から見た金時山

仙石原から見た金時山
神奈川県立生命の星・地球博物館提供

高橋23万年前からは噴火の活動様式が変わり、カルデラができるような大規模で爆発的なプリニー式噴火をするようになります。同時に比較的小規模な火山からなる単成火山群がつくられます。

箱根火山の特徴の一つに、噴火が爆発的だったり穏やかだったりと、あらゆるタイプの噴火様式がみられるということがあります。

23万年前以降は、大規模で非常に爆発的な噴火をするようになり、その結果カルデラの原型みたいなものができます。現在は浸食が進み、カルデラの縁が外輪山として残っているだけなので、当時どういうものがあったのかよくわからないんです。

萬年箱根のカルデラは、直径が南北11キロ、東西が8キロの、縦長の楕円形の大きな穴ぼこです。周囲にある金時山、三国山、明神ヶ岳、明星ヶ岳などが外輪山です。

松信カルデラというのはどういうものですか。

萬年火山にできる大きな穴のことで、日本の場合、直径2キロ以上の穴のことを言います。成因は何でもいいんです。スペイン語で「鍋」の意味です。スキヤキ鍋みたいなものが火山体にボコッとあいていればカルデラなんです。

須雲川沿いに見られる200枚以上の岩脈

山下この時期には外輪山の南東側や北西側の山腹に単成火山群や溶岩ドームがたくさんできます。真鶴岬もこのときに流出した溶岩ドーム群です。それらが北西―南東方向に直線的に並んでいます。

高橋この時期にできたもので非常に不思議なものに岩脈群があります。地下からマグマが上昇してくるとき、大部分は割れ目を通じて上がってきます。その割れ目を満たしたマグマが冷えて固まったものが岩脈で、岩脈はマグマが侵入してきた跡です。

そうした岩脈群が須雲川沿いに見られます。箱根新道をつくるために須雲川沿いの斜面を削ったとき、道路沿いの露頭に215枚あまりの岩脈が出てきました。当時、工事現場を調査した久野先生が発見したものです。

岩脈が入ってくると、その幅だけ大地が開いて元に戻らない。これが大々的に起こっているのが中央海嶺という海洋プレートをつくっているところです。中央海嶺で割れ目ができ、上がってきたマグマが冷えて固まると、その分だけ海底が拡大します。それが積み重なると海洋プレートが両側に移動します。これが海洋底拡大によるプレートテクトニクスのしくみです。

箱根でも、平均的な厚さが3メートル程度の200枚もの岩脈があって、全部マグマが固まったものであるということは箱根地域が600メートルも拡大したことになります。

岩脈の延びの方向(走向)はほぼ北西―南東方向で、単成火山群もほぼその方向に配列しています。岩脈はこれらの単成火山の火道だった可能性が高いのです。岩脈の拡大方向は、伸びの方向に直交する方向、すなわち北東―南西方向になります。ということはカルデラができた時期、すなわち岩脈群ができた時期は箱根全体が北東―南西方向に引っ張られて、その開いたところで大規模な爆発的な噴火が起きてカルデラができ、同時に単成火山群が活動していたということになります。

前期中央火口丘の形成と6万5千年前の大噴火

高橋13万年前ころから、それまで外輪山の山腹を含めて起きていた火山活動が、カルデラの内側だけに限定されるようになり、外側での火山活動がなくなります。これは大きな出来事ですね。

それから大体8万年ぐらい前まで、頻繁にプリニー式噴火を繰り返し、同時に大量の溶岩を出して浅間山、屏風山、鷹巣山などの台地状の楯状火山をつくっていきます。

山下この時期のマグマは箱根火山のなかでも特徴的で箱根に普通に見られる安山岩に加えてデイサイト質、あるいは流紋岩質の溶岩が大量に見られます。

従来はこれらは新期外輪山と呼ばれていましたが、現在は、カルデラの中にできているので前期中央火口丘と呼んでいます。

6万5千年前の噴火は箱根でベスト3に入る最大級の噴火

高橋その後、6万5千年ぐらい前に非常に大きな爆発的噴火が起こり、「東京軽石」と呼ばれる軽石を堆積させ、カルデラができたと考えられます。その後、大体4万年前ごろまで、同じような爆発的噴火が続きます。

