Web版 有鄰

436平成16年3月10日発行

[座談会]外国人が詠む 日本語俳句

詩人/宗 左近
現代俳句協会会員・海洋科学技術センター研究員/ドゥーグル・J・リンズィー
フリーライター・「左岸」同人/原 千代
文芸評論家・本紙編集委員/藤田昌司

左から原千代、宗左近、ドゥーグル・J・リンズィー、藤田昌司の各氏

左から原千代、宗左近、ドゥーグル・J・リンズィー、藤田昌司の各氏

はじめに

藤田日本の俳句人口は、今や1千万人を超えるといわれるほど盛況です。万葉の時代から「言霊のさきわう国」といわれてきただけに、日本人は今、この、世界でもっとも短い詩といわれる文学に、日常性の中で関心を高めているといっていいでしょう。

また、この俳句は、今や日本人だけでなく、世界の人びとにも愛され、ブームになっているといわれます。

そこできょうは、外国の俳句にも精通していらっしゃる詩人の宗左近さん、オーストラリアのご出身で、日本で深海生物の研究に従事されるかたわら、日本語で数多くの俳句を詠まれ、句集もお出しになっておられるドゥーグル・J・リンズィーさんにお越しいただきました。

若手の詩人で俳人でもある原千代さんとともに、外国の方がつくる俳句について、また国際化のなかで日本の俳句はどうあるべきかなど、お話しいただきたいと思います。

俳句の伝統の上に新しい世界を開く

日本以外の世界中の国々、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、ほとんど全地球のスケールで、少なくとも30年来、HAIKUというのが猛烈な勢いで詠まれています。驚くべき数のHAIKU人口がいるんです。

西洋のHAIKUは三行詩です。中国でも漢俳と称した俳句をつくっていまして、やはり三行詩なんです。つまりHAIKUと言うと、日本以外では三行詩なんです。

外国の多くの俳人が、三行詩という自分たちの新しい詩の形をつくって、必ずしも俳句の伝統に学んではいない。もっと広がった、自由な俳句の受けとめ方をしているんです。

ところがリンズィーさんはそれとはちょっと違って、日本語の俳句を、日本の約束事に従って、日本の俳句の精神に則ってつくっておられる。マブソン青眼さんというフランス生まれの方も、日本語の俳句をつくっています。青眼さんは、雪梁舎でやっている「雪梁舎」俳句まつりで去年大賞をもらい、リンズィーさんは、おととしの「中新田詩の噴火祭」で中新田俳句大賞を受賞なさいました。

この2人はちゃんと俳句の伝統の上に乗っかって、しかも、新しく自分の持つ世界をつくろうとしている。日本語で俳句を書いている外国人の方で、一番すぐれた方は、このお2人なんです。

ヨーロッパの詩の伝統を踏まえながら日本の文芸を超える

『句集むつごろう』芙蓉俳句会

『句集むつごろう』芙蓉俳句会
ドゥーグル・J・リンズィー

リンズィーさんの句集『むつごろう』は、むつごろうという題そのものも日本的で、おもしろいと思うんですけれども、その中で僕がいいな、すごいなと思ったものが幾つかあるのでご紹介したいんです。

 異人我れ陽炎を掴みつつある掌

陽炎を掴むという発想そのものが、もはや日本の文芸の伝統を超えている。こういうとらえ方はないですね。

 稲妻の光りて時間こはばりぬ

時間がこわばったと、時間そのものを単独に取り出して対象化した俳句の作品はかつてない。

 機の窓に静脈のあと氷河見ゆ

自分の手の静脈が飛行機の窓に映っていて、その向こうの、あるようなないような氷河の流れ、静脈という見える脈と、氷河という見えにくいもの、静脈と氷河という離れたものが飛行機の窓という1か所に合体している。全く新しい、日本にも余りなく、ヨーロッパの詩の伝統を踏まえていて、しかも、こうやって書かれると見事に日本化している。というより、むしろ俳句化しているんです。

この3句には、芭蕉を先輩とする日本の俳句の精神がまっとうに受け継がれていて、大変まれな、僕の意見ですけれども、それ以後の日本の俳人がほとんど達成できない高さ、深さを持っている作品だと思うんです。

