Web版 有鄰

470平成19年1月1日発行

肉筆浮世絵の美 —氏家浮世絵コレクション—

河野元昭

浮世絵の肉筆と版画は車の両輪

歌川豊広「柳下二美人図」

歌川豊広「柳下二美人図」
(財)氏家浮世絵コレクション蔵

「版画の技術は、浮世絵を俟って発達した顕著な新しい現象であるが、たとえこの技術の工夫がなかったとしても、浮世絵が肉筆画として極めて独創的な一流派をなすことは銘記されなければならない」

これはアーネスト・フェノロサが著わした名著『東洋美術史綱』の一章「江戸における近代庶民美術−浮世絵」に見出される一節である。またフェノロサは、浮世絵が本来木版美術の一派であるという見解に対しても、浮世絵はもともと四条派と同じく肉筆画だと主張している。彼は肉筆浮世絵の価値と歴史を誤たず見抜いていたのである。

確かに浮世絵というと、私たちはすぐに版画を思い浮かべ、肉筆は等閑に付す。しかしそれが間違であることは、フェノロサの言うとおりなのだ。浮世絵における肉筆と版画は、車の両輪のようなものだと言ってよいであろう。もっとも両者は密接な関係に結ばれつつ、それぞれ独自の価値をもっている。

肉筆浮世絵最大の特色は、言うまでもなく単一性に求められる。あくまで一点制作であり、同じ作品は二つとない。複製芸術である版画においては、まったく同じ作品がたくさん存在し、流布する。浮世絵版画では一杯200枚といわれ、一回に200枚ほど摺ったものらしい。人気が出て売れれば、これを何回も繰り返す。有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の保永堂版「東海道五十三次」などでは、版木が摩滅して墨線が鈍くなったようなものもしばしば見かけるから、一体どれほど摺られ売り出されたのであろうか。これに対し、肉筆はその作品ただ一点しかない。単一性こそ、肉筆浮世絵を版画からはっきり区別するメルクマールなのだ。

単一性が画家に精神の緊張を求める

単一性は画家に精神の緊張を求める。一点制作となれば、全身全霊を打ち込んで画面に向かうことになる。もちろん、版画はいい加減に描くというわけではないが、彫師や摺師の手を経ることのない肉筆の場合、筆墨の一点一画から彩色に至るまで、浮世絵師が細心の注意を傾けたことは想像にかたくない。それは実際の作品比較によって、容易に知られるであろう。当然のことながら、画料も高いものになるし、肉筆一幅と版画一枚を比較すれば、同じ画家の作品であっても雲泥の開きがあった。

浮世絵は庶民のための芸術だとよく言われるが、大名など高位貴顕の人々もこれを好み、描かせ、収蔵していたことが最近明らかになってきた。その場合ほとんど肉筆なのである。そのような人々にとっては、高い画料も苦にならなかったことが理由の一つであろう。

単一性は画家と鑑賞者の直接的交歓を可能にしてくれる。浮世絵師がその作品だけに注いだ創作意欲をそのまま感じ取ることができる。筆致や色感の個性に触れることができる。画筆をとる画家の息遣いを聞くことができる。版画には絶えて求め得ないものだ。もちろん版画には版画の価値がある。彫りと摺りによって生み出される簡潔な工芸的美しさは、版画の独壇場であろう。しかし江戸時代の浮世絵師と心置きなく話をしようとしたとき、隔靴掻痒[かつかそうよう]に近いもどかしさが残る。肉筆浮世絵なら、すぐその懐に飛び込んでいくことができる。したがって浮世絵師に芸術家としてのロマンを求める現代人にとって、肉筆浮世絵の魅力はより一層強いものとなる。

美人画のパターン化で量産に成功した懐月堂派

懐月堂安度「美人愛猫図一人立」(部分)

懐月堂安度「美人愛猫図一人立」(部分)
(財)氏家浮世絵コレクション蔵

肉筆浮世絵は量産がきかない。それでは需要が高まったとき、どうすればよいのだろうか。まず考えられる解決法は、工房制作を行なうことである。弟子たちが師匠の画風を真似てどんどん描けば、師匠一人の何倍もでき上がる。師匠の手本があれば話はもっと早い。よくできたものは師匠の落款を入れればよいし、劣るものはそのまま弟子の落款にするか無落款にすればよい。このような工房制作は、浮世絵の創始者と称えられる菱川師宣以来、ほとんどすべての浮世絵師が行なった。したがって版画とは比較にならないほど、肉筆浮世絵の鑑識はむずかしいことになる。

もう一つの方法は主題やパターンを決めてしまうことである。さまざまなモチーフを異なる構図で描こうとするから時間がかかるのであって、これをあきらめてしまえば量産も容易くなる。さらに弟子を動員すれば飛躍的に伸びる。

これで成功したのが懐月堂安度[かいげつどうあんど]であり、彼にひきいられた懐月堂派である。対象は、一人立ちの美人にほぼ限られる。その姿態はパターン化され、衣紋線も単純化される。あとは衣裳の模様を少しずつ違え、手つきなどをちょっと変えるだけで、肉筆浮世絵最大の特色である単一性が保証されることになる。肉筆による版画と言われるゆえんだが、立派に肉筆浮世絵なのだ。