山下6万5千年前の噴火は、箱根の噴火の中ではベスト3に入るほどの最大級のプリニー式噴火で、火砕流(軽石流)を伴っていました。1991年の雲仙普賢岳の火砕流よりずっと規模の大きなものです。

高橋テフラには2種類あって、1つは降下火砕物で、1回噴煙として空に舞い上がったものが地表に降ってくるもの、もう1つは地表をはって流れる火砕流起源の火砕流堆積物です。

「東京軽石」の分布(町田,1971に加筆)

「東京軽石」の分布(町田,1971に加筆)
神奈川県立生命の星・地球博物館特別展図録『箱根火山』より
東京軽石の厚さ(m)・・・東京軽石の厚さ(m)
現存する軽石流堆積物・・・現存する軽石流堆積物
軽石流の推定到達範囲・・・軽石流の推定到達範囲

このときは、最初に降下火砕物の「東京軽石」が空から降って、次に火砕流が流れてきました。神奈川県のほぼ全域が、この火砕流でやられています。「東京軽石」は、神奈川県だけでなく東京に至るまで、南関東の広い領域を覆いつくしました。

山下この火山灰を「東京軽石」と呼ぶのは、1940年代に、最初に東京で注目されたためです。

高橋当初は、どこからきた火山灰かわからなかったのですが、1960年代に、箱根火山のこの噴火のときのものだということがわかってきました。

非常に特徴的な降下軽石なんです。東京で2、30センチ堆積しています。東京に降った降下火砕物としては富士山の宝永噴火のものが有名ですが、「東京軽石」の規模はそんなものではありません。

山下横浜では40センチくらいですね。

萬年千葉のほうでも見られます。

海を渡り城ヶ島まで達した火砕流

山下同時に起きた火砕流は、静岡県富士宮市、伊豆半島の船原峠方面から横浜市保土ヶ谷区、三浦半島の城ヶ島など、ほぼ神奈川県に相当する範囲を覆っています。

松信城ヶ島へは、どういうふうにきたのですか。

山下相模湾を横切って流れたと考えられています。

高橋海まで来たときに海中に入ったものもあるし、海を渡るものもある。それは火砕流の密度によるんです。

山下遠くまで来ているのは火砕サージという爆風みたいな密度の小さい火砕流で、そういうのは海を渡る。ただこの時期は氷河期なので、海面がもっと低かったのかもしれません。だとすると、陸を来たのかもしれない。

高橋今、起きたら神奈川県は全滅ですね。

山下大磯丘陵中部の遠藤原という台地は、この火砕流で谷が埋められてできた火砕流台地なんです。

大磯丘陵には「東京軽石」層や火砕流の数メートルの地層など、箱根起源の火山灰の地層がたくさん堆積していまして、今回の特別展のために、そういう地層を5メートルにわたって剥ぎ取り、展示してあります。

地層に特殊な接着剤を直接吹きつけて剥がすと、地層の表面と全く同じものが剥ぎ取れて、本物の軽石とか火山灰層がくっついてきます。5メートルもの大きさのものは珍しいですね。

ボーリングの資料でカルデラの陥没に疑問を

松信最近、箱根のカルデラのでき方について、新しい考えが出されているようですね。

萬年先ほど話しましたように、箱根カルデラは南北11キロ、東西8キロの楕円形をしていますが、久野先生は最初、これと同じくらいの大きさのマグマ溜まりが地下にあったと考えられていた。

箱根には、軽石流が出るような大噴火を起した時期が2度ありましたが、そのときにマグマがたくさん噴出してしまったため、このマグマ溜まりがからっぽになった。そうすると、上に載っている山々を支えきれないのでストンと陥没する。こうしてできたと考えられてきました。

高橋これはアメリカのクレーターレークカルデラのでき方として提案されたもので久野先生のモデルもこれに影響をうけてます。

萬年その後、箱根カルデラ内で温泉の掘削が行われるようになり、それが確かめられるようになってきました。

神奈川県温泉地学研究所ができた1961年ごろは高度成長期で、箱根でも掘削が盛んに行われていて、当時の所長の大木靖衛さんが、あちこちのボーリングコアをたくさん集めていたんです。それを久野先生も研究された。

そうしてみると、カルデラが単に陥没したのならカルデラの所のボーリングから昔の山が出てくるはずなのに出てこない。そのかわり湯ケ島層群と思われる基盤の地層が出てきたのでカルデラは陥没していないのではないかということになった。これが1960年代後半ですが、久野先生は69年に亡くなられたので最後の仕事になりました。