ヴェルレーヌと一茶の叙情を合わせ持つやわらかな作風

マブソン青眼氏

マブソン青眼氏

マブソン青眼さんも、『空青すぎて』(参月庵)という日本語によるすぐれた句集を出しておられます。リンズィーさんと同じく30代で、ヴェルレーヌに心酔した後に、日本に留学したとき俳句の一茶に出会ったそうです。ヴェルレーヌと一茶を統合したような作品世界を、大変うまい、音の内容のいい日本語で書いていらっしゃる。

 汐引いてしばらく砂に春の月

 鳥は死ぬまで同じ歌春のくれ

 紫煙にも紫煙の影や春燈

この3つからもすぐ感じとれるように、一茶の世界がそのまま移って来たようで、日本とヨーロッパの叙情、ヴェルレーヌ的叙情と一茶的叙情を合わせて、この方自身の独特のものとしたような、極めてやわらかい叙情がある。硬質な叙情のリンズィーさんとは対照的な位置にある。

日本語の方がいい作品ができる

お2人とも、芭蕉以来の日本の俳句の中軸をちゃんと押さえながら、ヨーロッパ詩の精神の中軸をもつかんでいる。東と西の俳句と詩を合体して、今までのものを乗り越えている。

ことに19世紀以降の、アメリカも含むヨーロッパの現代詩のレベルをも超えているんです。

そしてそれが日本語で行われているところに、大変な驚きを覚えるんです。

リンズィーでも、これは日本語だからこそできることだと思うんです。

日本語だからできるんですか。それを聞かせてください。

復活させたい産業革命以前の英語の語彙

リンズィー英語では、三行詩に結局とどまったんですが、過去には一行詩で書いてみたりとか、いろいろあったんです。日本語と同じように英語でも五七五では情報量が多過ぎるから、今はもっと短く書いていて、短い一行、長い一行、短い一行というふうに、ある意味での定型を持とうとしているわけです。定型があったほうが緊張感があり、おもしろいと思うんですが、それが英語ではやりにくいんです。

もう1つは、外国ではまだ余り歴史がないので、ほかの俳句を踏まえることがむずかしいんです。読者が俳句をたしなむ程度のビギナーですので、ある俳句を踏まえても、気づいてくれなかったりしますが、日本語でつくればそういうこともない。

昔、産業革命が起こる前は英語にもすぐれた語彙がたくさんあったんです。「ひこばえ」などと同じような、細かい自然を見るような言葉があったんですが、今は死語で、ないんです。俳句で使おうとすると、「どういう意味?」、「誰も使わないよ」、そんな反応ばかり戻ってくる。それを復活させようとしているんですが、イギリスとか、オーストラリアはまだいいんですけれど、アメリカのほうでは余り関心がなくて、それがむずかしい。

言語の可塑性とか、まだ日本では余りやられていない冒険をするにも、日本語のほうが、英語で書くよりもいい作品ができると思って、日本語でずっと続けているんです。

日本語のほうが冒険ができるんですか。それは、それだけ日本語に練達なさっているからですね。

『歳時記』を本のように読んで語彙を豊富に

藤田リンズィーさんは、我々日本人よりも日本語の語彙が非常に豊富でいらっしゃる。もう使われなくなったような言葉もかなり修得されていますけれど、これは俳句を読んで勉強されたんですか。

リンズィー「歳時記」を本みたいに読んでいるのと、わからない漢字があると、すぐ電子辞書で調べて、出てないときは漢和辞典で探して、鉛筆で全部書き込んでいるんです。そうやって勉強しました。自分がわからないものがあったら、どうしても知りたい。生物学でもそうなんですが、これはわからないけどまあいいやで、さらさらと次に行くのは嫌いなんです。

『むつごろう』ではいろんな俳句を出しましたが、自分はここまでの俳句ができるけれど、余り冒険すると、「この人は全然わかっていないんじゃないか」というふうにもなるかなと思うんです。基本はもうわかっていて、その上でいろいろやっていると理解されるように、これからがほんとの勝負かなと思っているんです。

