Web版 有鄰

581令和4年7月10日発行

水木しげるさんとシアワセのこと – 1面

京極夏彦

境港市・水木しげるロードにて(2008年頃)

境港市・水木しげるロードにて(2008年頃)

生誕100周年に思う

本年は水木しげるさんの生誕100周年にあたる。水木さんが亡くなられて7年が経過したことになるのだが、まったく実感がわかない。

水木さんは、齢を重ねるごとに「人生は70を超してからですヨ」だとか、「80を過ぎてからの方が幸福が実感できますネ」などとおっしゃられていたから、周囲の者は誰しもが師の健在を疑っておらず、100歳のお祝いはどのようにしたものかなどと考えていたくらいなのだった。まさかご本人不在の100周年になろうとは、思ってもいなかったのである。

僕はまだ字が読めない時分から水木漫画の虜になっていたわけだけれど、実際にお目にかかったのは30年ばかり前、水木さんが70歳になったばかりの頃になる。

以来二十数年にわたり、お仕事をご一緒させていただいたわけだが、その間、水木さんはいつだって楽しそうだったように思う。

もちろん、水木さんはそれはもうサービス精神の旺盛な人だったから、僕らやファンの前では無理をして楽しげに振る舞っていたのかもしれない。それはそうなのだろう。

しかし、それでいて水木さんは極めて自然体でもあったのだ。気に入らなければ怒るし腹が減ったり眠たくなったりしたら機嫌が悪くなる。都合が悪くなればボケたフリをする。仕事には厳しい人だったから、絵を描いている時などはまるで果たし合い中の剣豪の如き真剣な顔をする。

それでいて、何故か水木さんは楽しそうに見えたのである。いや、楽しそうというよりも幸せそうに見えたといったほうが正しいだろうか。

考えてみれば、喜怒哀楽と幸・不幸は関係ないといえば関係ないのだ。幸福にひたっている人でも脛をぶつければ泣くだろうし、不幸のどん底にあってもおかしければ笑ってしまうかもしれない。

ただ、自分は不幸だと規定してしまっているような人の場合、腹の底から笑ったりはできないようにも思う。そうしてみると、喜怒哀楽を自在に発露するためには、自分は幸福だと思っていたほうが良い、と考えることができるのかもしれない。

なるほど、水木さんは幸福だったのだろう。

隠すほどの幸福

実際、水木さんは「幸福は隠すのが大変デスよ」とおっしゃっていた。別に隠す必要はないと思うのだが、どうもそれは違うのだという。

水木さん曰く、「世の中には不幸な人が多いし、自分は不幸なのだと思い込みたい人はもっと多いンだ」という。だから幸せがバレてしまうと激しく妬まれるというのである。それゆえに、どんなに幸せであっても隠しておくほうがいいのだという理屈だ。

加えて、世間というものは幸せ=楽をして儲けていると考えるものなのだという。さらにそうなると税務署に目をつけられてしまうのだと水木さんは力説した。「だから大した苦労はなくても、血の汗を流しているようなフリをするのが肝心なんですヨ。あんたも苦しんでいるフリをしなきゃイカンのです」と、水木さんは真顔で説いてくれた。

僕の場合は、フリなどしなくても十分苦しかったわけだし、どれだけ苦しんでいても税務署はやってくるわけだから、隠す必要もなければ隠すだけの幸福もなかったように思うわけだが。

片や水木さんのほうは、ご家庭に雑誌の取材が入った際に、食卓にあがったトンカツを隠してまで貧乏アピールをしたという逸話が残っているくらいだから、本気で隠していたのである。

もっとも、僕が知り合った頃の水木さんは「いくら隠してもシアワセが溢れてしまうのですワ」などとおっしゃって、笑っておられた。考えるまでもなく水木さんはその時すでに巨匠と呼ばれる漫画家であり、その名声は天下に知れ渡っていたのだから、隠そうとしたって隠せるようなものではなかっただろう。その状況でへたに謙遜などしたって却ってカッコ悪いと思われたのかもしれない。90歳を過ぎたくらいからは、もう自分は成功者であり、毎日が幸せなのであると公言されていたくらいである。

思えば隠すにせよ公にするにせよ、いずれご自身が幸福だという自覚だけは常にお持ちだったということになる。

だからこそ、怒っていようがうんざりしていようが、どんな状態であっても水木さんは楽しそうに見えたのではなかろうか。

とはいうものの、それはいわゆる多幸感に包まれている状態とは違うのだ。水木さんは何があっても「自分はシアワセなんだー」と感じてしまうような、夢見がちな人では決してなかった。