強羅・湖尻で「じょうご型カルデラ」を発見

山下久野先生の地質の解釈が違うのではないかと考えたわけですね。

萬年そうです。久野先生とカルデラのでき方について論争を繰り広げられてきた地球物理学者の横山泉先生は、カルデラは爆発で大きなじょうご型の逆円錐形の穴があき、そこに爆発で吹き上がった火山灰とか石が落ちて、それを埋めてできたものだと言われたんです。それでカルデラの中の5、600メートルの温泉ボーリングコアを再検討することにしました。

高橋箱根火山の基盤の地層は、湯ケ島層群ではないのでは、というところから始まるのですね。

萬年はい。ボーリングで出てきたものは、見た目は確かに伊豆半島の湯ケ島層群に似ているんですが、変質の度合いが全然違う。湯ケ島層群には変質したときにできる鉱物があるんですが、箱根の下にあるものはほとんど変質していないんです。

それで、これは横山先生が考えられた「じょうご型カルデラ」の堆積物ではないかと思ったんです。

松信箱根カルデラ全体が爆発してできたということでしょうか。

萬年そうじゃないです。箱根で見つかった「じょうご型カルデラ」は、大きいものでも直径4キロくらい、他は1〜2キロと見られます。

高橋つまり、箱根カルデラは、地下にあった大きなマグマ溜りへ現在のカルデラのサイズのまま地表が陥没したのではなくて、あまり大きくないカルデラがたくさんできて、それが浸食されてつながって現在の大きな輪郭ができた。現在の地形は、浸食でつながった複数のカルデラの集合体ではないかということですね。私は、萬年さんの説を支持しているのですが、なにぶん、まだできたばかりの説なので。

箱根のカルデラができた時期は23万年前と6万5千年前の2回ですよね。どちらも、そのようにしてできたんですか。

萬年6万5千年前にできた「じょうご型カルデラ」は見つかっています。23万年前のものも、最近見つかって、検討中です。

高橋「じょうご型カルデラ」はどこで見つかったのですか。

萬年少なくとも2つ、強羅付近と湖尻のあたり。あと2つは、状況証拠なんですが仙石原と芦ノ湯のあたりにもあると考えています。

「東京軽石」の噴火のときにできたカルデラ

松信「じょうご型カルデラ」がいつできたか、どうやってわかるのですか。

萬年強羅と湖尻のカルデラを埋めている地層の中に、前期中央火口丘の石が入っているので、前期中央火口丘ができてから穴ぼこができたということになります。そこに水がたまって、カルデラ湖ができた。その湖の堆積物の中から、すごく寒い時期のトウヒとか針葉樹の花粉の化石が出てくるんです。

そういう寒い時期は、カルデラができてから1万年前ぐらいまでの間では、「東京軽石」が噴出したすぐ後がそうなので、「東京軽石」噴火のときに強羅カルデラと湖尻カルデラができたんじゃないかと考えられます。

地下深部から熱水が上昇している強羅カルデラ

高橋強羅のあたりは盆地状で、市街地があるところは平坦ですね。萬年さんの説だと、平坦なところは6万5千年前にできたカルデラの真上にあたるわけですね。

萬年そうですね。強羅は温泉の開発がすごく難しいところでした。というのは、強羅は坂になっていますが、これは早雲山が崩れてできた斜面なんです。穴を掘っても、早雲山から流れてきた土砂や大きな石がたくさんあって、地下水は豊富にあるのですが温泉は出ない。要するに大きな石の隙間がたくさんあるので、雨が降ると水がそこを流れてしまうんです。

それでも深くまで掘ると、まず湖の堆積物が出てくる。この堆積物はすごく細かい泥でできていて、それが上の地下水を遮蔽している。それで湖の地層を掘り抜くと今度はカルデラを埋めた火山礫凝灰岩があり、これは割と水を通しやすい。その中に、温泉が入っているんです。