今までもほんとの勝負だったでしょう。もはやほんとの勝負の中の何合目かにいらしていると思いますよ。

藤田リンズィーさんはインターネットのホームページで日本語と、それを発音したローマ字表記と英訳とで俳句を紹介されていますね。

リンズィー私はまず日本語でつくるというスタンスなんです。ですから英語の句は日本語からの翻訳で、英語だけでつくった俳句はほとんどないんです。

「機の窓に静脈のあと氷河見ゆ」を英訳したのが

 on the plane window
 the veins on my hand
 glacier below

三行詩のスタイルです。

外国では、どう受け止められたか

この座談会に出るために読んだ本の中から2冊、ご紹介したいんです。佐藤和夫さんの『俳句からHAIKUへ――米英における俳句の受容』と、星野慎一さんの『俳句の国際性――なぜ俳句は世界的に愛されるようになったのか』です。佐藤さんは英文学を専攻された早稲田大学教授で、俳人でもあると思います。星野さんは俳句もつくられるようですけどリルケやヘルマン・ヘッセ、19世紀末から20世紀にかけてのドイツ現代詩の翻訳や紹介をなさったドイツ文学者で、詩人でもある。そういう立場で、ヨーロッパやアメリカで俳句を勉強した学者や実作者の作品から、ヨーロッパ人が俳句をどう受容しているかを紹介し、批判しているんです。

ヨーロッパの、現代詩に到る古来の詩の精神がどういうものかを語りながら、そういう詩の伝統で養われたヨーロッパ人やアメリカ人が、俳句をどういうふうに受けとめたかを語っている。ヨーロッパ人の目を通して俳句を再批判した意味で、大変すぐれた俳句美学の本なんです。

リンズィー外国でも俳句はどういうものか、わかっている人はちゃんとわかっています。ただ、自分の言語ではそこまでつくれないだけなんです。もちろんビギナーも多いですけど、わかっている人はわかっているんですよ。その人たちがどんな作品をつくって、どう思っているのか、どういう受けとめ方をしているのかを、日本の中でもう1回俳句を考え直してはどうかと思っているんです。

近寄りやすく見えて実は開かれていない俳句という世界

今のお話の外国の人たちの俳句のわかり方は、割合程度が高いと思うんですが、一般の人はどうか、フランスの評論家のロラン・バルトの作品『表徴の帝国』の中にこんなことが書いてあります。

「俳句は羨望をおこさせる。その簡潔さが完璧さの保証となり、その単純さが深遠さの確認となるような(簡明さこそが芸術の証明だとする古典派的神話、即興にこそ第一の真理があるとするロマン派的神話、この二つの神話のせいで、こういうことになるのだが)さまざまな《印象》を、鉛筆を手にしてそこかしこで書きとめながら生のただなかを散歩したいと夢みなかった西洋の読者がなん人いるであろうか。俳句は、近寄りやすい世界である。そのくせ、じつはなにごとも語ろうとはしない。こういう二重の性格をもつために俳句は、あなたの偏執、あなたの価値観、あなたの記号体系ぐるみ、もろともにあなたをおおらかに迎えいれてくれる礼儀正しい一家の主人のように、たくさんおもてなしをいたしましょうというように、意味に向って開かれているようにみえる」

ところが開かれていないと次に言うんですが、これが一般のヨーロッパの、あるいは日本の人たちの俳句の受け止め方じゃないでしょうか。

リンズィーそうだと思いますね。

最初の出会いは小学生のとき

藤田リンズィーさんの俳句との最初の出会いはどうだったんですか。

リンズィー最初に俳句に触れたのは、小学生のときだったんです。11歳ぐらいだったのかな。

藤田もちろんまだ日本にいらしてないころですね。

リンズィーそうですね。授業の中で、みんなで俳句をつくりましょうというんですが、それが一番いけないんですよね。先生がちゃんとわかっていないで、小学生に教えている。英語でも五七五でつくるんですが、俳句らしいものができなくて、ただ、数えて、自然を詠むことが紹介された。

海外の小学校で俳句を教わったのは、リンズィーさんにとってはあまりいい思い出ではないようですけれど、環境教育のようなものの1つとして、自然に目を向けるきっかけが俳句というのも悪くないなあと思いますね。指導する先生によって逆効果の場合もあるでしょうけれど。

『ちきゅうのうた』日航財団:編

『ちきゅうのうた』日航財団:編
ブロンズ新社

『ちきゅうのうた』という世界23か国の子供たちが詠んだHAIKUの本を読んで、とても気持ちがよかったんです。

たとえば「キリンは太陽に1番近い/だからそばかすがいっぱい/幸せ者ね」(ロシアの13歳の女の子)や、「海はまるでドーベルマン/いつも月につながれて/逃げ出そうとしている」(ニュージーランドの男の子)などにハッとしました。文明に汚染されていない子供にはやっぱりかなわないなあ、と思う。俳句は小さな発見だそうだけれど、その点でも十二分にHAIKUだと思うんです。子供の俳句は面白いですよ。