水木さんはどちらかというとシニカルな態度を好む人であったし、極めつけのリアリストでもあった。何かに忖度することなどなく、ダメなものはダメだというし、イヤなものはイヤだと拒絶する。

ダメなものとイヤなものばかりだった場合、まあ幸福な状態とはいえないように思うのだけれど、それでも水木さんの幸せはゆるがないのだ。

苦難の中の幸福

米寿のお祝い(2009年)

米寿のお祝い(2009年)

そうしてみると何だか羨ましい限りのようにも思えてくるのだけれど、水木しげるという人の人生は決して平板なものではなかった。鷹揚で稚気にあふれた大家らしい風格の水木さんしか知らない人には想像できないかもしれないが、水木さんは大変な苦労人なのだ。俯瞰してみるに、むしろ波乱万丈、山あり谷ありの荊の道を歩まれてきたことは一目瞭然である。

貸本漫画時代の貧困具合は筆舌につくしがたいものだったようである。夜を日に継いで働いても、三食まともに喰うことさえままならなかったそうだ。人気が出たら出たで今度は次々に殺到する仕事に忙殺されて悲鳴をあげることになる。しかもその時期、水木さんは結婚され、お子さんまで生まれているのである。

どうであれ、いっさい後戻りのできないぎりぎりの状況ではあったのだ。

その頃のことをお伺いすると水木さんは「よく覚えておらんネ」と誤魔化す。ご家族のお話や、ご本人が残されたメモなどを読む限り、とにかく必死で働いていたことだけは間違いないようだ。

明日の命も知れぬ赤貧から命を削るような超多忙。いずれもおよそ幸福とは思いがたい在り様である。それでも水木さんは、「そりゃエラかった(大変だった)」とはいうのだけれど、不幸だったとはいわないのだった。

でも、支えになってくれる家族がいたから幸せだったとか、好きな画業を仕事にしていたから幸せだったんだ、などというヌルいことを水木さんはいわない。ただ眉間にシワを立てて、「どうであっても働かにゃ死んでしまうんデス!」と、語気を荒らげるだけである。たぶん、思い出したくないくらい仕事は辛かったのだろう。でも、どうも不幸ではなかったようである。

シアワセのヒミツ

水木漫画には社会諷刺の要素が多く含まれている。社会の理不尽さに対する批判や怒りがそこここに織り込まれている。一方で、読者は同じだけの諦観も感じるだろう。

諦観というとひどく後ろ向きな感じに聞こえるかもしれないのだが、水木漫画のそれは違っている。世の中は、まあダメである、ダメなんだけれど生きている以上はそれでも生きていかなきゃイカンのだという、絶望と希望がブレンドされたような絶妙なメッセージを感じるのである。それは、達観というのともまた違っている。理想は理想として掲げなければいけないけれど、徹底したリアリストである水木さんとしては、その理想は簡単には実現できないものでもあるという現実も、同時に描かずにはいられなかったのだろう。

それは、容易には抗いがたい戦争という「禍」と対峙した水木しげるが獲得した感性でもあったのだろうと思う。

ご存じのとおり水木さんは従軍している。前線に送られた水木さんは、「まるで小便でもするように人が死んでいく」様を目のあたりにすることになる。そして、左腕を失うという決して癒すことのできない傷を負う。それは地獄のような体験だったはずだ。

最晩年の水木さんは戦争の話ばかりしていた。93年の人生の中で、水木さんが従軍していたのはわずか3年ほどのことである。でもその3年は、残りの90年と同じかそれ以上のボリュームを持っていたのだろう。

しかし水木さんは、敵国を悪し様にいうこともなければ戦争に踏み切った自国に(愚かだと評しこそすれ)怨嗟の声をあげることもなかった。

参加した以上、自分は被害者であると同時に加害者でもあるのだと自覚していたからだろう。戦争は誰一人幸福にしない愚挙である。水木さんは、だから戦争が大嫌いである。それは辛くて、苦しいだけのものでしかない。絶対にしてはいけないものだと、それは強くいう。

ところが、そんな地獄の渦中にあっても、水木さんは現地の人たちとの交流の中に天国を見出しているのだ。辛く苦しかったけれども、不幸ではなかったのである。

水木さんの一人称は「水木サン」である。家族の前ではお父ちゃんだったようだ。

「私」というものから一歩引いておのれを客観視し、相対化する、そんなところに幸福のヒミツがあったのかもしれないと、今は思うのである。

京極夏彦
京極夏彦(きょうごく なつひこ)

1963年北海道生まれ。小説家。世界妖怪協会・お化け友の会代表代行。
監修『水木しげる漫画大全集』全114巻 講談社、著書『魍魎の匣』 講談社文庫 1,650円(税込)他多数。

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