ですから温泉の分布を見ると、強羅カルデラに当たったのは成功した温泉なんです。ちょっと外れると温泉は出ない。強羅温泉があるのはカルデラのおかげなんです。

高橋カルデラがわかったことで温泉を含めいろいろなことが説明できるんですね。

後期中央火口丘の活動と冠ヶ岳の噴火

冠ヶ岳

冠ヶ岳
神奈川県立生命の星・地球博物館提供

高橋その後は現在の中央火口丘(後期中央火口丘)の活動になりますが、これはそれまでの活動と違って爆発的な噴火は行っておらず、おとなしい活動です。ただし、3千年か4千年に1回ぐらい、小規模ですが火砕流を噴出する噴火をして現在に至ってます。

松信台ヶ岳とか、丸山、神山、駒ヶ岳、二子山などがそうですね。中でも二子山は非常に独特な格好していますね。

高橋中央火口丘には、いわゆる複成火山もありますが、単成火山的な溶岩ドームも結構あります。二子山が一番典型的で、粘り気の高い比較的規模の小さな噴火を繰り返しています。

最も噴火活動が活発だったのは2万年前前後で、そのときまでに現在見られる後期中央火口丘の山々のかなりの部分が形成されています。噴火の間隔は数千年に1回程度と非常に長いものです。

山下最後のマグマ噴火は大涌谷の噴気地帯の裏に聳える約3千年前の冠ヶ岳です。

萬年湖尻のほうから見ると、屏風で囲まれたような中にポコッと冠ヶ岳がある。この屏風みたいなものは、冠ヶ岳がムクムクと上がってくるときに水蒸気爆発で神山の斜面が崩れた跡なんです。崩れた堆積物が湖尻や仙石原のほうへ流れた。

山下それが早川をせき止めて芦ノ湖ができたんです。

高橋山体崩壊としては結構大きいですね。中央火口丘では一番怖い火山災害です。

萬年最後にマグマが出てきて、冠ヶ岳をつくった。

一番新しい活動は鎌倉時代の水蒸気爆発

高橋その後の活動の中心は、大涌谷に限られてきますが、どのような噴火活動があったのでしょうか。

萬年冠ヶ岳ができて最後と言われていたのですが、大木靖衛さんが空中写真で神山や駒ヶ岳にたくさん穴ぼこがあいているのを見つけ、水蒸気爆発の跡ではないかと考えられたのですが、見つからなかった。ところが最近、小林淳さんという方が水蒸気爆発の噴出物を大涌谷の周りで5つ見つけた。一番古いのが3千年前、一番新しいのが12世紀から13世紀、鎌倉時代ということがわかりました。

松信どのぐらいの規模だったのですか。

萬年姥子温泉で火山灰が1センチ積るか積もらないぐらいです。現在の大涌谷付近に火口があったようです。

水蒸気爆発というのは火山噴火の中では規模が一番小さく、2つあります。1つは、火山活動が活発化して、地面のすぐ下の水蒸気が温められる。小規模でもマグマが上がってきて直接地下水を温めたり、熱くなった地下水が上がってきて地下に溜まり、それがポンと爆発する。

もう1つは、噴気孔を地すべりなどで覆ったり、工事の際に埋めたりすることで中の水蒸気の圧力が高まって、後で爆発するものです。

高橋箱根は活火山といわれていますが、マグマを噴出する噴火は数千年に1回ぐらいと非常に少ない。ところが水蒸気爆発は結構あります。箱根の火山災害で一番怖いのは水蒸気爆発です。

活断層が真ん中を通っている活火山

箱根火山のプルアパート構造

箱根火山のプルアパート構造
神奈川県立生命の星・地球博物館特別展図録『箱根火山』より
(日本地質学会,2007)

高橋箱根火山のもう一つの大きな特徴は、活断層が真ん中を通っている活火山であるということです。南側の丹那断層は第一級の横ずれ活断層で、丹那トンネルや新丹那トンネルを切っています。1930年の北伊豆地震で丹那断層が動いたときは丹那トンネルを掘っている最中で、貫通直後のトンネルがずれて、掘り直したという有名な話があります。

その続きが箱根の北側にある平山断層です。活断層が活火山の真ん中を切っているという例はあまりありませんね。

真鶴マイクロプレート

真鶴マイクロプレート
神奈川県立生命の星・地球博物館特別展図録『箱根火山』より
(小山,1993から作図)