日本名で加藤楸邨の「寒雷」に投句

ドゥーグル・リンズィー氏

ドゥーグル・リンズィー氏

リンズィー私は小学校では1句ぐらいしかつくっていなくて、次が日本に来てからだったんです。

日本の俳句に出会うまで、外国の俳句はほとんど読まなかったですね。慶應義塾大学の別科(日本語科)に入学したときのホームステイ先が、たまたま季刊「芙蓉」、芙蓉俳句会を主宰している須川洋子という、俳句の先生だったんです。

私は英語の詩に興味を持っていて、現代詩も少し読んだんですが、古いものばかり、シェイクスピアのソネットが集まっている分厚い本とかをかなり読んでいたんです。それで須川洋子さんのところで俳句に出会って、お願いして基本を教えてもらって、加藤楸邨の「寒雷」に、彼がまだ生きていたときに日本人の名前で投句していたんです。

外国人だとわかってしまうと、作品自体はあんまりよくなくても点数が入ったり、逆に外国人だから入らないとかいうことがあるんじゃないかと思って、リンズィーという私の名字がタータンチェックの1種類なので、織物と、田の字がチェックみたいな形なので、織田夢鷹という名前で出していたんです。20歳のときです。

季節が逆のオーストラリアから俳句を送り続ける

リンズィーその後オーストラリアに帰ってからも須川さんにファックスを送って、季節が逆なのでおかしかったんじゃないかと思うんですけれど、彼女のアドバイスを受けながら投句を続けて、1年あけて、また日本に戻ってきたんです。

それで、実は私は外国人ですということを加藤楸邨に言おうと思ったら、彼はもう入院していたんです。私がまだ日本人だと思われていたときに、私の「牡丹雪正座の足を伸ばしけり」という俳句が、彼は非常にいいと思っていたらしくて、「これは私の一番若い弟子がつくった作品ですよ」という話をしていたそうです。

それからドゥーグルという名前で投句し始めて、そのうち田川飛旅子の「陸」、金子兜太の「海程」にも投句したり、俳句道場に参加したりして、そこで現代詩の影響がかなり出てきたんです。

加藤楸邨亡きあと金子兜太に出会う

金子兜太

金子兜太

藤田金子兜太さんと言えば、季語を踏まえているけれど、どちらかというと革新派の俳人ですね。そのあたりに惹かれましたか。

リンズィー楸邨から兜太って、結構ギャップがありますよね。

楸邨の作品は非常に好きなんです。楸邨の俳句は全部読んで翻訳してみたりもしたんですが、亡くなられて、次にどの人から学ぼうかなと思ったときに、この人は新しい世界があるというか、これを取り入れたいなと思ったのが兜太だったんです。

須川さんと楸邨のところで基本をちゃんとやって、それで兜太に出会った。基本ができていないときに兜太に出会っていたら、どんな感じだったのかなと今は思うんですけれど、彼も弟子のそれぞれの個性を育てながらやってくれるので非常にいいんです。

藤田この2人がリンズィーさんを俳句の世界に導き入れたといえると思いますが、特に記憶に残っている作品はありますか。

リンズィー例えば楸邨の「おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ」とか「雪夜子は泣く父母よりはるかなものを叫び

兜太は幾つもあるんだけれども、「霧に白鳥白鳥に霧というべきか」とか「あけびの実軽しつぶてとして重し」。

藤田やっぱり、どちらにも影響を受けていらっしゃいますね。

人間の魂を詠んだ加藤楸邨

加藤楸邨

加藤楸邨

加藤楸邨は後になればなるほど、その存在が大きな意味を持っていたことを知られるような、極めてすぐれた俳人だと思うんです。

鰯雲ひとに告ぐべきことならず」、戦争中に詠んだ句だと思うんですが、これが俳句というもののある本質を語っている作品だと思います。

もちろん作品そのものとして、鰯雲と向かい合っていて、人に告ぐべきことではない大きな深い苦痛を自分は抱いている。そして、鰯雲という、自然のつくった自然を超えそうな美しさと向かい合っているというおののきを語っているんだけれども、同時に、「ひとに告ぐべきことならず」という思いが自分を占領してしまう。