さらにこれを徹底させれば、葛飾北斎の「肉筆画帖」のような作品が生まれることになる。肉筆でありながら、まったく同じ内容のものが三点も遺っているのだ。この段階になると、イメージとしての単一性とでも呼んだ方がよいかもしれないが、それほどまでに人々が肉筆画を高く評価し、求めたがっていた事実を示して興味深いものがある。しかし振り返って考えると、狩野派をはじめとするほかの画派においても、このような工房制作やパターン制作は大なり小なり採用されていたと言うべきであろう。

永久保存を目指して設立された「氏家浮世絵コレクション」

肉筆浮世絵には版画に求めがたい価値がある。昭和初期、製薬会社を設立し、わが国の医療医薬に大きな貢献をした氏家武雄氏はこの点に注目して、一般の関心が版画にばかり向けられていたときから、肉筆浮世絵の収集保存に力を注いだ。そして昭和49年(1974年)、氏家氏は鎌倉市と協力し、永久保存を目指して鎌倉国宝館内に「財団法人氏家浮世絵コレクション」を設立したのである。

浮世絵のために、日本美術のために、さらに日本文化のために、私は改めて氏家氏の長きにわたる努力をたたえ、私欲なき決断に感謝を捧げたいと思う。法人設立にあたって氏家氏が認めた挨拶文は、収集に志した経緯のみならず、肉筆浮世絵の本質を語って重要なものであるから、一部を紹介することにしよう。

「浮世絵は外国に於いても日本文化紹介の役目を果たしたのみならず、19世紀の欧州に於いて印象派の画家に強烈な影響を与えた事は周知の事実であります。……版画の場合は後世に残っているものが多いのに対し、肉筆画はもともと数が限られている上、一度海外に流出すると、もう我国に同じものはなくなります。……こうしたあるゆる国境・年代を越えた芸術の偉大さに改めて感動すると共に、この様な文化遺産は何としても我国にとどめ、次の世代に伝えるべきだとの感を深くした次第です。」

鎌倉国宝館で毎年、お正月に公開

この貴重な氏家コレクションが、今年も正月の1月4日から2月12日まで鎌倉国宝館において公開されることになった。数年前までは5月に開かれていたが、浮世絵といえば、やはり正月がふさわしい。その豪華にして優美な絵画世界は、正月の華やいだ雰囲気ともっともよく共鳴するからである。もちろん浮世絵師が、羽根突きや初詣など新年の風俗ばかりを描いたわけではない。花見も、納涼も、紅葉狩りも、雪見も大切な主題だった。春夏秋冬の風俗がテーマとして取り上げられた。氏家コレクションがよく教えてくれるところである。

しかし、私たちが一度遊んでみたいとあこがれるシャングリラ江戸は、せわしない日常生活から解放される正月にもっとも美しく再現される。たとえそれさえ段々おぼろになっているとしても、正月にだけ和服を着るという人は少なくないだろう。しかも鎌倉国宝館は、いつも初詣の人気ランキングに顔をみせる鶴岡八幡宮の境内にあるのだ。

美人図をはじめ人物、花鳥、風景など名品優作の数々

葛飾北斎「酔余美人図」

葛飾北斎「酔余美人図」
(財)氏家浮世絵コレクション蔵

氏家コレクションは実に多くの名品優作からなっているから、そのすべてが展示されるわけではないが、私が心のままにベスト・スリーを選べば、つぎの三点となる。

懐月堂安度「美人愛猫図一人立」、歌川豊広「柳下二美人図」、葛飾北斎「酔余美人図」

「美人愛猫図一人立」は、先に挙げた安度の筆になる大変珍しい作品である。安度を含め懐月堂派の美人図は、おおむね美人だけを大きく取り上げるのだが、本図では美人が立つ縁と柳が背後に描かれている。それは寛文期の縁先美人図がプロトタイプとなった事実を示唆する。安度をとくに誉め称える賛が加えられていることともあいまち、特別注文による作品だったのではないかと疑わせるところがある。『源氏物語』の見立て絵となっている点も奥ゆかしい。

「柳下二美人図」では、流れるような衣紋線やかすかに透ける紗の色香はもとよりだが、夕風に揺れる柳の葉ずれを聞いてほしい。このような納涼美人の形式は、師であった豊春によったものだが、柳の乱れは豊春に求めがたい画趣だった。それは主題を越えて、豊広の弟子となる広重の風景画に受け継がれることになる。

「酔余美人図」は、すでに北斎の傑作としてあまりにも名高いが、微醺を帯びて三味線箱に寄りかかる芸妓――その心の襞までのぞかれるようではないか。対角線構図などという単純なものではなく、蒼穹を目指す昇り龍のようなムーブマンがすばらしい。

偶然か、あるいは私の好みか、美人ばかりになってしまったが、もちろん美人以外の人物や花鳥、あるいは風景にも加えたい作品は少なくない。ぜひ皆さんにも、ご自身の眼でベストスリーを選んでみてほしい。

kouno_san
河野元昭(こうの もとあき)

1943年東京生まれ。秋田県立近代美術館長、東京大学名誉教授。専門は日本近世美術史。
著書『北斎の花』 小学館 2,400円+税、共著『日本絵画名作101選』 小学館 4,300円+税、ほか。

※「有鄰」470号本紙では4ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.