真鶴マイクロプレート説という静岡大学の小山真人さんが提唱している考えがあります。現在の伊豆半島には、しばしば群発地震を起こす伊豆東部火山群と呼ばれる独立単成火山群があります。単成火山の地下には岩脈があって、それが地表まで到達した地点に単成火山ができます。地表にまで到達できなくとも、群発地震が起こることで地下に岩脈が入ってきたことがわかります。東伊豆の独立単成火山群の地下には岩脈がたくさんあり、その分だけ地殻が開いたことになる。だから、開いた分のつじつまをどこかで合わせないと歪がたまってしまう。それを解消しているのが国府津・松田断層ではないかという考えです。

丹那・平山断層は、断層の東側にあたる伊豆東部火山群で拡大したブロックが北北東に動くため、左横ずれの動きをします。北北東に動いたブロックは、国府津・松田断層で大磯丘陵の下へ沈み込むことで、伊豆東部火山群で生じた歪を解消しているのです。

国府津・松田断層、丹那・平山断層、伊豆東部火山群、そして相模湾に存在する西相模湾断裂で区切られた地殻のブロックが、北北東に向かって動いていく。このブロックが真鶴マイクロプレートで、現在の伊豆半島北部はそのような状況なのではないかという考えです。

真鶴マイクロプレートが北北東へ動くと丹那断層と平山断層の間にプルアパートと呼ばれる開口割れ目ができ、そこにマグマが上がってくる。それが箱根の中央火口丘をつくっているのではないか。

萬年僕も、そういう開口割れ目にカルデラができていると考えています。

高橋まだ仮説の段階ですが、これらの活断層による地震活動と箱根の火山噴火には何か関係があるのではないかという説があります。

国府津・松田断層が動いて真鶴マイクロプレートが沈み込むと、丹那断層・平山断層といった横ずれ断層も動き、あいた隙間にマグマが上がってきて噴火するというのは考えやすい。

萬年13世紀の水蒸気爆発の跡がわかった後、国府津・松田断層が発掘調査されて、12世紀から13世紀に動いたというのがわかって、地震と箱根の噴火は関係あるのかなと思うようになりました。

高橋私も次に箱根がマグマ噴火するのは、国府津・松田断層が動いたときではないかと思います。

地下のマグマ溜まりとつながっている強羅の温泉

萬年2001年の箱根の群発地震のとき、温泉地学研究所の観測史上初めて箱根の山体が膨脹したんです。深い所にマグマが入ってきたのだと思いますが、それとほぼ同時に、強羅のある温泉で温度がピクッと上がったんです。

強羅の温泉は、食塩(塩化物)泉という塩を含んだ温泉で、マグマから直接上がってきた水に一番近いと考えられています。そこの温泉に限ってピクッと温度が上がったということは、地下のマグマ溜まりと、強羅の温泉はつながっているらしいということがわかってきました。

高橋箱根は、地表に噴火はしなくとも地下にマグマが上がってくるたびに温泉の材料が供給される。温泉資源が豊かで、涸れにくい温泉といわれています。それは活断層がど真ん中を切っているという箱根火山独自の特徴のためなのかもしれません。

箱根火山のことがすべてわかる展覧会

山下箱根火山は非常に面白い生い立ちが新しくわかってきました。博物館では、こういうことをぜひ知っていただきたいということで特別展を企画しました。もう一つ、大涌谷自然科学館が閉館になり、生命の星・地球博物館でも箱根をとりあげてもらいたいというニーズにこたえる意味もありました。

展示では久野先生がつくられた従来の箱根火山のモデルと、今日お話があった新しい歴史とを比較しています。火山灰の地層の剥ぎ取りや、噴火の模擬実験で火山ができる様子もお見せします。地形や溶岩、岩石、火山灰、化石、石材など、箱根のことがすべてわかるはずです。

高橋箱根火山はそれ自体さまざまなものが見られる素晴しい火山の博物館ですから特別展だけではなくて、常設の展示もしてほしいですね。

松信そうですね。ありがとうございました。

高橋正樹 (たかはし まさき)

1950年東京生まれ。
著書『島弧・マグマ・テクトニクス』 東京大学出版会 4,800円+税、ほか。

萬年一剛 (まんねん かずたか)

1971年横浜生まれ。
共編訳『世界の火山百科図鑑』 柊風舎 8,500円+税、ほか

山下浩之 (やました ひろゆき)

1967年神奈川県生まれ。
共著『岩石・鉱物・地層』 有隣堂 1,600円+税、ほか。

※「有鄰」489号本紙では1~3ページに掲載されています。

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