そのことが、俳句というもの、つまりは詩というもの、日本の俳句もヨーロッパの詩も全部合わせたポエジーというものの本質を語るものとして、楸邨さんはちゃんと理解していて、その線に沿って数々の名句をつくった人だと思うんですね。

この「ひとに告ぐべきことならず」という思いが、実は俳句の中心の精神であると同時に、それがヨーロッパの人を強く打ったところなんじゃないかと思うんです。

ヨーロッパには、合理主義精神と非合理主義精神が渦巻いて、その中心には、デカルト以来の近代的自我というものがあった。それが世の中を動かしてきたんだけれども、20世紀になって、それに対しての強い批判が巻き起こっていたんです。

理性とか、文明というものでは救い得えない人間の魂、「ひとに告ぐべきことならず」というものが中心にあって、それをどう表現するか。それにどう近づくかということを教えてくれるのが俳句であろうというとらえ方が、一部かもしれないけれども、ヨーロッパにはあったのではないかと思う。

私は、現代詩をやっていながら、フランスの象徴詩に俳句が影響を与えたことを知りませんでした。でも、芭蕉を読んだり句作をしていると、とても近いものがあってしっくり来ますね。異国で俳句を詠む人もこんな気持ちなのかなあと思います。

自然と向き合いたい気持ちが、西洋で関心をよぶ理由

リンズィー俳句の精神の生き方というか、楸邨は非常に俳句に生きたという感じがするんですよ。作品もいいと思うんですが、こうやって生きるんだと見せてくれたところに非常に惹かれるのも確かなんです。

西洋では、今まで破壊してきた自然と向き合って、また親しくなりたいというので、俳句を始める人がたくさんいるんです。それは非常に重要な気持ちだと思いますし、初心者でもいい句をつくるんですけど、ほとんどの人が文学的価値があるものをつくろうとはしていないんです。

英語で俳句はどこまでできるか。すぐれた作品をつくろうということが、何か薄いような気がするんです。

季節感をなくして自然界を詠みたい

藤田『むつごろう』の中では、季語については余り断定していらっしゃらないですね。季語などにこだわらなくても、非常に豊富な語彙で日本の自然や心象の風景をよくとらえていらっしゃると思うんですけれども、季語についてはどんなふうにお考えになっていますか。

リンズィー季語といっても季節をあらわさなくてもいいと思うんですよ。自然界の何かを指す言葉という意味でとらえたい。「歳時記」に、文化とか、人に関するような祭りとかいう季語がたくさんあるんですけれど、これらは自然界に存在するものではないんですね。俳句で追求すべきものとは余りにもかけ離れているような感じがするんです。だから、俳句で真実を追求しようと思ったときに、祭りみたいな季語に真実はないですね。全部なくしてほしいぐらいです。

藤田それで、こだわる必要はないというお考えなんですね。

リンズィーそうですね。今の世の中は季節感がほとんどないようなところもあるわけですし。私が生まれた南半球のオーストラリアは、雨季と乾季しかないので、強いて季語になりそうなものといえば、「ワニさかる」とか「サンゴの産卵」とか。

今まで、季語をこう使えばいい俳句ができるみたいなところがあったわけじゃないですか。花散るとかですね。そうじゃなくて、もっと基本にあるところを追求していきたいんです。季節がごちゃごちゃになった今の世の中を詠んで、逆に季節感をなくして、自然界に存在しているものだけに向かってつくれたらなと思っているんです。

叙事でも叙情でもなく俳句は叙「宙」詩

僕も今のご意見に大賛成ですね。特に昭和以降の俳人たちは、芭蕉のときにはなかったようなもろもろの約束事で身をよろっているというか、締めつけていて、俳句をくだらなくしていると思う。その要因のひとつが、季語をどうしても使わなくてはいけないという迷信を抱いていることですね。

季節というのは極めて大切なものだけれども、それをあらわす1つの言葉の中にのみ存在するとは思わない。むしろ、芭蕉などが考えている造化随順ということでしょう。造化に従うということ。造化って宇宙ですね。宇宙の力に従う。宇宙の力のあらわれの1つが季節であるととらえることが、俳句の重大な約束事だというならば、よくわかるんですけどね。

季節の中に内在する大きな命と、宇宙をつくり動かしている命、それに迫ろうとするのが俳句であり、詩であり短歌であると思う。そういう芭蕉の中心にある造化というものを学び取ることが、俳句の眼目だと思うんです。

今までの詩の区別、ジャンルには叙事詩、叙情詩というのがありますね。俳句は、叙事でも叙情でもなくて叙宙詩だと思う。叙宙詩が俳句ではないだろうか。その典型がリンズィーさんの作品群です。だから、世の中の一般の俳句を勉強する人は、ぜひリンズィーさんの作品を読んでほしいと思う。

季節が教えてくれる「私とは他者である」ということ

ランボーは「私とは他者である」と言った。私は私ではないということですね。

私が私であるというのは証明を必要としない真理で、公理と言うんです。その公理を否定することが、「私とは他者である」ということですね。

僕らは、僕らが生まれる前からあった公理を否定することから、生きることが始まるんじゃないかと思う。恋愛なんてその1つですね。あるいは世の中に出て出世しようというのも、私じゃないものになりたいということです。その「私とは他者である」という認識が、詩というものの基本にあると僕は思うんです。そして「私とは他者である」ことを一番教えてくれるのが季節なんじゃないか。

春、私は桜の下で涙を流した。けれど冬、桜はもうないではないか。そういう自然の変化と対応している私の変化に気がつくことが、宇宙とは何かということに気づくことの1つであって、それを気づかせる力が俳句ではないか。広い意味ではポエジーではないかと思うんです。

ただ、この僕の考え方は、大変偏屈であるらしくて、言っても俳人の誰も信用しません。しかし、それは真実だと僕は思っています。

宇宙の真実を人間を通して表現した一茶

藤田一茶については、例えば外国での評価はどうなんですか。青眼さんは一茶に心酔したというお話でしたけれど、リンズィーさんは、一茶はどうですか。

リンズィーそういう世界もあるなという感じですね。

一茶は立派な作家だと思いますが、宇宙の真実そのものに直進して、それを求めようとした人でない。人間を通して求めようとした人。迂路を通っているので、衝撃力が弱いんですよ。

リンズィーそういう意味で、西洋で一茶の俳句はかなり好かれているんですよ。人間から行きますからわかりやすい。

一茶はヴェルレーヌ、芭蕉はランボーぐらいの違いがあるわけです。芭蕉はボードレールと言ってもいいけれどもね。

土や石に命があるという、縄文の精神が俳句の基本

9世紀に、良源という比叡山の偉い人がいまして、一種の仏教革命を行ったんです。草木国土悉皆成仏ということを言ったんですね。これは無生物が命を持つという意味の言葉です。どこが革命かというと、インド仏教や中国仏教では、無生物が仏となることを言えなかった。それを言ったんですね。石とか岩、草木にも仏があるんだ。命が宿るんだということを唱えたわけです。

それは今の日本にも伝わっていて、家を建てるときは必ず神主さんを呼んで、お祓いをしますね。土地の神様に使わせてくださいと言っているわけです。

なぜこんな話をしたかというと、土や石に命があるという思想が俳句の基本の思想なんですよ。これは縄文の精神です。だから、この考え方を無視しては、俳句は語れないんじゃないかなと思っているんです。

リンズィー植物とか石とかに魂があるというのは、自分が思っている自然界に存在しているもののあり方というか、存在を把握するのと、非常に響き合っているような気がして納得しました。

藤田リンズィーさんはいわゆるキリスト教的な伝統の中にお育ちになったわけですね。そこには、自然の中に生命を見るといった考え方はあるんでしょうか。

リンズィーキリスト教の中ではないと言っていいですね。人間は、ほかのものを支配するためにいると聖書に書いてありますからね。(笑)

外国の俳句は「俳句モーメント」で一瞬をとらえる

藤田リンズィーさんは俳句の世界に入って、そういう精神もだんだん取得してこられたという感じがいたしますね。俳句の一瞬をとらえるというところへの関心はおありになったんですか。

リンズィー外国でこれぞ俳句というのは、一瞬をとらえる。俳句モーメントと言うんですが、一瞬をとらえるだけにみんな走っているわけです。なにかを踏まえてとか、意味だとかを一切考えない。西洋は、今までそういう俳句ばっかりなんですよ。でも考えてみたら、そんな悪い考え方でもないような。

禅宗の伝統では、一瞬即永遠、永遠即一瞬という考え方がありますから、やはり俳句はそれを受け継いでいますよね。

リンズィー外国では、そうじゃないものは俳句じゃないという考え方だったんですが、今、そうじゃないものも俳句になり得るというのに気づき始めているところなんです。それである程度、違う作品もつくって、やっぱり一瞬だなと戻ってくるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それはちょっと時間がたたないとわからない。

今、海洋生物学を専攻されているから言うんではないけれど、大宇宙の命に目覚めたのは、多分もっとお若いときだと思えますね。それと俳句に入るのは全く自然で、学問と芸術とは違いますが、同じことだと思います。

クラゲこそ宇宙そのもの

藤田リンズィーさんのご専門は海洋生物学で、とくにクラゲに詳しいということですね。

リンズィークラゲこそ宇宙ですよ。クラゲは海洋にいっぱい出てきて、パーンと溶けていなくなってしまう存在なわけです。

いいですね。クラゲこそ宇宙ですか。

リンズィークラゲはプランクトンの一種なんですよ。最も大きなプランクトン。プランクトンは浮遊生物で、海流に流される命なんです。魚などは海流に向かって泳いでいけば、ほかのところに行けるんですけれども、プランクトンであるクラゲはそのまま流れていくしかない。

藤田ものすごく大きいクラゲもいるそうですね。

リンズィー世界で一番長い生物は、クジラじゃなくてクラゲなんですよ。40メートルの長さにもなるアイオイクラゲというのが深海にいるんです。

バイオマスというか、重量にしてみれば全然ちっちゃくて、太さは私の腕ぐらいしかないんですけど、40メートルの長さで、ヘビみたいな形なんです。流し網のように触手をたらして、死のカーテンを深海でつくって、夜、オキアミとかミジンコみたいなものが表層に上がってきて、植物プランクトンを食べようとするのを待ち構えていて、全部つかまえちゃうんです。そういう恐ろしい海の仲間を研究しているんですよ。

ただ、俳句では詠めないんです。いくら深海の中ですごい魚に出会っても、イレズミコンニャクアジとか、ホソワニトカゲギスとかでは、イメージがわいてこないですよね(笑)。それが困っているところなんです。

藤田海での句は大分詠んでいらっしゃいますね。

リンズィーはい。「海蛇の長き一息梅雨に入る」は好きなんですよ。

スキューバダイビングをやっているときに、何かすごい音がしたので表層を見たら、海蛇が息を吸っていた。海蛇は体長の8割が肺なんです。だから、すっごい一息なんです。長くスーッと吸うんですね。それが梅雨に入る時期だったわけです。

自然の中の一瞬を詠んで、宇宙を表現してみたい

藤田原さんは実際に俳句をつくり、あるいは詩をお詠みになる立場として、リンズィーさんの『むつごろう』などの句をお読みになっての感想はいかがですか。

私も最初に宗先生が挙げた3句がいいなと思っていて、「稲妻の光りて時間こはばりぬ」は、その一瞬の中に宇宙があるような気がして大好きです。

それから、「自転車よりもの転げ落ち師走かな」とか、「我が鼻を春の眠りの出で入りつ」の句にはリンズィーさんの冗談好きな顔が覗いていて、思わずくすっと笑えるんです。先が見えないくらい長い行列を詠んだ「大晦日エスカレーターの先消ゆる」も好きですね。

藤田きょうのお話も、いろいろと刺激になったんじゃないですか。

もっと他者になりきって、自然の中で俳句を詠むように心がけたいと思います。

私も自然の中の一瞬を詠んで、宇宙を表現できるようなものをつくりたいと思っているんですけど、なかなかそれがうまくできないんです。でも、いろいろお話を聞いていて、イメージがだんだんつかめた感じがしています。

クラゲになりたいと思う気持ちが高まってくれば、きっといろいろな俳句や詩がつくれますよ。

そうですね。

リンズィー流れていく命というテーマにしたらどうですか。

それはおもしろそうですね。

外国の俳句は日本に追いつく勢い

ドゥーグル・リンズィー氏筆

ドゥーグル・リンズィー氏筆

藤田俳句のこれからについて、どんなふうに考えておられますか。

リンズィー外国でも俳句を一所懸命勉強していて、実力のある俳人たちが、どんどんお互いに議論し合っています。今までは雑誌の上での話だけだったので、非常にペースが遅かったんですけれど、この10年間はインターネットが発達したこともあって、スピード感が出て、すごく盛り上がっているんです。

そういうこともあって、もう日本に追いつくぐらいの勢いになっているんですよ。日本の人たちも、外国の俳句を見て、取り入れるものがきっとあると思うんですね。それがいい刺激になったらなと思います。

もう1つ、今注目しているのはオーストラリアのアンソロジーなんです。南半球で、今までとは逆の季節感を持っている作者たちが俳句をつくっている。私も南半球の人間なので、季節のとらえ方が、普通の人と違う部分もあるのかなという気がするんです。日本に住んでいても、冬にキュウリが買えるような世の中なので、その辺を追求してもいいと思って、非常に興味を持って見ています。

現代俳句協会から数年前に出た『現代俳句歳時記』の中で金子兜太が、季語は非常に重要であるということを、ちゃんと言ってくれています。

私としては、内へ内へと見ているだけじゃなくて、外国の俳句を見たり、現代詩も見たりして、いろんなものをどんどん積極的に取り入れて、自分の俳句を強くしたいな思っているんです。

外国の俳句に学びジャンルを超えた交流ができる場を

僕は俳句全体に対する希望として、2つのことを考えています。その1つは、外国人から学ぶことだと思うんです。

外国人がつくっているHAIKUは、いわゆる日本の現代俳句とは少し違っているところがあるんですけれども、僕は間違った違い方ではないと思う。宇宙そのものに学ぼうというおおらかさが、外国人のHAIKUにはあると思うので、そういうところからは、現代の日本の俳人も学ばなくてはいけない。

もう1つは、たとえば俳句について、俳句以外のジャンルの現代詩とか短歌の人が批判する。さらに現代短歌や現代詩についても同じことをやって、相互批判ができる場をつくるということです。

そういう3者の枠を超えた交流が起これば、そこから現代俳句に対する何らかのよい影響も出るんではないか。現代俳句も、やはりおのれの枠を開放しなきゃいけないし、外から開放されることを迫られている時期でもあろうと思うんです。それがプラスに働くことを期待します。

リンズィー西洋の俳句雑誌でも、いい俳句がいっぱい出るんですが、ただ単にいい俳句ということで終わってしまう。そういう実態があるのがもうわかっていて、アメリカの『TUNDRA』という雑誌では、短い詩は何でも、詩も短歌も俳句も同じ場に紹介して、お互いに刺激させるということをやっているんですよ。

藤田ジャンルは超えられつつあるんですね。

リンズィーはい。すでに西洋でその動きがあります。

日本語で俳句をつくる外国人の仲間をもっとふやしたい

藤田ホームページに対する反応はどうですか。

リンズィー結構いっぱいあるんですよ。外国の雑誌からも、紹介したいから履歴と俳句を送ってくださいと依頼が来たりしますから、興味は持ってくれているみたいですね。

つい最近は、現代俳句協会のアメリカ版からの依頼で俳句を出しました。そのとき、まず日本語ではなくて、初めて最初から英語で俳句をつくったんですよ。

俳句を教えてほしいという人も、何人もいます。それで今、私が副編集長をやっている季刊『芙蓉』という俳句の雑誌で、外国人も参加して教えています。

でも、日本語で俳句をつくりたいという人は、今までにまだ2、3人ぐらいしかいないんです。それがもっとふえたらなと思う。

前に、あるテレビ番組で、私やマブソンさんも含めた、外国人で日本語で俳句をつくっている人たちが5人ほど集まったことがあるんです。お互いの句を選んで感想を言い合ったりしたんですが、非常におもしろかったですね。ああいう仲間がもっと欲しいとマブソンさんとよく話しているんです。日本語で俳句をつくる外国人、それは日本の俳句のためにもなると思うんです。

藤田本当にいいお話を伺えました。ありがとうございました

宗 左近 (そう さこん)

1919年福岡県生れ。
著書『詩のささげもの』新潮社 2,000円+税、『小林一茶』集英社新書 740円+税、ほか多数。

Dhugal J. Lindsay (ドゥーグル・J・リンズィー)

1971年オーストラリア生れ。
著書『句集むつごろう』 芙蓉俳句会 1,500円+税。

原 千代 (はら ちよ)

1973年東京生れ。

※「有鄰」436号本紙では2~4ページに掲載されています。

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